2011年4月30日土曜日

平松守彦(前大分県知事87歳)   ・世界に広がる一村一品運動

平松守彦(前大分県知事87歳)     世界に広がる一村一品運動  
一村一品運動」 昭和54年提唱 世界各地にまで広がる
6期24年間知事を務める  
行政は何もしてくれない と不平不満
自分たちの地域で産品、観光を出してほしい と提言・・・PRは知事がする
大分は小藩分立  人間性を違ってくる→纏まりの悪い県
理念 ①ローカルでありながら、グローバルでも通用するもの
    ②自主自立 補助金使ったものでは駄目
    ③人作り 「塾」 6か所作って核となる人達の人作り

成果 大分焼酎 関サバ 等 
上海で勉強したいと要望受ける →中国に広がる  タイのタクシン氏から展開要望 他モンゴルでも
中国 農村、都会で格差ある →政府主導で一村一品運動する  大分は民間主導
次の世代へのメッセージ  継続は力なり  失敗を重ねながらアイデアを出し合う
情熱の源  ハードパワーでは駄目  ソフトパワーでないと両国は成立しない  平和をもたらす

2011年4月29日金曜日

森政弘(ロボット工学者)      ・ロボコンから学んだこと

森政弘(ロボット工学者)     ロボコンから学んだこと  
50年前からロボットを研究 
米国の本を読み 自動制御をやる様になる →気体、液体のコントロール 弁で楽にできるようになる
人の手→機械に変換 指の理論発表→ロボットへ  ロボットは人間の代わりに働く
ロボットコンテスト78ヶ国参加   
1981年 学生の顔に生気がない・・・単一乾電池一個で人間を運べるか 生徒に出題 考えさせる→車作り 堅い床動いたが庭では駄目→考える
学生の眼の色が変わった(夢中になる) 「物」人間にとってい良い 「物」が人間を育てた
中学校のキット作りは作り方が決まっていて面白くない→ロボコン取入れ
苦しくて楽しい  0から作る
仏教・・・人間の研究(心) 柔らかな頭、柔らかな心を持つ
我を忘れて物をつくる(三昧) 物つくり三昧→人間が変わる
物つくりは人作り 使いようを心得る   
刃物→メス(人を助ける) →ドス(人を殺す)・・・心の使いよう

2011年4月28日木曜日

吉村作治 (考古学者)     ・ 父からもらった言葉の力

吉村作治考古学者)  父からもらった言葉の力
「盗むより盗まれた方がよい」・・・小学校1年生の時に物差しを盗まれたときの父の言葉
父は江戸友蝉の職人 
「一返事、二立ち、三歩以上は駆け足で」
「一日延びれば、百日延びる、百日延びれば、一生出来ない」
だらしないと駄目 考古学は整理学
「金と灰皿は溜まるほど汚い」、「金は天下の回りもの」・・・父の金に対する考え方 
父は自分に気にいった仕事は安くてもやる、気に入らないと納品しない(金をもらえないが)
小学生の時にカメラがほしくて、何とか高いカメラを買ってもらう→高い物は滅多に買ってほしいとは云っちゃいけないと思った
大事にカメラを使い、後の考古学を進めるに大変役に立つことが出来た
考古学はスケッチ、写真、文字の三点セット
父は落語が大好きで月/一回は演芸場通っていた 
帰りの食事が楽しみだった(貧乏の割には使いたいときには金を使った)
ツタンカーメン王の秘密」を読み考古学に興味を持つ 
小学校4年でエジプトに行きたいと思った  

「勝負は時の運」・・・発掘で何も出なかったときの慰めになった
「天網恢恢疎にして漏らさず」・・・天の張る網は広くて、一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らす事はない悪事を行えば必ず捉えられて被るという事  
人は必ず知らないところで見ているもの 
良い事しても、悪い事しても見ている 悪い事してはいけない  
どんなに曲がっている道でもまっすぐに見える 
まっすぐな道に見える様で曲がっている時がある
一歩引いて自分の歩んだ道を確認する必要がある  
晩節を汚すことがある  
一個でも外すと何個でも外してしまう
所沢に家を建て、父にはいってもらったが、ある日日向ぼっこをしながら、スッと亡くなった
・・・理想的な亡くなり方

2011年4月26日火曜日

小倉和夫(72歳)        ・多文化共生

小倉和夫(国際文化交流基金理事長72歳)   多文化共生    
ベトナム大使、韓国大使、フランス大使等歴任 2003年国際文化交流基金理事長
青山学院大学教授   
大震災の時の外国の反応  一体感 、連帯感に感動した(市民レベルで冷静に対応した)  
首をかしげることもあった・・・自粛(行き過ぎでは)  批判・・・政府の対応の仕方   
長年の国際交流が同情、共鳴在り    
自分自身がどういう社会であり人間であるか 
あの国はこういう考え方をするのか・・・国の姿が見えてくる側面もある  
グローバル化・・・国境を越えていろいろなことが行われるようになった 
 
