2012年1月17日火曜日

津野海太郎 (評論家)      ・若者雑誌から電子書籍まで本と時代を考える

 津野海太郎 (評論家・和光大学名誉教授73歳)若者雑誌から電子書籍まで本と時代を考える  
福岡県生まれ。本姓・鈴木。早稲田大学第一文学部卒。2009年まで和光大学教授
1962年に『新日本文学』の編集者となる。1965年には晶文社に入社。1998年まで、晶文社の編集責任者

1960代から70代にかけてジャズ、映画といったサブカルチャーの本や雑誌を手掛けるなど編集者として活躍しました 
パソコンやインターネットと出版の有り方など考察するなど、本と時代とのかかわりをテーマに評論活動を行っています  
1962年が大学 最終年  昭和20年 1年間に出た本は260冊ぐらい (日本中で) 
焼け残った本を見ながら育った 本に対する飢えが有った
昌文社に入社 出来たばっかりだった 若い人達は新しいものに価値を見出していた
活版印刷 鉛の活字を拾うやり方 書籍の編集者になる 
60年代から70年代はメジャー マイナー企業との考えはなかった 

何とかして新しい読み物を読みたい との考えが有った  
占領下の時代には欧米の本を自由に出版すると云う事は出来なかった
装丁は当時編集者がやる(画家に依頼するとか)  デザイナーは殆どやっていなかった 
杉浦康平さん 優れたデザイナーで一緒に装丁をしたら出来が素晴らしかった
平野甲賀(武蔵野美大)が大学時代に特選を貰った 
或る縁が有って知り合って 昭文社で装丁の仕事をやってくれないかと言って仕事をしてもらう 彼一人に装丁等を全部任せる事になる   
サブカルチャー ジャズが始まりですが ジャズの本、映画の本 ロックの本 ミステリーの本とか系統的に出し始めた 平野デザインと組み合わさりながら出版社のカラーが出来てくる 
売れてる部数は変わらなかった  ハードカバーで出す

映画ですと淀川長治 植草甚一 小林信彦 等文庫本を1冊程度しか出していなかった  
大手は小説とか思想的な本とか自然科学 とかは出すが柔らかい本は出さなかった  
植草甚一 ジャズに付いて書き始める 植草さんはありとあらゆる事をやっている  
ジャズ、映画、ミステリー、酒 、おしゃれの話 競馬 都市文化のあらゆることに関心を持つ のめり込む 
小さな雑誌、ビラみたいなものに書かれるが 発表したまんま 切り抜きのまんまで終わってしまっていた  
そう言ったものを集めて再編集すると20世紀の都市文化の百科事典みたいなものができるんじゃないかと思って 話にいった
60年代 高度経済時代の始まり  淀川長治さん等の時代はダンディズム 
その時代の感覚が60年、70年代の若者(団塊の世代)と結び付いた

1973年にワンダーランドが発売される AB版 映画、音楽有 総合カルチャー的 元々は新聞の形にするつもりだった 綴じないでローリングストーン ロックカルチャーの新聞形式 の日本語版を出さないかと言う事で片岡義男を呼んで 編集部を作ったらその権利を持ってないと云う事が判ってしまった  
他が取ってしまっていた 止めるわけにもいかず新しい雑誌を出すことにした 
植草さんを中心に進めた
当時の20代には人気があった モノクロのもの 係わったものは初期のころ 
商標登録をしてなかった 4号目から宝島に変更したが売れなくなった 
オイルショックとも絡む  10冊まではからんでいたが、止める事になる  
今は雑誌が一杯出るが 広告中心的になる 読者に合わせて雑誌を作る 
私の時代には自分の思っている好みで作っていた
自分たちがやりたいようにやる事が再評価されている