2011年9月28日水曜日

野村進(ノンフィクションライター)     ・アジアと日本を見つめ続けて 2

野村進(ノンフィクションライター 拓殖大学教授) アジアと日本を見つめ続けて
「島国チャイニーズ」 中国人は日本に約70万人居る 日本国籍をとった人も入れると80万人以上 
と言われている
留学生別科を担当して中国人留学生と付き合うようになり、抱いていたイメージが崩れて、書いて
みようと思うようになった
6~7年前から執筆 会って話を聞いたのが200人以上(通常単行本を書く時はこの程度)
 取材した量の1/0~1/20程度が書かれている 
第1章 劇団四季 日本を代表するミュージカル劇団 かなりの中国人俳優が出ている 7人に1人は
中国人の俳優で主役級が続々と務めている
綺麗な日本語で話す 努力の凄まじさは驚嘆するよう 日本人が忘れている努力さ、向上心を
持っている

劇団四季 能力主義(浅利さん) 開かれた目を持っていた 
第2章 日本の大学で活躍している教授 科学方面ではニンさん(福島大学) 教授、准教授で
2600人ぐらいいる 中国、台湾を除くと世界一 アメリカより多い
文化大革命、天安門事件を乗り越えてきた人達 人間としてのスケール感を感じさせる  
80年代に来日して苦労して博士号をとる(50歳代後半の人達が多い)
女性、法政大学教授 ワンミンさん 専門が宮澤賢治研究 「雨にも負けず」を読んで日本人に対する
尊敬心が波のように押し寄せてきた という事
宮澤賢治の本を一番中国語に訳している人  日本に来るきっかけになったのは文化大革命で
選んだ先が日本で大学院を出て着々と教授まで上り詰めた方々
中途で帰ろうとしたが天安門事件が発生して帰れなくなった
  
当時は日本の方が条件は圧倒的に良かった
中国本土では失われた文化が日本では残っている 
それを発見する面白さが日本を研究する面白さの一つであるとの事
日中間の相互理解とかそういうのを進める上でもキーパーソンになるのでしょう もっと自分たちを
使ってほしいと言っている
自分たちも日本の社会に貢献したいという気持ちがあるのだから、良い意味で自分達を使って
ほしいと言っている
第3章 中国人の芥川賞作家のヤン・イーさん 元々と語学学校の先生 取材の動機は→芥川賞受賞
以前から取材していた 
中国現代史の激動の中を生き残ってきた人達 この家族を取り上げることで中国の現代史が
浮かび上がってくるだろうと云う意味もあった

文化大革命でインテリは迫害された人達 地主階級で差別された 
中国は日本と比べ物にならないぐらい階級社会 
彼は非常に優秀で知的瞬発力がずば抜けていると思った  
たくましさ 生き残って来て異国で才能を発揮した 
1年ぐらいで日本語をマスターした(日本語検定1級)
日本語で小説を書き始めて3年で芥川賞受賞 
第4章 留学生の反日感情  中国から来た留学生を支えている日本人も沢山いる 
中国に係わらず留学生は部屋探しに苦労している
反日だったら日本には来ていない アニメ世代 ポップカルチャーにあこがれて日本に留学したと
云う人が非常に多い  言って見れば日本大好き人間
バイト先でどうせ日本語は話せないだろうと日本人に替わってと言われるのが辛い
 彼らの心を傷つけている 日本人は狭量だと思う
 
日本が好きでやってきた学生たちを冷たい対応をして失意のまま返してしまうと云う事は
ナショナリスティックに言ってもマイナス 日本の国益にならない
愛国者だったら留学生を温かく迎えるべき 愛国者と排外主義は違う 
(日本の場合重なっちゃっている様)
反日デモのリーダーの一人がかつて日本に留学していたなんて事を聞くとやっぱりがっかりする 
第5章 中国人妻  山形は多い 今も子連れの中国人女性が多い
 残念ながら巧く行っていない場合の方が多い 最初から双方の目論見が違う
事前の知識が双方に必要だなと思う 
きちんとお互いの事情を知った上で結婚すればいいのだが、目的先行でお互いの事情を知らない
で結婚してしまい、巧く行かない
息子さん結婚相手がほしい、跡継ぎも生んでほしい
 
