2011年9月6日火曜日

齋藤孝 (明治大学文学部教授)    ・伝統に学び今に活かす

齋藤孝 (明治大学文学部教授)         伝統に学び今に活かす
<概要>
齋藤 孝(さいとう たかし、1960年10月31日 - )は、静岡県静岡市出身の教育学者。
明治大学文学部教授
教育スタイル論の提唱者として知られ『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)
が150万部を超えるベストセラーとなる
スタンダールゲーテドストエフスキーニーチェなどの世界文学やソクラテス
アリストテレス、『徒然草』や『奥の細道』といった古典などを大人は読むべきだという
教養主義が持論
専門は教育学・身体論。教育というものを広くとらえるために、日本語の言語能力や
コミュニケーション能力、健康法など扱うテーマは多岐にわたり、身体を基盤とした
心技体を持論としている
日本人の暗誦能力が落ちてきたんではないか テキストになるようなものが欲しかった 
声に出して読む事・運動の重要性を説く
江戸末期寺子屋 素読 明治時代に落ちてくる 戦後暗誦文化は衰えてしまう 
音読しない(なんども何度も音読することによって身体の中にしみ込んで一生の宝となると言う
プロセスの方が大事だと思う  
武道とかスポーツとか身体系の物をやってきたと云う影響もあるかもしれない
スポーツでは知ってると云うより出来るようになるのが必要 
自転車は乗れるか乗れない 理屈を知っていても出来なければ何の価値もない
本も声を出して読むことによって身に付いて来る 

 はっきりと身体に残る 大事な本等は音読する 刻まれる
音読をする事によって日本語らしさが身についてゆく 音読は徒歩の遠足のようなもの 
バスで行っちゃうと道端の景色は判らない 6時間で坊ちゃんを音読
すこぶる面白かった 感想の答え 子供たちが覚えてしまう 「すこぶる」 「はなはだ」等
の言葉
音読している時が一番頭が働く 考え事をしている時が意外と頭は働いていない 
 実際に身体を働かせる事で頭が働く  (川島隆太 脳の研究者 )   
日本語を大切にしようとする流れがあって本が250万部も売れたのではないだろうか
 背景には学校教育の日本語がお粗末にされていた

リズムが日本語にとって大変重要  口上(ガマ等) 、歌舞伎の台詞 宮澤賢治の詩、
風の又三郎 国定忠治の口上 等々 真似して云う文化があった
大学で学生に教えているが、学力は有るが覚えているものがない 
漱石、鴎外の時代は莫大な量の暗誦をしている 
素読世代(夏目漱石、森鴎外時代) 教養世代(白樺派時代) 漱石の世代は身体に
刻みつける様な読書をしていた 
精神の有り方の違いに出て来るんじゃないかと思う
幕末の頃の人は漢文を何度も何度も読んで覚えちゃったと言うんですね(福沢諭吉) 
漢字を読み解く力があるので難しい思考が出来やすい
寺子屋の教科書を復刊したことがある 

小学校1~2年生用 「子に教えざるは父の過ち 学の成らざるは子の罪」 
「仁者は憂えず、知者は惑わず」(論語) 
「仁者不憂、知者不惑」(論語巻第七 憲問第十四)
論語 幼いころから身につけさせたいと寺子屋の教科書は編纂されている 
論語と云うのはいろんな人生の文脈の中でふっと思い出される 
あっこれを言っていたんだと思い当たることが多い
「予(われ)は一を以ってこれを貫く」自分は一つの事を持って貫いているものなんだ 
「予一以貫之」(論語巻第八 衞霊公第十五)
の言葉を知っていると人生を生きていく上に於いて心が
ぶれそうになった時に「一つの事もって貫こう」と云うような気持ちが湧いてくる 
その引用力 なにか事があった時にさっと湧いてくるそういう言葉を子供たちに
幼いころから身につけさせたいと言う思いでこの寺小屋のテキストと云うのは編纂されている

手加減していない教育 大人も子供も基本テキストは同じ 
国として強さだったんじゃないか  
金言童子教』(きんげんどうじきょう) 寺子屋の先生が自分がこれを教えるのがいいと
いうことで人生訓となるようなものを451個選んで教科書にしていた
18世紀~19世紀に寺子屋が物凄く広まる 
日本中が教育熱で盛り上がるような状態になる
識字率、向学心の高さがその後の明治維新以降を支えた  
勝田祐義 1716年 に編纂したもの 柱になっているものは論語ですね