世界が小さくなった(ボーダレス) 分野の壁が低くなった(映像、美術、銀行等)    
日本の状況・・・若者が内向きになってきた 経済停滞、政治不透明、高齢化、少子化等 本当に外国に行きたいのであれば、金がなくても何とかしていきたくなるもの 根性が欠けていることである 日本のある種のメンタリティー    
韓国、中国の若者はダイナミックに行動(留学)   
日本はある種国家的目標に達してしまっている 
次の目標に対して張り切れるかどうか 新宿区は10%の外国人が居住 ・・・多文化共生に対して身近な問題として存在する    
共存・・・違う者同士がけんかしないで存在する   
共生・・・相互依存関係がある  お互い同士が必要(共に生きてゆこう)
  
個人、市民としていかなる姿勢で生きてゆくのか 個人主義ではない  
外国人が日本の老人を支援する  日本にも存在するようになった 
市民意識の高揚 日本の国際化への歩み    
外国が日本に何を期待するか→日本がそれに対してどうしたいか・・・マッチした時代とずれた時代があった   
近代化したい(日本)・・・近代化を望む(国際社会)  一致していた時代がある   
私流のアジアにしたい(日本)・・・ズレが生じた→ズレが大きくなると注意しなくてはいけない 
日本が望むこととは何か  歴史の鏡  「鏡」・・・学ぶべき対象はなにか  
学ぶには相手のことをよく知る必要がある→アメリカ、ヨーロッパ以外の国々に対していろいろの国から学ぶ 
   
文化的に考えると例えばロボットを介護に使う事でも日本と欧州では考えかたが違う  
人類共通の問題、人類共通の意識が必要   人間と自然の関係    
日本のあるところに海老、蛙を供養する石碑があるが、欧米のひとには理解できない  
人間と道具との関係(外国では区別する  日本は人間の延長線上にある)  
   
多文化共生・・・コミュニティー(村、町、市)社会を構成  
行政、リーダーシップ、体験、交流が必要 交流がスターティングポイント  
交流(広場)日本では具体的な広場がない(精神的広場も)  
平和共存的考え・・・あなたはあなた、私は私  (冷たい関係)  
共生・・・お互いにお互いが必要・・・一緒に生きてゆこう  相互理解  
日本的なものは日本人のものなのか? 日本的なものはないのではないのではないか? 
文化(能、歌舞伎等) 漫画も日本のものではなくなってきている  
能役者、歌舞伎役者にも外国人がいる    
豊かな文化・・・お互いが分かち合ってゆくことが大事 
  
漫画を読むには能力が必要 無邪気、子供らしさ 幼稚がある→現代社会の本質になりつつある(現代社会病の象徴) 現代社会の一つの文化現象
仏、独等では大人はあまり読まない・・・哲学的深さは一般的にない(手塚治虫以外)  
スポーツ、漫画は直ぐ楽しめる  能、歌舞伎は直ぐ楽しめない   
伝統文化も大事・・・能、歌舞伎には日本の精神があるのでは→世界に共有してもらいたい 
現代の日本人文化はロック、食文化、アニメ等    
日本の漫画はいろいろとジャンルがそろっている   
漫画を通じての日本語教育 漫画の描き方勉強 漫画の作品を講演・・・深く日本を勉強する為のきっかけ・・・たのしく学べる  
  
言葉 コミュニケーション手段・・・英語はコミュニケーション手段として広がっているだけ   
文化財としての言葉・・・日本文化の結晶(日本語)  
方言:東北弁等 大事にする必要がある(文化)   
日本語言語教育がしっかりとする・・・意思伝達手段+文化の伝統を体現したもの  
文化の多様性・・・人類社会の豊かさ    
生物多様性・・・地球の生態系の豊かさ・・・人類の宇宙に対する責任  
日本文化の本質は重複にある・・・共存している(音楽、能等)  
重複の中からあたらしいものが出てくる    
日本(人)の多様性を世界に理解してもらう事が必要→素直な気持ちでやることが大事
(ジャパン、ジャパンでは駄目)   
それには発信と受信が大事である   
発進は苦労しない 受信は聞く能力、を培ってゆく必要がある→正しく受信する事が大事   
日本は効率重視しすぎる→日本の最大の欠点   
オールジャパン・・・狭い考え方 国家が表に出ていいものと、悪い物とがある  
勇ましい一致団結は誤解を生む可能性がある  日本人は一枚岩に見られている  
災害を切り口に考えた場合において 心と心を結ぶ一つの契機になりうる  
1995年の阪神大震災の時 地震情報に外国人が困った →長田地区でFMで地域情報を外国人が判る様に五ヶ国語で流す    
これによって助かる→多文化共生の芽生え   
多様性社会・・・困難に直面した時にお互いがお互いにを思いやりながら生きてゆく 
人間悪い状況の時どういわれるか大事  

2011年4月22日金曜日

黒井千次(作家)        ・「老いを見つめる」(2)

