2011年9月14日水曜日

桑山紀彦(代表理事)       ・国際ボランティアが被災者となって2

桑山紀彦(「地球のステージ」代表理事)  ・国際ボランティアが被災者となって
知らないひとからもメールやら手紙やら電話やら励ましがあり吃驚した
カナダから最初の支援がある カンボジア(今まで日本にお世話になったと、食事を削って救援資金
を送って来てくれた)、アメリカ
2年前からカナダとは公演活動をしており 国際クリニックを応援しようと立ち上がってくれました
熱い思いが直接伝わってきた  お互いの協力関係で成り立っていると思う  
カンボジアは我々に協力する
 
我々もそれをカンボジアに還して日本も復興に頑張ってるから
みんなも頑張ろうねとやり取りがあったとおもう まさに国際協力が今回も成り立ったんだと思います
こうやって人間て支えられ、支え合う 人間の本来の姿なんだなあと思いました 
どちらかが一方的に支えるだけと云うのはおかしい 
世界中が支え合っているいるんだと言う事が身近に感じることができた大切なきっかけだったとおもう
国内の問題と世界の問題は同時進行だと思う 地球は一つであり 世界は一つですから
 いろんなところで起きている問題に皆が一様に関心を持つことが大事
思いが同じであれば同時進行で良いと思う ある人はアフリカに、カンボジアにある人は名取に
でいいと思う 思いは同じですから

震災に協力することも大事だし世界に目を向けることも今だからこそ逆に大事なんだとおもいます
地球のステージ3月下旬に再開 今までは海外の支援が終わって作品にしていた 
今は現在進行形 いま語っている内容は来月には変わるかもしれない
良い方向かもしれないし、悪い方向かも知れない 
そして今語っているのは僕がいるその場所の事 非常に迷いもあるし、辛さもある
本当の事を現場から発信してゆく時期に来ていると思うので、皆さんにとってあの震災、津波は
何だったのかな 

それを考えるきっかけになればなと思ってステージ展開している
地球のステージでは名取の個人に絞って紹介しているが狙いは→人がどう苦しみ、どう越えてゆく
のかちゃんと具体的に知ってほしいと思った
許可を得て一人一人の復活の物語を伝えさせてもらっている 
特に僕が感銘を受けたのは漁師のふとしさんでした
太さんは親爺さんから船を受け継いで、2代目の漁師さんなのです 
だけど彼の船は津浪で流されてしまって、5kmやまの方に流されてしまった 
家も流された   僕が船を見に行ったら治せるんじゃないかと思った
当人に進言したがとてもそのような気持ちに成れないと云う 信じていた海に裏切られた
 悔しいという

自然の災害だからしょうがないとおもってきたけど本当に俺は悔しいんだと言うんですね  
太さん今悔しいといったよね その言葉を見逃さなくて
じゃあ太さん 悔しいと云う気持ちを忘れないでねと念を押す 
ある時を境に「俺 船を直す事に決めた」という 
もう一回あの穴を塞いで海に出てもう一回漁をやるんだと云いだしたんです 
確かに全てを奪っていった海だけど、いろんな事を与えてくれていた恵みの海だと云う事に気付け
たと思う  一度諦めたけどもう一回考え直してみたら
諦め無い気持ちが出来てきた太さんに教えられたし こんな人に成りたい
こんな風に復活したいと思った

食堂のお兄ちゃんの場合→食堂を失い、大切な彼女を失い、途方に暮れていた隆さんなんです
けれども、失った食堂跡から、
彼女からプレゼントしてもらった腕時計を発見 それが何と4か月間動き続けていたんです
 7月11日 ちょうど4カ月目に見つけた 動いている事の奇跡 これは天国に行った彼女から
もう一回プレゼントされたものだと
もう一回元気出して、もう一回人生を復活させようと彼は思えた 
たった一個の時計が人生をかえてゆく そんなドラマが被災地で起き上がっている
そんなことを伝えることによってやっぱり人間は強い生き物だ、諦めなければ必ず未来がやってくる
んだと云う事を感じてほしい