日本人の向学心の強さ、そしてそれを支える読み書き能力 
それが決定的に国際格で云うと高かったわけですね 
何故明治維新以降がうまく行ったのかと云うとシステムを導入できた 
言語能力が高い、言葉の能力が高いので理解力がある 
渋沢栄一がヨーロッパに行き金融システムを導入する 
銀行という建物、お札に吃驚するんじゃなくて金融システムを学んで銀行を作り金融システム
を導入する
日本は組織、システムを導入できたのは言語能力が高かったのでそれを理解した  
議会制民主主義 憲法もさっと導入してやれてしまう
明治維新を失敗していたら、半植民地になっていたかも知れない

江戸時代の人が明治維新を起こしている 戦後復興を支えた人は戦前に生まれた人 
とりわけ大正末年までの人達が主力となって復興、高度成長を成し遂げている
戦前は軍国主義でだめだったといわれるが、現実にはその方たちは軍国主義を
捨てたところでは凄く力は有った
以前の教育を振り返ってみるとかなり子供にも大人が読むようなものをどんどん与えてレベルの高い教育をしていた とりわけ江戸末期ははっきりしている
吉田松陰等は教育のされ方が凄い 小さい頃殿様に向かって講義をした 
幼いころ論語を中心とした技を身につけると精神の柱が出来ると思う
今現在の教育も決してレベルの低いばかりではないんですけれども精神の柱を作るような
教育になっているかというと必ずしもそうはいえない

精神といっても軍国主義とかと言っているのではなく トルストイの精神とかゲーテの精神
とかスポーツマン精神とかでもいいのですが 
言葉として何度も言って身につけるとその精神が自分の身体の中に根ついて来る 
それが日本のかつての強さだったんじゃないかと思う
幼児番組という先入観を取って やろうとした  子供たちはさっと受け入れた 
言葉を文化として捉える
野村萬斎に宮澤賢治の話を朗読してもらったら独特の世界が展開された 
狂言で鍛え上げられた姿勢、声、と文学的な名文との出会いが交流して新しいものが
出来た  
どういう声を聞かせたら赤ちゃんが泣きやむか実験したことがある 

狂言師が話し始めると 赤ちゃんがなきやむ
幼いこどもは素直に古典文化(能、歌舞伎、謡曲とか)受け入れる 
小さい頃から古典文化に触れると自然に日本に対する愛情が湧きあがってくる
愛国心みたいなものを言われるが矢張り基本は日本の文化という者を自分の身体の
内側で感じて「ああ日本人に生まれてよかったな」と思うのが、自然だと思う
幼いころから慣れ親しんでいないと血となり、肉とならない 日本人の感性が身に着く
何歳になっても音読することによって良さが判る 
谷崎潤一郎の春琴抄を1ページでも音読するとあーとんでもなくいい日本語だなと思う
 谷崎は天才なんだと思う

音読していいかどうかという事になると 谷崎、島崎藤村 三島由紀夫 (金閣寺を音読)
 彼らは天才だと思う  音読した時に違いがはっきりする
古文が嫌いだと云う人はそれの良さが判っていない 
ほんの短いものでいいから暗誦してみるとその良さがはっきり判る
高齢になった方も古典を音読してみる事が必要 本当にいいものを完全に身につける
 究極が南無阿弥陀仏 精神を整え直している(阿弥陀仏にお任せします)
名文には精神が流れている それを音読することで自分の精神を整えなおして生気を
与えると云うか命を復活させると云うか  出来ると思う

「学問のすすめ」 一心独立して一国独立す 独立気力なきものは必ず人に依頼する  
自由と我儘との堺は他人の妨げを為すと為さざるとの間にあり
宮澤賢治 「ただ一番の幸いに至る為に、いろいろの悲しみもみんな思し召しです」 
(銀河鉄道の夜にかかれている) 妹のとし子の死により触発
「僕はもうあのさそりのように本当にみんなのさいわいの為ならば僕の身体なんか
百辺焼いても構わない」 
「世界の全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 
宮澤賢治の言葉というのは普遍性を持っている 
時代を越えて心に直接訴えかけてくる 
「僕はきっと出来ると思う なぜなら僕らがそれを考えているのだから」