黒井千次(作家)            ・「老いを見つめる」(2)
パウリ・・・本当の老人は80歳になった以降  老いの自覚症状をリストアップする(10項目程度)
マルコム  文芸評論家  「八十路から眺めれば」という本 老いは自覚しにくい
本質的な自己には年齢はないんではないか。
老いに理想像あるのか?→昔はあったのかもしれないが 今は崩れて理想像を描きにくい。
「楢山節考」(うばすて) 深沢七郎  おりんお婆さんは70歳で山に捨てられる。
おりんお婆さんはまだ歯が丈夫であったが、歯を折ってそれらしい老人となる。

理想像があった方が生きやすい。
お爺さんは山に行くのを嫌がる→戸板に縛られ運ばれて谷底に落とされる・・・理想像がない
みっともないかも知れないがそれはそれで仕方がないのでは?(そう思いたい 前は思い違った・・・黒井氏の考え)
理想像の疑わしさ   老いてゆく・・・男女、老人 質違う。
老いの受け入れ方女の方が抵抗がある(若々しく在りたい) 可愛いお婆さんになりたい・・・肯定的
老いの理想像もなく、一般論はない。
平均寿命は延びてゆく→老年の時間が増える→どうやって受け止め、こなしてゆくか→追っかけてゆくだけでも意味がある。
自然に年齢とともに老いてゆく。  病の問題+死の問題を含めて考えてゆく
「ひやかし」 年寄りの冷や水を持ちながら年齢を考えずに、確かめたいことがあれば年齢に関係なくやろうとしてみることは大切だ。
人が亡くなった後で完結している人がいるが、途中で終わってしまってもいいのではないか。
生-死・・・一も中途半端な関係になっている。
先の方にあるものを追いかける(途中まででも途中までやった価値がある)
自分の歩幅で歩いてほしい・・・長く、遠くへ、正常歩で

2011年4月21日木曜日

黒井千次{作家)        ・「老いを見つめる」(1)

黒井千次{作家)            ・「老いを見つめる」(1)
「時間」、「高く手を振る日」
生臭さの部分を捨てていた→もうちょっとのたうちまわってもいいのでは
「老いの形」 出版から5年たってあまり自分自身変わっていない・・・良くもあるし、悪くもある

良い→老い込んではいない。  
悪い→成熟みたいなものがあってもいい、変化があってもいい→実際あまり変わっていない。

かくあるべしではなく現状を捕まえる→失敗談見たいな事が多い
①歳をとっていることを認める(with エージング) 男性の方が多い(もっと楽に)
②歳をとっていることを認めない(アンチ エージング) 女性の方が多い(無理している)
忘れる(鍵、ガス、等)・・・外出する時の儀式
体は衰えているが、少年みたいな気持が残っている・・・非常に大事なことではないか。
やりたいことをやろうとする姿勢、気持ちのありようが大事。
行ける所まで行ってみる(その前で辞めてしまうのはつまらないのではないか)
上手な老い方というものは絶対にない・・・その人らしく老いてゆく。
老いとは特別なものではない 早急にどうすればいいか、巧い手はないかと考えすぎているのではないか。
「心を読む」というNHK講座があったが、その中に「キケロ」紀元前の人 古代ローマ哲学者
老人とはいきなり来るものではない 前からの連続の中で出てくる。
幼年期、少年期、青年期、壮年期の結果としての老年期がある。

2011年4月18日月曜日

小坂文乃(研究センター顧問 )  ・革命をプロデユースした日本人

小坂文乃 
梅屋庄吉:1868年長崎県生まれ
辛亥革命から100年  上海万博で「孫文と梅谷庄吉展」を実施し20541人の入場者在り
民国革命のなかで辛亥革命は第一革命とされ、袁世凱に鎮圧された
古代より続いて来た君主政治を終わらせ、アジアでも初の共和制国家を樹立し、現在の台湾に繋
がる政治潮流を造出した歴史的な革命である
狭義では、1911年10月10日夜に発生した武昌起義から、1912年2月12日の宣統帝(溥儀)の退位
までの期間を指す
1911年10月10日 中国武昌から革命の火の手が上がる
民主革命で清朝打倒 中華民国が誕生 
2008年胡欽濤国家主席が来日 梅谷庄吉の歴史資料を見ることになり 小坂綾乃が研究したもの
を見ることになり 本に仕上げる
「革命をプロデユースした日本人 評伝 梅谷庄吉」 本出版
一切口外しては成らず・・・との遺言があり 歴史の表舞台になる事はなかった・・・日中関係の悪化
により家族、関係者への類が及ぶことへの配慮から)
梅屋庄吉は1868年長崎の貿易商の子として生まれる 長崎は国際感覚の下地がある
14歳で中国を見てみたいと上海に渡る  (江戸に行くには水杯で、上海に行くには下駄ばきで・・
・と言われたように上海は近かった)
中国で写真ビジネスを始める 香港で大繁盛する    1895年 孫文29歳  梅谷27歳のときに
出会う
上野彦馬:長崎で写真を初めに始めた写真家 )
ジェームス・カントリーが孫文と梅谷をひき合わせる ジェームス・カントリーは英国の医学者 孫文の先生