ステージでそのようなことを伝える事によって、今へこんでいる人や、もういいやと言って諦めかけ
ている人に そうか被災地でそんな事が起きているか
じゃあ俺もがんばんなきゃあ と思ってもらえればどんなにいいかな そう思って伝えるようにしている
痛みに耐えながらそれを伝えることがやっぱり僕たちの仕事だなと思うので、苦しい時も多いのですが、 
これが本当の被災地の姿ですとステージをいろんなところで開催出来ればと思う
震災から半年が過ぎて少しずつ記憶が薄れたり 本当はどうだったんだろうと心の中で整理を付け
たくなっている方がいるとおもうんですね
そんなときに被災地から生の声や音楽そういったものを加えたライブとして伝えてゆくことで皆さんが成るほど今回の震災、津浪は大変だったけどやっぱり人間は強い、皆復活してゆこうとしてるんだとそんな思いとともに納得して
帰って行かれるとおもいます(ライブでの客の感想として)

「君にあいたい」 歌
「歩いた道の数だけ 数えた雲の数だけ人は出会い 又別れ また立ちつくす 流れた風の数だけ
 流した涙の数だけ 
人はすれ違い やがて また人は夢に出会う   瞳閉じれば やがて そこに浮かび上がる
熱い思い乗せて また歩きだし 空より青くて 光を通すもの 海より広くて かけ替えの無い君に
会いたい」
消防車の物語→桜井歩さん 空港の近くで農業と駐車場を営んでいた 消防団員で熱血漢 
夏祭りは何時も汗だくになって地域を盛り上げていた
災害があった時に消防車に乗って2人の消防団員とともに駆け巡っていました 
その2日前の震災時、津波がこなかったのでおじいちゃん、お婆ちゃんが動きたがらない
腰痛、神経痛があるので 一人一人丁寧に説得していて、それで時間を食ってしまって津波に
流されて亡くなってしまいました

歩さんは助手席でマイクを握ったまんまの姿勢で亡くなってました 
歩さん達は人の命を救うために命を投げ出したのではなくてやっぱり誠実に生きようとしたのだと思う
自分に嘘のつけない人だから自分だけ逃げてたら一生後悔する事があの人たちは判っていた 
頑張り続けて踏ん張り過ぎて亡くなったんだと思います
そんな生き方をした人がついそこにいたんだと思うとこの消防車をスクラップにしちゃいかんだろうと思った
私が市役所とかけ合い貰いうけた 痛みがひどく塩水の為腐食が進む 病院の近くに設置する 
息子と友達が清掃する 
息子は津波による遺体、倒壊した建物等の光景を見てショックを受けたとおもう 
高3の彼はそれを見て変わった これは何とかせねばいかんと 
自分にできることは何だろうと あいつなりに考えたとおもう
 
それまで中々目標を見つけにくかった彼が一気にそれに火が付いていろんな事をするようになった
サッカー大会の企画、瓦礫の撤去、消防車の清掃 街を綺麗にしたい 
自分が出来ることは何でも手伝いたいと思うようになった
津浪記念資料館を建設したい 消防車を置きたい 建設目標二つの大きな意味がある  
①人々が自分の受けた被害をきちんと物語に出来る為の資料を提供する事
  被害を受けた人達はあまりに大きなショックを受けているので記憶が一部かけてしまう 
 記憶がかけているとそこが何時までも
  キズが原因になって 夜悪夢を見たりフラッシュバックに襲われる 

  記憶をつなげる事によってそれが無くなる  人に語れるようになる 
  そうすると心の中に整理が出来てもう二度と苦しいトラウマの記憶にさいなまれることがなくなる
  言われている
  そのための資料を提供したいんです だからこれは治療の為の記念館なんです
 治療の為の記念館です まったく今までのコンセプトと違う 
②物語を完成した人は誰かに聞いてもらいたくなる 奉納する事によって重荷を下ろす
  誰かが受け止めなければならない 受け止める役割が資料館なんです 絵として書いてみた、
  焼き物として創ってみた、詩に書いてみた、 受け入れる

