2011年12月8日木曜日

多湖 輝(心理学者85歳)     ・気持ちが決める私の楽老人生

多湖 輝(たご あきら 心理学者85歳)  気持ちが決める私の楽老人生
<概要>
東京未来大学名誉学長。千葉大学名誉教授。多湖輝研究所所長  
クイズ本「頭の体操」シリーズはベストセラー
「楽老の進め」 公職は75歳で終わりになる 講演会の時はあまり用意せず 相手の顔色を
観ながら話の内容を調整する(易しく 或は難しく 話の方向等)
寄席で話し方を学ぶ 裏技がある 
前の方が一般的に席が空いている はい 皆さん 恐れ入ります 荷物を持ってそのまんま
立っていただけませんか そうすると全員立った
そのまんま前の方にどうぞお詰めください と言ったら 全員が抵抗もなく空いている席に移ってきた 
これは凄いやり方だなあと どうしてこうなったかは心理学に関係してくる
  
1926年生まれ(大正15年)(昭和元年は数日しかない) 大正天皇が亡くなったのは12月25日なので
大正デモクラシーの良い時代に少年時代を過ごした
20歳の時に徴兵検査 乙種合格 理系は兵隊に行かなくてもいいという制度ができて兵役は免れた
スマトラ島で生まれた 2歳の時に帰って来た 当時オランダ領だった 
子守唄を歌ってくれたばあやさんがいた その歌を不思議なことに今でも歌える
耳にこびりついていたので 幼児教育というのは凄い威力があるんじゃないかと考えています

 「三つ子の魂百まで」
後になってソニーの創業者井深大(まさる)さん等と幼児開発協会(財団法人)を作り 0歳児からの
教育が如何に人生にとって大きな意味を持っているのか
そういうような運動をするようになってきた  受容(リセプター) 受けるほうの感覚器官 
とかいろんな能力は子供は非常に発達している
段々進んできて生れてからでは遅すぎる という事になった 胎教ですかといったら そうだよ  
お腹の中の赤ちゃんに名前を付ける お産のやり方
つまずいたりしたときに ごめんごめん 怖かった? もう大丈夫よ というそういう気持ちで 
赤ちゃんを産んだお母さんは絶対うまく子育てする

ピアノを弾く方でそのピアノを弾く時にはいはいして子供が脇に来ていた 
そのお子さんがやがて演奏家になったり 私の祖父が私を抱いて必ずお経をあげるんですね
それが日課だった ある種の刷りこみみたいなものですかね  
それが仏教に対する本当に根幹というか根っこにそういうものがありまして 神社仏閣に行くと
必ずお参りをするというような 自然にそうなるんですね 17年前に得度した(お坊さんの資格を取った) 
いろんな宗教がありますけれども 日本の仏教というものは なんでも抱え込めるそういう広さを
持っているから 世界にもしも平和な日が来るとしたら
これは矢張り仏教的な思想、哲学 そういうものじゃないかなということで 少し 少年時代から 
倉田百三さんの「出家とその弟子」から始まって
いろんな本を読んでいましたし 0歳児からお経を聞いていたし そういう事から私にそんな気持ち
が育って行ったのかなあとそんなことを考えまして
ますます私は幼児教育というもの本当に大事にしなければいけないと思うようになった

還暦の時に「60歳からの生き方」という書物として出したんですけれども 大雑把に言いますと 
還暦 リセットボタンを押して新人生をスタートする そういう時なんだと 
古稀 古来稀なりとはもう昔の話で 70歳は昔は稀であったとおもわれるが 今はいにしえは稀で
も何でもない 喜寿(77歳) ダブルラッキーセブンと思って
通り越せばいい  傘寿(80歳) 私は傘など要らんよ 陽のあたる道を歩けばいいんだ 
と云っている  半寿(81歳) ようやく半分まで来たか と捉え
米寿(88歳) 米も食べたいけど御馳走ももっとどんどん食べて大いに結構だと そういう風に
受け取れば 米寿でもまだまだ先があるさと考えられるだろう