東洋の平和の構築の為には日中が仲よくする、しっかりした国をつくる ・・・孫文と梅谷が多いに
共感する)
「孫文は兵を、梅谷は財を持って援助する」
映画事業に取り組んで白瀬中尉の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得
た多額の資金を革命に投じている
革命に参画した人達の生活支援までもする、現在の貨幣価値にすると約1兆円ともいわれる
頭山満犬養毅山田純三郎宮崎滔天らアジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与
している)
孫文と宋慶齢との披露宴を主宰  1914年からは父親が支援していた孫文の英文秘書を務めていた
宋慶齢との結婚には父親を始めみんなが反対→宋慶齢を上海に離すが結局 梅谷、奥さんが仲介
して梅谷宅で結婚
(宋慶齢:中華人民共和国副主席を務め、死の直前に「中華人民共和国名誉主席」の称号を授け
られた)


(姉の宋靄齢、妹で蒋介石夫人の宋美齢と共に総称される「宋氏(家)三姉妹」の一人)
袁世凱 独裁者 駄目→第二革命を起こすが失敗に終わる→日本に亡命(梅谷が匿い、面倒を見る
 10年近く日本に滞在))
「富貴財心」 人の価値は持ち物、財産で決まるわけではない 魂で決まるもの・・・梅谷の座右の銘
どういう日中関係を築きたいか・・・お互いに良い関係を築いていければいいと思う
歴史のなかに助け合ったんだということを知ってもらいたい
(1913年2月中国史上初めての国会選挙が実施 中国国民党が第一党 宋教仁を総理大臣
3月20日、宋教仁が上海で暗殺された)
(この暗殺の背景には袁世凱の指示があったことから7月には孫文により第二次革命が計画 鎮圧されている)

(袁世凱は自ら皇帝を自称しようとしたが間もなく病死)
(孫文は広州で護法政府を組織し(第三次革命)、中国の政治情勢は分断と動乱の時代に突入)
孫文の死後、4つの銅像を広州、黄甫、南京、マカオに建立した。(銅像の費用に充てる金がなく 
娘の結婚費用に蓄えていたものをあてがう)
銅像は文化大革命期に撤去される危機に見舞われたが、周恩来の尽力で守られている
日中関係の悪化の際に、外相・広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、別荘近くの三門駅にて
急死した
2011/3月 孫文と梅谷展・・・中国で開催 (孫文の生まれ故郷) 
2011/8月 孫文と梅谷展・・・日本で開催 (国立博物館) 
2011/10月 孫文と梅谷展・・・日本で開催 (長崎歴史博物館) 

2011年4月17日日曜日

石井廣志(線香作り三代目)    ・和の香りを欧米に

石井廣志(線香作り三代目)        和の香りを欧米に
淡路島 線香の工場20名在籍 香師15名 160年になる 線香の歴史は600年になる 粉体を練る →押し出す→乾燥  
線香の材料はタブの木 (楠科) 樟脳としても使われる 代用品として杉を使う 香り付け技術が難しい 熱を加えると香りが無くなる為駄目 
(香水は体温によって香りが出る)  
線香は棒状である為火をともしておくと時間が判る 13~4cm 30分
最初が粉状だったが、450年前に棒状になる
最近は中国製が出回り、おされぎみになってしまった
5年前より海外展開を図る  ヨーロッパ、アメリカ等
線香は仏事用であるが普通の生活にも使えるようにしたい・・・気持ちをいやす効果があり
春夏秋冬の香りをテーマに線香を作成  淡路島の自給率は100%を超えている アロマキャンドル・・・線香  音楽に国境がないように香りにも国境がないはず 嗅覚は他に比べて遅れる  目、手、耳、口、鼻

2011年4月15日金曜日

大河加世子(CPおばあちゃんの会代表)・高齢社会を楽しむ

大河加世子(CPおばあちゃんの会代表 80歳)     高齢社会を楽しむ  
テクノロジーと障害者会議
高齢者も目、耳、身体が衰え障害者とみなされる
パソコンをやっていると若返る ・・・パソコンによるおしゃべり 楽しい  「コンピューター叔母さん」に会を立ち上げ(定年後) 災害も意識   
高齢化社会、精神的自立 建前 本音はさみしいね・・・同年輩同士の繋がりを持ちたい
タイプライター時代、ワープロ時代、コンピューター時代・・・キーボードは同じなので抵抗感はなかった (英文速記)  
高齢者が生きてゆく為に必要だと思った
区役所の無料部屋を借りて( ボランティアに相談して対応してくれる)開催 150人も来る
世の中から取り残されるのがつらい・・・パソコンを使えるようになってみんなすごく喜ぶ 最初は中古を推奨( リース、レンタル) 20台廃棄処分するものを交渉して使う OSをマイクロソフト社と交渉し無料で提供してもらう  
自分で楽しむ 遊び方をいろいろ拡げる(音楽、写真その他)
時間貴族 時間が足りないぐらい遊んでいる
桜前線写真 沖縄~北海道 写真 会員200名程度 同年輩同士の癒しあい
一人じゃないということは本当にいいものだ
電話は一対一 パソコンは多数 刺激的
医療関係でも使われる・・・遠隔介護サービス 教え合う  医者が治療の研究  買い物 パソコンで買い物の練習する・・・体が動けなくなった時に有効  
年2回実際にみんなで会う
おしゃべりは高齢者の栄養素