 日々資料は増えてゆくはずです 膨大な人々の物語がそこに蓄積されてゆく  
 そしていつでも引き出せてそれを聞いた人が次に又自分の物語りを語ってゆけるそんな生きた
 ライブの資料館を考えている 
精神科医としての仕事がそうさせたのでは→正にその通りで患者さんに教えてもらった 
語れなくて苦しい人に聞いてみるとどうもあの時間の記憶が抜けているとかあのあとが思い
だせないと言っている
 写真とかを見せれば思いだすのかなあと思った 形にしたらビデオにしたら周りに見せられる 
患者さんからのヒントでした

心の傷の病は記憶の病と言われている 記憶が欠損してしまう事によって人々はトラウマに苦しむ 
だったらその記憶を蘇らせてつなぎ合わせ物語にして奉納する
この一連の過程をこの記念資料館が可能にすることによって人々が癒されてゆく 
そんなイメージが僕らの資料館の役割です  
ある人は云うかもしれない 寝た子を起こすなと 忘れてるんだから思い出させるなと しかし 
大きな間違いです 
無理やり蓋をしてしまっているから悪夢に苦しむ

ちゃんと引っ張り出して時系列に並べて語る事によって心の引き出しに入れる事が出来る  
そうやって人々は心の傷から解放される 
臭いものには蓋 諺はあるが その時は臭いは一瞬無くなると思われるが、中では腐敗が進んでいる  
膿になる ジクジクと 全身を蝕んでゆく 
そうさせない為に絆創膏を剥がし、膿を絞り出し、消毒をする 心の傷も同じです
津波の被災者の皆さんの為の資料館なのです 
心の傷はなにも震災によってだけではない 家庭内の暴力、犯罪の被害、さまざまなもとで人間は
心に傷を受ける そのひとたちにも来ていただきたい
そして語って物語にして奉納する言う事はどういう事か判っていただけたら それまで口をつぐんで
いた暴力の被害者の方が「よし 私もちゃんと語ろう 

そして心の傷をちゃんと癒そう」と勇気を得ることを期待している 心の傷は人間にとって普遍的
ものになっている
語るべき時が来た時には何時でも来て下さい(人によって語るべき時期はちがう) 
資金的な処で現在止まっている 市も宮城県も国もそろそろこういう話も出てきている 
ばらばらにやるのではなくてコンセプトは私達が、資金は公的なものそんなかたちでもいいと思います
募金活動も始まっている 必ず実現したいと思っている 
治療ベースにした資料館なので東北国際クリニックの近くに作りたい
見て見ぬふりはしたくない(目の前でずぶぬれのお婆ちゃんが居たら自分がどんなに疲れていても
 やっぱり人間として大丈夫ですかと一声かけたい)    
自分には嘘をつきたくないので  目の前のお婆ちゃんが「いかった いかった」と云ってもらえたら
どんなにいいかなと ただそれだけでやってきました 

今回の震災は目の前にいる人に自分は何ができるのか試されるとても大切なきっかけだったと
おもいます
そんな中で一人では無理だけど仲間と一緒だったら何とかなると教えてもらったし、人々の心に
寄り添って共感する 同感するってどういう事なのか
学ばしてもらったので これからの国際支援に活かしていけたらなと思っています
人間は困難に出会って試され、より一層強くなる生き物なんだなあと思う 
仲間が増えて絆が深まり、本当に知り合いが沢山増えました 
悪い事ばかりじゃない 失った事ばかりじゃない 得たものも沢山あるなあって最近特に思う 
津浪なんてこないに越したことはないけれども 来たらきたでその後いろんなものが 
増えていったな 前向きになれたなとつくずく思います
人間て困難が来たらじっと耐えながら きっとこれに意味があるぞと信じてゆけば やがて
プラスに転じる事が出来るものなんだと改めて思いました