中国から来る人は新天地でリッチな生活をしてみたい 
中華動○学校? 取材 日本人のゆとりある家庭から子供を通わせている 
日本各地の中華学校の1割は両親ともに日本人 神戸の中華学校に限って言うと4人に3人は
日本国籍者 中華学校に通っているのは日本人が殆ど  理想とするのはかつての日本の村の
学校だと校長先生がおっしゃって、年上、年下の子がくんずほぐれつして 
育ってゆくような 先生と生徒の関係も 先生を尊敬し、生徒を厳しく教え導くみたいな 
そういう昔の村の学校が自分の学校の理想なんだとおっしゃって
逆に日本の学校が失ってしまったものを実践している
民族、国籍によるいじめ等がない 学級崩壊もない、しつけもきちんとしている 
日本語、中国語をきちんと教えてくれる ・・・日本の学校ではなくわざわざ中華学校に通わせている
かつて日本の学校が持っていた良さを中華学校が持っている 
 
池袋のチャイナタウン ここ10年ぐらいの動きで中国人が集まるようになってきた 
東北三省 (黒竜江省 遼寧省 吉林省)の人達が多い  (旧満州当り) 
中国の女性たちは総じて元気 いろんな困難を乗り越えて活躍している姿を最後にポジティブにと
 持ってきた
在日韓国朝鮮人の1世、2世の方々は日本国籍をとることに抵抗感が強い(かつての差別体験) 
在日チャイニーズの場合はそういう抵抗感が意外なくらい少ない
あっさり日本国籍をとるし、あっさり日本名に替えてしまう  
生年月日を聞いたときに昭和○○年と答える そういう人が実に多い
私自身、今の中国政府のは批判的なんですが、中国政府のやることなす事が気に入らないから
中国人と見るだけで、毛嫌いするのは真っ当な大人の対応じゃないと思う
政府のやっていることと人は分けて考えるべきで、私の対応は人に依りけりという対応の仕方を
している

メディアが作ってきた在日チャイニース象゙はネガティブなものがある まずは現実を知ってほしい 
そのうえで考えていただきたいというのが一番強い思いです
戦前、日本はアメリカに憧れてアメリカに行った 
着いた時には親米、好米だったが、処がアメリカで黄色人差別があり、日米間の対立が激しくなると
日本に対する親近感が強まってゆくその中で、戦争がはじまると彼らは強制収容所に連れられていった
 同じ敵国であるドイツやイタリアの住民に対してはそういう措置は
取られず、日系人にだけそういう措置が取られた  
当時日露戦争に勝利した日本に抱いた恐怖感とか得体の知れなさと同じようなものを今の日本人
は台頭する中国に
抱いている様な気がして、時代は変わるし、かなり違うが似ている部分も可なりあるなという事で
そこを書いた
恐怖の元にあるのは無智なわけです 

無智に基ずく恐怖は止めた方がいい ろくなことにならない  
まずは知ることから始めていただきたい
認知症の取材がかなり進んでいるとか→前の「救急精神病棟」というものを3年ぐらい取材して
書いたが、山形の精神科病院に重度認知症病棟がある
ある極限状態にある人の事を書きたいと常に思っている 
私の母が認知症という事もあるが、今まで認知症というと灰色のどんよりした重いイメージで
捉えられていた
この病棟を取材してどうも違うんじゃないかと もっと極彩色なカラフルな人生の最晩年に個性を
開花している部分もあるんじゃないかと そっちの見方から書きたい
非常にユニークなお年寄りに出会えたのでそれを出来るだけ再現したいと思っている

日本の森を歩いているが日本はアジアでも珍しい、世界でも珍しい森林に覆われた国 
7割近くは森に覆われている 日本の文化はそこから出発していると思われる
老舗の延長線上にある 老舗の文化を生んだのも森の延長線上にあるのではないかと思う 
人間以外のものにまで魂を見出すような価値観が日本の老舗には息づいているが、それは
やっぱり精霊信仰になっちゃうわけですが、森から来ていると思う
手っ取り早く言えば宮崎駿さんの世界から日本の老舗も生まれてきていると思う 
宮崎駿さんの世界を生んでいるのが森だと思っている
矢張り自分の関心を持った世界に入って行って、そこにいる人達の話を聞いて、自分自身が
少しずつ豊かになってゆく 内面的に豊かになってゆくような感覚がずっとある

まったく知らなかった自分が教えられていく過程で前よりもちょっとましな人間になりつつあるのか
なというそのあたりでしょうか
嬉しかったのは私のあるプロジェクトを担当してくれた青年がメールをくれた 
僕は在日3世なんです 野村さんの「コリアン世界の旅]を読んで自分が日本で生きていてもいいと
初めて実感として感じた・・・吃驚したが書いていて良かったなと思った
浅利 慶太(あさり けいた、1933年3月16日-)は、東京都出身の演出家、実業家である。
劇団四季創設者の一人で芸術総監督
1970年代から海外ミュージカルの翻訳上演を始め、中曽根康弘や石原慎太郎などの政治家との
関係を背景とした莫大な集金、集客力により、劇団四季を大劇団へと成長させる