2011年4月14日木曜日

宮田英夫(雑学大学代表理事)   ・高齢社会を楽しむ

宮田英夫(雑学大学代表理事)          高齢社会を楽しむ  
1997年 雑学大学 一人で最初考える 友人と語らう 毎月一回 1.5h  
講師の確保が難しい 13年目 ボランティアーで講師をやってくれる 
受講料無(年会費のみ) 場所もただ
日本人はあまりいわなすぎる,言う機会がない(米国に10年いて日本に帰って来て感じた)  
サラリーマンをやっていた時には地元に関係なかった 
地元に貢献できないかなと考える  

狙い:生涯学習、地元との関係を持ちたい、交流を深めたい(会社人間でなく他の人達と)、勉強をしたい
生徒の募集 公民館と共催で行う 市の広報紙に公募を出す 
講師の選び方は友人だったり頼むそこから又紹介してもらう 
直接コンタクトして講師の依頼する(話したいという人いる)
講師は多岐にわたっている 
もう一回この人の話を聞きたいという人がいる 
10回近くやってくれる人も在り
面白トイレ学 女性の目から日本の社会を直視する

全米を動かす高齢者社会 
人生のフィナーレは自分で演出する、、
常に違ったようなテーマを考えている
ターミナルケアの話が重要視されている(最期の時をどのように迎えるか) 
日本でも「全米を動かす高齢者社会」のような運動が起きないか期待している 
アメリカの大統領選挙を左右しかねないようなパワーある
3500万人ぐらいいる 圧力団体   
日本では親睦団体になり下がる
  
政治をテーマにしたものもある(大変に参加者が多い)
政治に関する議論・討論の場がない(言いたいのに) 知識欲が旺盛  
講演に対しての自分の意見を言う・・・はっきりした意見を持っている 能力を持っている 見学会もある 工場、施設   
藤沢カントリークラブ ハウスの建物 残したいということから本を刊行    
始球式 当時の著名人
赤星四朗氏設計 赤星六郎(弟) 第一回ジャパンゴルフの優勝者  テーマ→その時代に即応している 反映させるもの・・・後継者をどう育てるか

2011年4月13日水曜日

野口 雅昭 (元外交官)      ・中東世界から学んだもの

野口 雅昭 元外交官。アラビスト。   中東世界から学んだもの
京都文教大学人間学部長  登山家の野口健は次男
2001年退官  ブログで中東に関心がない人を対象に始めた 専門の人が増えてきた 
アラビア語を話す 上級研修員 2年間 スペイン語をやりたかったがアラビア語になった
中東 昔は10年に一回 最近は3~5年に一回大事件が起きてる
スエズ戦争 エジプトがスエズ運河を国有化  アルジェリア 独立運動が盛んになる
イギリスとフランスとイスラエルが共謀して 密約を作りアメリカを騙してやった 冷戦、アラブ、イスラエルの話 
植民地の話 スパイの話等あり
調べてゆくと非常に面白い
現実政治の場である 戦争があり、至らないまでも紛争があり、暗殺があり いろいろなことがある
38年外交官のうち エジプト1年、サウジアラビア2年、イエメン2年、エジプト3年、チュニジア4年 先進国イタリア、シドニー
昔はアラブの国との関係はほとんどなかった 日本は遠い国で悪い人ではない(関心がない) 
最近 G8とかあるが 影響力は落ちてきた(中国の影響が大きくなってきている)
石油ショック(第4次) 経済協力 アラブ、イスラエル戦争(日本もちょっとからんでいた)

湾岸戦争起きる イラクがクエートを侵略した→国連決議のもとにアメリカがイラクを追い出す その時
アメリカがイギリス、日本としょっちゅうあって話をする
作戦を考えていた(不思議な話) 情報を交換したりどうしようか 結構日本が頼りにされる時がある
チュニジア 大統領が悪いが、大統領夫人一族が悪い やりたい放題 利権獲得 消されてしまうこと
もある
失業中の青年が野菜を売っていたが許可証がないだろうと屋台をひっくりかえす→抗議にゆくが相手
にされず焼身自殺をする→これが発端になる
革命が起きる
エジプト ムバラクの息子ガマールが自由化を進める 蓄財 リビア 国のお金を横流しして外国の銀行に
ため込んでいる イエメンも南、北が統一されるが
独裁者により腐敗が起きる 悪い情報を独裁者に与えない 

野口健 は次男でアルピニスト
エジプトは宗派のある社会 イスラム教はスンニ派 昔スンニ派の本拠があった コプト教(キリスト教)妻は
キリスト教 日本人がイスラム教徒と結婚するのは難しい
まずイスラム教徒にならないといけない(女性はイスラム教徒の人でないと結婚できない)→男系社会
なので子供が生まれると男の宗教を継ぐ
エジプト的(自分は正しい 日本みたいにまあいいやとはいかない) コプトには二つある コプトカソリック教
とコプトオースト教(昔からの宗教)
70代以降宗教が前面に出てきてしまった
地中海(イタリアを含めて)マザコン社会 家庭内ではお母さんが実権を持っている  最後はお父さんが
握っている  
 
