2012年4月9日月曜日

加賀乙彦(作家82歳)        ・希望ある未来を望み見るために

加賀乙彦(作家82歳)  希望ある未来を望み見るために
1929年、東京市芝区三田に生まれる  パリ大学サンタンヌ病院、北仏サンヴナン病院に勤務
東大、医学部を卒業後 東京拘置所で医務技官をしていました  フランスに留学  
38歳で「フランドルの冬」(フランスに留学の経験を書く)を出版してデビューしています
精神科医から作家への道、一人の死刑囚の係わりから生まれた「宣告」について伺います
1979年から文筆に専念。1987年のクリスマス(58歳)に遠藤周作の影響でカトリックの洗礼を受ける
ここ数年で2つの大きな出来事があった  
ドストエフスキーの不幸が列をなしてやってくると言う言葉で要約しているが 妻が或る晩に亡くなりました
全然死ぬと言う前兆がなしに 九州旅行をする時に、私が先に寝て トイレに起きて見ると妻が
まだ寝ていない なにをしているのだろうと行ってみたら いない

大きな声で読んでも答えが無い 風呂場に行ってみると水に沈んでいる 身体が冷たい 
人工呼吸をやってみたが駄目だった
110番する(変死と判断した)  外傷はない 病気で亡くなるとしか思えない 
解剖して貰いたくないと要望 脊髄液が真っ赤 くも膜下出血と判定された
全く予期できなかった 70歳の誕生日を過ぎたばっかりだった(私が79歳の時)
私が先に行くと思っていた
2年後の正月に文芸協会理事会の新年会で今度は私が倒れた 
約10秒ぐらいだったと回りは言うが、 直ぐに目がぱっと開いて、主治医に携帯で連絡して
どうしたらいいか と問い合わせる 東京医科歯科大学にタクシーでゆく(救急車を呼ぶよりも
早いとの判断) センターにつくと又5秒ぐらい倒れる(心電図を付けた時)

心臓細動 速く動き過ぎる 疲れて止まってしまう  心臓がゆっくり動くと又具合が悪い  
心臓細動を止めるためには心臓の中に有る電気の核が9つあるが
そのうちの3つを潰せばいいと言う事になった  その手術をする  
ペースメーカーの装着の手術  2回の手術をする
3/11に病院に行ってペースメーカーの状態を見てもらう為に午後1時に行って2時ちょっと過ぎに
大震災になり 術後なので余り歩けない タクシーは来ないので仕方なく
歩いて普段なら10分で帰れるところを30分かけてようやく帰って来る  エレベーターも止まっている 
9階なのでゆっくりゆっくりやっと着いたが家の中は惨憺たる有様
11階の仕事場は本が散乱してしまっており5000冊が山のようになってしまっていた  
憂鬱な状態になった

医務技官とは→2000人以上いる人の診察、治療をする   死刑囚には非常に拘禁反応というか 
興奮したり 笑いながら泣くと言う非常に不思議な症状 
文献調べたら出てきて(ドイツ)、所長さんにいって、監房の一人一人と話をしてみる  
最初は変な医者が来たと思われたが、毎日話すうちに段々相手も慣れてきて
色んな話をしてくれるようになった  家に帰って記録を取る作業を続けた  
そのうちに日本の死刑囚全部と会ってみたいと言う野望を持ちまして 掛け合って
研究を許してもらった  約100名を2年間で見る  最後に気がついたのが死を前にすると人間は
非常にいろいろと反応を示すものであると言う事
反応は人によって違うが有る種の傾向は決まっている  無期囚はどうなんだろうと思って調査した
未刑囚は死刑囚と同じような反応をする