卒寿(90歳) 人生に卒業なんて有るものかとこういう風に そこを通り越す  白寿(99歳) 
少し白髪が増えたかなと云う人もいるし 一本もないかも知れないが
笑い飛ばして生きればいいんじゃないかと 百(もも)寿(100歳) 茶(さ)寿(108歳) 煩悩の数 
原子の数 四苦八苦 (36+72=108 駄洒落だが)
昔寿(120歳) 天寿 天国からお迎えが来たらそろそろ旅立つことにしようと 
そういう気楽な気分であの世にいけるんじゃないかなと 私など人生半ば
40歳のときに 1日1万歩 歩くと健康になる  歩くのを測れる道具を作ろうとするがなかなか難しい 
運動と言うものは計画的にやらないと駄目 財団法人 つくろうと そして一体自分は何歩、
歩いているのだろう それを測れる道具があって初めて運動は成立する

専門の先生(東工大教授)の処に行ったら 研究の合間 合間でやってるので出来ない  
有る会社の社長にこの話を持ってゆく(3週間待ってくれとの事) 
3週間で作って来た(懐中時計式) 話を聞いているうちにこれはアメリカに有ると思ってアメリカに
飛んだ それを買ってきてばらして自分の処で作った
それを健康法として新聞のコラムに書いたら爆発的な人気で ちっぽけな町工場だった会社が
大きなビルを建てちゃった 凄い勢いになった
其の時に皆から疑われた 歩け歩けと盛んに云っているけど 君の生活を見ていると車に乗って
歩いてないんじゃないかと まさにその通りでして
忙しくて歩いている時間が無かった  其の時に歩けと言ったけど歩くとは云ってなかったと 
誤魔化す 財団の人達は私より年上だけど矍鑠(かくしゃく)としている
最近はゴルフをやっている エージシュートを達成した
 
宣言すると言う事はいい事 言ってしまうと周りからの目が有るので一生懸命努力する
戦争を挟んでの人生 ながかった 私の仲間がどんどん亡くなって行った 
終戦の年の3/10未明 下町がやられた 
父親が14日に亡くなり 木場もやられて お棺がない 押入れの戸板を外してつくる 
焼き場に入ったら驚いた 遺体をトラックに満載 どんどん降ろしていた
きまりが悪く早く焼いてもらうようにしてもらった
兄が軍人で昭和天皇を守る部隊で割腹すると思い 8/13に話して生きようという 
(軍刀を磨いでいた) 

兄を呼びだして 兎に角死ぬな 生きて日本の将来を作っていかなくてはいけない 
それだけを言い残して新潟(実家)に行きお寺に行って座禅を組んだりしながら 
考えたり結構な時間を過ごした  友人がわざわざ迎えに来てくれて お前どうすんだ 
学校は普通通りやってるぞと 兎に角帰ってこいと 何の悟りも開かずに
自宅に舞い戻った 理系の仕事をしなくてもいいので何か無いかと思い 
たまたま拾った命だからなんか楽で自分らしく適当に生きられるようなそういう道は
ないものかと考えて それで文学部に行こうかと 哲学科 心理学 に入って 講義を聞いたときに
やっぱり失敗したなと思った頭が理系の頭になっている
哲学は論理の展開が証明無しに膨らんでゆくと言うそれが聞いててちょっと違うのではないかと
思いだして たまたま掲示板に心理学の実験を受ける人は教室に来いと
文学部で実験をやっている教科があるんだと 心理学の道に進むことになる

ねずみを使った動物実験だったので 矢張り違うのではないかと 人間は泣いたり、喜んだり、
悲しんだり そういう生きた心理学 それが人間の心理なのではないかと
私はフロイトとかそっちの方に傾いていたものだから そいうもので卒業論文に書くのは反対である
と先輩諸氏から云われる
論文変更する→要求水準をどの辺に置くかによって同じ結果が出てもそれの評価の仕方がまるで
変わって来る(よしとするか不満とするか) ・・・というテーマに変更した