日本は頼りにならないお客さん 世の中お金で買えないものがある  軍事力 安全保障 何かある
とアメリカに頼ってきた  
国際情報戦略論を大学で教えている
日本は一般的な情報は一杯持っている  問題は本当に機微な話では日本には情報がない 
スパイがいない 人工衛星もたしたことはない
人脈がない 昔から付き合っていてお互いに情報交換する 聞く場合いろいろ情報を知った上でない
と話が進まない
ハンディーを持ってる割には日本の外交官はよくやっている 一番ろくでもない情報入手はお金で買う
こと 相手と親しくなって仲良くなって
何となく教えてくれるとかこちらから聞いたら教えてくれるとか そういう関係にならなければいけない
 一番いいのはしょっちゅう飯をくう事
日本は言葉が下手、突然ポっといっても駄目(日本の大臣はころころ変わる)
昔はモロッコ、アルジェリア、チェニジア、レバノン、シリアはフランス語だった 最近は英語 になる

中東 歴史を大事にする 伝統、文化、歴史に誇りを持っている
日本人は自分の国の事を知らない   アラブ人は自信がブレーキになっている
ずっと昔から自分たちはイスラム文明で進んでいた ヨーロッパ人がやって来て自分たちを植民地にして
虐めてやった 本当は自分たちの方が進んでいる
その考えがどっかにある 日本は好機を逃したかも 日本は経済大国になって中東の平和に関係
するとか 人物交流とか、文化交流とかやっていれば
当時日本は影響力があった 今中東にたいしては中国に押されている しょっちゅう偉い人が行って
くれないと駄目
中国は貢献しているわけではない 資源がほしい 自分の影響力を広げたい 日本はあいての為に
やっているのだがあんまり相手の為にとか言わない
中国人はずうずうしいことを言う そこが違う ただアラブ人からすればどう言おうが石油を買って
くれて立派なものを作ってくれてそれでいい
今中国はそれが出来る 平和に貢献するということがないといけない 震災復興が終わっても今後
経済大国ではなく2流国 英、仏、独のした当りでやっていけばいい

日本には文化がある、観光資源がある、科学技術がある、日本は東洋一と
思わなければいい
63年ごろ日本なんて相手にされなかった 70年~80年になって相手にされるようになる 
やりようがあったかも知れないがアメリカの方ばかり向いていた 中東に対しては石油しか関心がない
安全保障の面では相手しません、なりません これではやりようがない
これではやりようがない


日本の若者が内向き(最近よく言われる) 世界はグローバル化している 社内会議を英語でやる会社
もある
中国とか東南アジアに行ってガンガンやれば機会はあるはずだが減っている
日本もスイスを目指せばいいのでは  軍備、科学技術、観光、ハイテク

2011年4月12日火曜日

高浜正伸(塾経営)       ・幼児期の教育の大切さ 2

 高浜正伸(塾経営)         幼児期の教育の大切さ 2
子供は長時間あるいはおもしろくないと飽きてします
思考力一辺倒の試験 積み木は良い 遊びのように使ってゆく 
フォトグラフィック メモリー (映像として記憶)

①言葉の力  何をやるにしても国語の力が充実してないと駄目 音声として知力が大事  
  意図が判る(会話が大事)
  聞いた言葉に対し正確に答えることが必要(言葉のやりとり) 
  自分の言葉だけ言うのは駄目
   次々自分の言うことだけを言う(会話にならない) 
  TV文化になってから特に悪くなる(画面を見ながら)
②考える力 結果の答えさえ合えば良しとするのは駄目(作業であって)  
  謎にぶつかる必要がある(分かった時の喜び)  
③思いうかべる力(イマジネーション) 発案 人の思い当らない考え 
  基礎体験の多さが一番大事
④試す力 人生に対する前向きさ 面白くなるように遊びをいろいろ考える 
⑤やりぬく力 ちゃんとやり遂げる人が遊びこんだ人が基礎になる 
 やりぬく事の面白さ 現代の子供は与えられたものを処理するのみ  
 完成させるまでやらせる

第二期(思春期) 親の言うことを聞かない 
どの師匠につくのか 部活の監督とか 空手の先生とか良い師匠につくのが大事
子供が持っている能力を思いっきり引きだす作業  父親学級が人気がある(真剣) 
女って馬鹿だと思っていたが私がバカでしたとの言在り
母親としてはねぎらいの言葉がほしい 美味しかったら「おいしい」 感謝の言葉
なにした 何したはくだらないと思っていたが、そうではないことに気がついた
地域力がない 縦のつながりがない(同一年代で構成してしまう) 
しゃべる場が必要

障害の子も塾に行きたい 受けいれてきた (でもなかなかない) 
学習指導 臨床心理士 力がある人達が応援している
息子の城太郎 脳障害がある 
朝の食事等面倒をみてそれから仕事に出掛ける
なんて豊かになったんだろうと思う 器が広がった
健常な子が障害者と一緒に経験する事はとっても大事