無期が確定した無期囚は全然違う 50名調べる 大人しく、従順でちょっと卑屈で 死刑囚とは
全然違う人間になってしまっている
論文を書けると思って、フランスに留学中にデータをもとに更に研究を重ねた  
人種を越えて同じような反応を示す   150人ぐらいになる 
死を前にした人間は死を恐れて 病気になったり、拘禁ノイローゼになったり 鬱病になったりする
ものだと思ったが その理論に全然乗っからない人が居るんですよ 
正田昭 昭和28年にバー メッカ殺人事件 慶応出身の秀才 美男子が強盗殺人を犯したと言う事
で大騒ぎになった事件
彼だけは理論に合致しない  彼は獄中で洗礼を受けて カトリックの 菅藤神父という人 
正田昭に洗礼を施してほどなく亡くなりそれを聞いて非常に彼もショックを受ける

留学制度への試験に合格してフランスに行くことになる(28歳) 帰ってきて東京医科歯科大学の
助教授になる 犯罪心理学教室 犯罪心理学雑誌の編集を
教授から命じられて その中に死刑囚の心理を書いてもう事になり 正田昭に頼んだ  
手紙のやり取りを頻繁にやる
その中でカトリックのキリスト教についてのほんを読んですっかり犯罪者の時とは違う大人しい
人間になっていた
先生の様だと言うような感じ  正田昭が40歳になった時に突然刑が執行されてしまった 
その頃ようやくフランドルの精神病院での経験を小説にしてだした 
正田昭を通じて文学と医学の関係を考えざるを得なくなった 
  
刑が執行された後にある学校の先生から手紙が来た 正田昭との間には3年間に渡って文通したとの事 
私にも手紙を見せてもいいとの内容が有り、是非見せてほしいと頼んで見せてもらった 
姫路へ飛んで行った 3年間に600通に上った
読み始めて吃驚した 正田昭の手紙には私が彼と交わしたことはカトリックについての話とか
インテリ的な話であったが そのNさんに対してはまったく違って
柔らかい調子のユーモラスな 文章 ユーモアが有るとはまったく私には判らなかった 
獄中の事も詳細に書いてある 人間と言うものは判らないもんだと 
もう一つ転換があって お母さんから手紙が来て 正田昭の獄中の日記を全部先生に差し上げて
もいいとの事 彼の読んだ本もぜんぶ頂いて 膨大なノートに日記が書かれており
それを読み始めると それを読むのに3年掛った
  
実に細かく実に精密に本を読んだ感想とか カトリックの信仰についてとかいろいろなことが書いてある
一つNさんへの手紙と違うのは一人でいる正田昭と言うのは誠に嘆きの多い 
自分はまだまだ至らない人間であり、 時には神の存在を認めない
そんなことまで考えていたのかと 第3の男の存在が出てきたんですね   日記の中から    
哲学者のような面もあるんですね
彼が読んだ本 ハイデガー スペインの十字架のヨハネという神父がいるが その人の作品、著書に
ついての考察とか 悩める正田昭  私に対しては敬虔な信者
Nさんに対しては明るい、まるで子供のようなやんちゃな正田昭  最後に自分一人になって毎日
悩みに悩んでいる正田昭 これだけ人間というのは違う

死刑囚に対する私の研究なんて言うものは、非常に表面的なもので何らかの価値はあるかも
知れないが心の奥底までは見ていないと言う事を反省しました
と同時に、人間と言うのは良く分からない 父と母或は母と子 何でも知っているようには思って
おられるような人が多いですけれども 母が自分の子供についても中々判りにくい
逆もそうであって 人間がお互いに知り合うことがどんなに大変であるかという事 精神科医として
勤めてゆく資格がないんじゃないかと思いましたね
その過程をいろいろ調べて結実したのが「宣告」  正田昭を数年に渡って全部読んで、
自分なりの思索を加えて 彼の信仰の奥深いところにどんなものがあるかと
自分なりに考えていって その神の問題 信仰の問題 当時学園紛争があって全共闘の人達の
問題 いろいろな種類の死刑囚をまくらにして、正田昭を主人公にして
刑が執行される間の4日間を書いてみた  冒険をした小説だと思っている