2012年4月26日木曜日

小川三夫(宮大工)        ・わが心の人

小川三夫(宮大工) わが心の人
小川 三夫(おがわ みつお、1947年 - )は、日本の宮大工、寺社建築専門の建設会社「鵤工舎」の
創設者。宮大工西岡常一の唯一の内弟子
22年栃木県生まれ   22歳西岡常一さんの内弟子となる 30歳で独立し、以来寺院の建築や
後進の指導に当たってきました
いかるが工舎を作って35年になる  巣だった弟子は100人になる(基本は10年の修行であるが 
7~8年で終わってしまった人も含める)
かんな屑 薄い物を削るのには1年程度でできる  

西岡棟梁から教えてもらったのはかんな屑 1枚だけだった 
西岡棟梁のところに弟子になるため18歳で行ったが 歳が食ってしまっているとのことで断られる
奈良の方輪寺で三重の塔を作るので一人ぐらいはめんどうをみられるから来なさいと西岡棟梁から
手紙が来た(4年後)
行けば必ず道具を見せなさいと言われるが駄目だと言われる  
道具の究極の磨ぎ方をしないと駄目 見て学ぶ  職人は教えてもらっても駄目
切れた味を覚えて磨き方を一生懸命にやる様になる   中学卒業してすぐでないと遅いというのは、
自分の身体の成長とともに大工の身体になります

成長が止まってから習ってそういう風になるには習うのが大変ですよ  
まず体つくりからするには15歳ぐらいからやりなさいと言う事ですよね
今は先ず知識から入ってくるのでつまらなくなって止めてしまうのではないか
修学旅行で法隆寺にいって この建物は1300年前に建ったものですよとの説明があり 
どうして1300年前にこんなに大きな材料を運んできたのか
塔の上の双輪はどうやってあげたのかと そう思っているうちに この仕事をしたらいいので
はないかと思った  宮大工をやろうと思った
奈良の県庁にいって宮大工を紹介してもらったら 法隆寺の西岡さんの処に行きなさいと言われる
 
西岡楢光(父親)  棟梁 常一(長男) 楢次郎(次男)
断られて長野県飯山で仏壇を作っている処があり宮大工に近い仕事と思いそこで1年間仕事をする
その後法隆寺に行ったら 島根県の日ノ岬で図面書きの仕事があるのでそこで図面書きの仕事を
やってこいと言われたので日ノ岬に行って文化財の仕事をして3年がたった
そして内弟子として住み込むことになる  TV等は一切見ることなく刃を研ぐことに専念する 
或る時に棟梁の息子が浄瑠璃寺に行こうと誘ってくれる  
帰ってきたら西岡棟梁が草刈りをしていた   その草刈が力が入っていて尋常ではない
腹が煮えくりかえっているのだなあと思った 見に行く時間があるのであれば刃物を研ぎなさいと
思っているのだろうなあと思った
見る目が無いのに浄瑠璃寺に行っても何にもならないと考えているのであろうと それ以降一回も
行っていないですね  言葉では絶対に言わなかった

弟子は自分が持って行っては駄目 弟子に成ったのだから
薬師寺の三重塔ができたころに (30歳)独立を考える 
自分では飛鳥、白鳳は勉強させて貰いました しかし 鎌倉、室町、江戸と言う時代があるので
そういう建築も勉強してみたいから独立したいという   
それで止めた その時も薬師寺の仕事は続いていた
西岡棟梁は宮大工は嫁さんも貰えないし なかなか食ってゆくことができないと言っったので
食えるような宮大工になりたいと思った
自分の息子には継ぐようには言わなかった  
田地田畑が有ったので西岡棟梁は食っていけた  
段々に日本経済も良くなり お寺でも作りましょうかと
機運が上がってきたから自分はそんなに西岡棟梁ほど苦労をしなかった

法隆寺をやっていたころは西岡棟梁は本当に苦労したとは思うんですけれども 最後にはあれだけ
の薬師寺の伽藍を任されてやったのでそこで花が咲いた人ですから
相当な幸せ者だと思います
西岡棟梁は自分自身に厳しい人だった  魂は全く違った 真似ができない 生まれたときから法隆寺だった
自分が凄いなと思ったのは 奈良の都を60年ぐらいで作って又出て行ってしまうのだから 
奈良時代の力ですね ああいうものは今の時代には絶対できないと思います
西岡棟梁等は薬師寺も10年ぐらい掛るのですから、奈良の都を60年で作りあげた 
当時それだけの技術者がいたわけでもない 
材料がそろうか揃わないのか、技術的に可能か可能ではないのか そんなの判んないんですよ 
兎に角作ろうと思って実際に作り上げてしまう その力ですね
その力が学べたらいいなと思います そういう時になると判る 職人は教えてはいけない  
教えていれば、これは教わっていないから判らないでは駄目なんですよ

やれと言われれば色んな事を考えてやる  その考える力を付けるのには教えたらいけない 
その人間に考えさせなければいけない
職人の教え方は学校とはまったく違いますね  教えてやることは親切なようで、身にはつかない
作り上げる根性は口で言っても判らない、伝わらない  
だから家では10年経ったら出てゆきなさいと言っている  
折角育てたのだから頑張って貰いたいとは思うんですが、当人の為には成らない  
自分でやってみるとそうすると自分の力が判りますから 
TV、新聞、雑誌は流石に見るなとは云えないでしょうね→言わないけど皆見ませんよね 
1年間 飯を作らせたり、掃除をさせたりするとその人の性格がもろに判る 

だからこの人にはこの様に仕事をさせるかを見極める
その人の一生が見えてくる 触れ合っていないと駄目  今の子供は個室で育ってきていますでしょう  
だから大部屋の生活ができない子がいますね
色んな人と触れ合っているからこそ色んな事が判る  
その大事な時に個室を与えてしまったら 何にもならない 良いも悪いも一緒に生活する
現在 秩父のお寺をやっている    
文化財関係 法隆寺の昭和の大修理は終了した これから300~400年は大丈夫 
それから又大修理が必要になるがその時に問題になるのが材木が無くなる事です
修理する木が無いと言う事です   ですから今から木を育てなくてはいけないと言う事です  
技術は蘇ることはできるが資源が無いと修理は出来ない
お寺が山を育てる様な気が無いと守りきれない   むやみに大きな木を使ってはいけない  
木を育てていかなくてはいけない