ミュージシャンが集まり演奏する (障害者が聞く) すごくぽかぽかした
長野の小学校で算数で塾の手法を取り入れてくれる(丸5年になる)
出会いでお互い認め合う (教育長と) 3校目までに広がる

2011年4月11日月曜日

高浜正伸(塾経営)       ・幼児期の教育の大切さ

高浜正伸(塾経営)         幼児期の教育の大切さ
3浪して東大を卒業 塾、家庭教師等のアルバイトをする 
受験の為に勉強に疑問 
人間力を高める事と確信 33歳で学習塾を立ち上げる
読書、作文、野外活動を通して10歳までに子供の意欲と思考力を高め、一人で飯を食える大人に育てる(自立)
自立、魅力ある人間を育てる
70万人 働けない人間 長期引きこもり 大変なこと 
合わないということで、会社を止めてしまう
原因 思考力 考える楽しさを身につけてもらう

問題文を読み切れない(国語力不足) 国語に力を入れる
母親 人との比較のなかで追いつめている (子供)  NGワードだらけ  
母親を変える 最大のテーマ
小さい子は野外体験が大事 外で思いっきり遊ぶ(命がけで遊ぶ) 
何にもないところから遊びを考える
家庭の会話が大事 言葉の環境がしっかりしている家庭が国語力が伸びる
五つの力
①言葉の力・・・・・・・・音声言語 聞いた言葉を正確に伝える 自分の言葉だけを言うのは駄目 
②考える力・・・・・・・・謎にぶつかる必要がある・・・判った時の喜び 
③試す力・・・・・・・・・発案 基礎体験量の多さ 
④思い浮かべる力・人生に対する前向きさ 
⑤やりぬく力・・・・・・ちゃんとやり遂げる  与えられたものを処理する

4~9歳・・・彼らはオタマジャクシ 群れでしか動かない 群れでひっぱてゆく  
発声が大事(大声を出す) 集中力もあるが直ぐ飽きる
5年生~高校生・・・若いカエル
父親 医師 母は看護師 次男  大変ないじめにあう(5年生) 
頭が大きいいのがじめの対象になる(クラス全員から)
母親がいじめに気付く→「あんたが元気ならよかとよ」と言われ、よどみが溶けた(安心)大きな経験だった

親がけんかに参加する人は友を失う 
(子供は自分たち子供の世界で解決しようとする力はある)
生徒会の演説で「私は頭のでかい高浜です 皆さんの脳みそより2から3倍はいっています」と壇上から言う→バカ受けする
翌日いじめがスパッと無くなる
いじめはカウンセリングとかあるが母親の無償の愛情があればきっと乗り越えてゆく
小学6年のとき先生から君は特別な才能があるからしっかり勉強しなさいと認められ、それから勉強を一生懸命する様になる

中学で県で何番かとのレベルになる 
高校は野球に夢中 3浪して東大に(1浪、2浪は町で暴れていた) 理系  
夢中でいろいろなものをたくさんこなす(映画、絵、囲碁、将棋等) 
教育か芸術 子供たちの出会いで幼児期の教育へ
基礎力を養えるのは10歳まで 
経験力が教育では武器になる

2011年4月2日土曜日

森 浩一(考古学者)       ・対馬、壱岐について

森 浩一(もり こういち、1928年7月17日- )は、考古学者。同志社大学名誉教授。専門は日本考古学
、日本文化史学   考古学研究の第一人者
魏志倭人伝のなかの 対馬、壱岐の事についての歴史情報の紹介 および卑弥呼が自殺或は責任
を取らされて亡くなったとの説を支持(松本清張が早くから唱える)
帯方郡(中国の出先機関がある場所)が当時日本に対して重要な支配する場所であった
子供の頃川へ遊びに行ったら、土器の破片を見つける 
他の人に聞いても分からず、自分で調べたことによって興味がわいたことが良かった
魏志倭人伝は中国人が書いた歴史書 3世紀の終わり 「陳寿」が書いた(日本に来たことはない)  
日本を書いた最初の歴史書 2013文字
びっしりと書いてるので、内容的には2~3倍ある  魏志というのは最初から丁寧に読まなければ
ならない
倭へ来て 倭の国 対馬、壱岐について丁寧に書いてある (朝鮮半島の国はミックスジュースのように
書いてあるが)

対馬は離島であり、大陸に近い 60~70km
日本ほど周辺の島の面白いところはない  
離島は中国、朝鮮にも近い(対馬等)、ロシアにも近い
(礼文、利尻)
九州北部 福岡、佐賀、熊本界隈のところを書いてある
大学4年の時 朝鮮戦争が始まる→大陸に行けなくなる→対馬に行く
宮本常一 民俗学者   農民が集まってくる 農業技術を伝達する 
山口麻太郎 民俗学者に泊めてもらう
倭人伝というのは紀行文であるなと実感した(活字だけではで目 実際に行ってないと研究にならない)
朝鮮半島の一番南 釜山の横にキンカイというところがありその辺りから船で出る「 海千里程渡ると
対馬の国に至った
帯方郡 東南の大海の中に在り 」  
帯方郡:現在のピョンヤンとソウルの真ん中ぐらい 中国の出先機関 新しく出来た触民地支配の役所
(いろいろと日本を支配する役所)
国々には都がある
朝鮮半島で作ったと思われる珍しい青銅器が一杯対馬から出る(九州の島ではあまり発見されない 珍しい物は対馬の人が手に入れている)
対馬の人の動く範囲は広い(朝鮮~九州、五島列島)

