2011年12月24日土曜日

谷口浩美(元マラソンランナー51歳)   ・転んでも踏まれても立ち上がれ

谷口浩美(元マラソンランナー51歳)                 転んでも踏まれても立ち上がれ  
1992年8月9日 「こけちゃいました」・・・スペイン バルセロナで開催されたオリンピック (20年前)での出来事 (転んでしまった)
2012年 ロンドンオリンピック    オリンピックハプニングショーでそのたびにマラソンで走っていて転んでしまった場面を放映される
東日本大震災で 南三陸町に行ったがTVで見るのと実際の景色は全然違う 
大きな事であれすぐに忘れてしまう(ノートに1ページごとに1歳、2歳・・・現在の自分の歳 まで書いてその年にどのような事が有ったか書いてみる 
そうすると意外と覚えていない 重大な事が有っても)

1976年から小林高校に行く 全国高校駅伝 1年から3年まで走る
1年で3区を走る 人の多さと自分自身が判らない 
谷口の為に負けたと皆の前で先生から云われた
(その場に母もいて泣いていたのを記憶している)
自分の失敗を覚えておかないと成功はない 2年、3年は優勝した 
3年の時に先生からキャプテンをやるように云われたが出来ませんと云う
先生は「役が人を育てるから」と言われる  
何で連覇を導いたかというと NHKの宮崎放送が小林高校の取材に来た
 
その映像の中に その合宿の時に先生の奥さんが朝食を作っている時に 奥さんがキャベツを切っていたと思うが 無言で切りながら涙していた
それを我々選手が見ていて よし 今度の優勝は奥さんの為に頑張ろう と思った
(ここで初めて人の為に頑張ろうと云う事がどういう事なのか 私自身学びました)
自分の為に頑張ることは大事なんですけれども 自分のこと以上にこの人に掛けて頑張ろうと気持ちを作ると云う事はもっと難しいけれども 出来ることかなあと思いました 
もしNHKの取材と放送が無かったら駄目だったかも知れない 
皆が一つになると云う事はやっぱり不足分を感じないと成果は無いと思います
 
本当はオリンピックには行きたいとは思っていなかった 
将来成りたかったのは小林高校の監督だった 
高校で日誌を書くようになる(先生に提出するための日誌)
その後は自分の為に書くようになった 
日体大に行く 小林高校の監督になるために 箱根駅伝 で1年の時は走れなかった 
2,3,4年は走れた
区間賞を取って4年の時は総合優勝した 
1年のときは先輩の使い走りで生活に慣れなかった
 
大学では自分で考えて自立する という事を学ぶ  
教員採用試験を受けるが通らなかった 旭化成に運よく 
入れてもらった(教員になる為の足掛りとして2年間で)
1983年に教員採用試験に行ったが矢張り落ちてしまった 
別府大分マラソンにでて初優勝した 
昭和59年に其の実績を持って試験を受けるが落ちる
(ロサンゼルスオリンピックの年) 教員には成れない事を自覚する  
福岡国際マラソンで2時間10分1秒で2番になる 
そこからオリンピックという目標のスタートになった

自分を律する自立が必要 ・・・マラソンをしたから自立がスタートしたのかも知れない 
練習しないと駄目 マラソンでは事前準備が如何に大事かが判る 
アトランタオリンピックは主将を務める
ソウルオリンピックにはいけなかった 陸上を止めようかと思った 
選考会は私にとって7回目のマラソンだった  準備はパーフェクトに出来た 
福岡で泊っていたら外は雨でした 時折雹がまじって降っている
体脂肪は3%しかなかった 雨が身体にかかっただけで筋肉が収縮してしまって駄目だった
寒さに負けてしまって6番  東京マラソンでも大失敗をする 
其の内容を放映される それを見ていた 
映像から写しだされる悔しい顔の映像は宗兄弟の顔だった 
 
これを見てこれから旭化成の後を引っ張ってゆくのは自分しかないなとこの兄弟をどうやって 笑わせてあげようかな(結果を出して)と自分の中に芽生えた  
小林高校の時代にこの人の為に頑張ろうと思った経験があるから そのような思いに至ったのかなと、もし見なかったらここにはいない 
自分一人で頑張ると云う事の中に人の為に頑張ると云うのは ここにいらっしゃる皆さんも経験が有る方もいらっしゃるかと思いますが、何かの為に頑張る 
誰かの為に頑張るというのは 自分では計り知れない力を持っています 
皆さんがそれぞれ持っています  
でもそのタイミングが合うか合わないかというのは差が有ると思います  
やり続けてゆくしか結果は出てこない
 
自分が窮地に陥っている時には周りが言葉で助けてくれたり物心的なもので助けてくれたりしますけれども いつまでも待ってたら全然解決しないと云う事です
自分が動いて初めて 動いてもできないと云う事に気付いて それから動くと云う事が出来はじめて 初めて自分の足で自分の言葉で動きだした時が、初めて自分というのが見えてくるかなあそれは凄くソウルオリンピックに行けなくてよかったなあと思います  
だからその後は世界選手権とかバロセロナ   
(バルセロナの3か月前に疲労骨折を起こしていて1カ月半ぐらい入院していた  
隠してくれた人が沢山いた 世間の漏れていたらバルセロナのスタートには着けなかった) 

バルセロナであそこで転んで そこで止めようと云う気持ちはまったく無かった 
転んで飛んでるときに自分の靴がどこに有るかというのは走りながら解っていた
私は良き時代に生まれたなと思います 
昔の生活様式を少しでも真似すると云う事は身体にいいと思う
(例えばトイレはもう駄目だが和式は足を鍛える)
出来れば1年、1年のなにをやったかな 遊び感覚でいいのですけれど そうすることによって じゃあ あれをやってないからあれをクリアしてみよう
というような新しい目標 課題が見えてくるんじゃないかなと思います