伊都国 一番多く書かれている
壱岐 対馬より田んぼが多い  
春の辻遺跡  遺跡が最近おおく発掘されている 国ユウ(大都市)
クジラの骨を使った道具が多く出る 捕鯨の壁画がある 鹿の骨 占いに用いる
カラカミ遺跡  弥生時代の終わり 都市としてにぎわった
壱岐寺 重要な寺であったらしいがどこにあるかわからない
対馬 私貿易が盛ん 「南北にシテキ(商業貿易)する」
奈良時代に対馬、壱岐の人達を連れて中国に行く(だから文化の通過点ではなく重要な都市であったことが伺える)

ヒロサキ銅矛(祭り用)の大半が対馬から出る 142本 壱岐には出ない
永富久恵氏 東アジア的眼配りを持った人 「対馬国史3巻」を出版した人
伊都国、那国当りでヒロサキ銅鉾の鋳型が出てくる(しかし銅鉾そのものは出ていない)
「倭人伝を読み直す」出版 →丁寧に倭人伝に則して読んでゆく 
北部九州と中央九州(後の熊襲)の対立の図式を解いで、それの役割を果たしたのが、帯方郡から
派遣された「張政」という役人 
張政が長い間滞在して 彼が狗奴国(クナ)と女王国との和解に努力した
倭人伝有名な個所 「卑弥呼 もって死す」 松本清張が早くから指摘していた事故があって責任を
取らされて死んだ場合あるいは自殺した場合
に使われる
岡本健一 中国の歴史書から何百と使用例に対して拾い集めたが同様な使用であった

2011年4月1日金曜日

三木稔(作曲家)        ・日本のオペラに命をかけて 2

映画音楽 360曲ぐらい作る 愛のコリーダの作曲もする 30曲録音の中から自由に使ってほしいと
連絡
その一つが「芽生え」 13弦の琴 2人で弾いている 
1969年  20世紀現代に見合った琴 五線譜と密着 20弦→21弦に変更(新琴 にい21こと)
アジアで統一してほしい 日本は500名程度(家元制度から普及しない) 
中国では200万人
和楽器が融合するためには五線譜に対応出来るようにしないと駄目
1977年 鳴門秘帖 NHKテーマ曲 尺八  全部日本楽器でやろうと決める
如何して日本にこんなにいい楽器があるのに使わないの じゃテーマだけ→なかも日本楽器で→OKとなる
音楽は聞いて馴染むことが必要 
その時マネージャーが何にもしなかった為日本楽器のうりこみは出来ず仕舞に終わった
ロンドンから(コリングヤム)から手紙が来る 天才的台本作者 お前みたいにオペラに向いた作曲家は
いないといわれる→一緒に仕事をしたい
春琴抄をてがけているのでそのあとでいいかという→それでもいい 「あだ」 2作目→9連作の
きっかけとなる

アメリカで大成功 次に何をやる→近松をやる→近松は事件記者もの なまの話→浄瑠璃 3作目 
それから書くに書いた
1993年にオーケストラアジアを作る それまで中国と韓国に国交がなかった 芸術監督になり人の3倍働く
共同作業をしなかったら何にもドラマは生まれない→共生共楽(一緒に存在することはできるが、
楽に境地までゆくことは共同作業をしょっちゅう
一緒にやってゆかなければその境地に行かないと思っている
「源氏物語」 英語と日本語 向こうで大好評 お前の最高傑作だとたくさんのひとから言われた
「浄瑠璃」とってもピュアーなオペラ 20世紀の奇跡だ   結果が出るのは100年先だと思っている
政治、経済、文化含め 日本はアイデンティティーをなくしてしまっている
レクイエム 合唱曲 三つ書いている それをやると音楽のジャンルの大体の人達が参加出来るように
なっている

音楽は最近停滞していると思ってる TVを見ててビジュアルなものが進歩している CG
音楽がビジュアルなものに喰われているというのは時代のせい 
不況になると易しいもの、分かりやすいものに行っちゃう
音楽は抽象的 自分のなかで具象になるのは時間がかかる 停滞にみえるのかも
やりたいこと 作曲家で演奏団体をつくった人はほとんどいないが、6つ作った (絶対損をする)
八ヶ岳のふもとで5年前から国際音楽祭を始める 後継者作る  北杜国際音楽祭 東西の音楽の
交流のメッカを作ろうと夢を果たしてゆこうとしている
アジアとの音楽交流を深めてゆきたいと、夢を持っている 
アジアと日本 日本と西欧と言う中に必ずアジアを介在させないと 
日本とだけではもうどうにもならないことになっている