2012年5月21日月曜日

秋山豊寛(ジャーナリスト)       ・いま学生たちに伝えたいこと 2

秋山豊寛(ジャーナリスト69歳)       いま学生たちに伝えたいこと 2  
宇宙から帰ってきて、肩書だけ管理職の地位に付く  会社も扱いに困っていたと思われる  
会社も余裕の有る時代だったので、金の使い放題のような番組の企画を考えて、天国の様な時代だった  
その後バブル崩壊で国際ニュースセンター長という純然たる管理職になった  
予算、前年度比 なんだとか 上の方針を考えながら仕事をするのが気に入らなくて、会社を辞めることになる
フリーでやっていくのも難しいと理解していたので、食べて、寝て を考えると たべることに関して雑に扱っていたのではないかと考えた

百姓になってみようかと思った  自然との接点もある  
じっくり世界を見ようかと思った  53歳で辞める  
地域のある程度偉い人がいないと 土地を購入するのも難しいと思い 福島県の星野村の村長さんに相談したら、候補地がいくつかあって 売る方も行政の方から話があったと言う事で周辺に言い訳が立つ  1町歩 山が5反 手に入れる  
きのこ(シイタケ栽培) 5000円/kg 原木しいたけで2500円/kg を目標にやってみる事にする 自給的な生活を目指す     
田んぼにしても減反政策ですすきがはびこっている状態で軌道にのったのが5年ぐらいかかった  
毎年いろんなことをやって(雑草を取るのには鯉を入れてみたり、いろいろな工夫を試みた)楽しんだ
一番の節目は米を 種まきして 葉っぱが6~7枚の頃手植えをして 秋には収穫を出来て、俺はこの大地で生きることの本当の基礎を得られた
16年間農業をする  
3/11に大震災があり 翌日の原発事故が起きて 原発事故の取材はしてあったので 基礎的な情報は持っていた
空中からセシウムが検出したとの情報で吃驚 炉心がおかしくなる以外あり得ない  
32kmの位置なので危ないと思ったので逃げなければいけないと思った
郡山に行こうと思ったが、もう一杯だった  磐梯熱海に逃げ込んで5日いた 
そこでも電話等で情報を集める  又移動する事を考えて群馬県藤岡市に移動する
(有機農業の知り合いの紹介)
  
道路では福島からの移動が沢山いた   
移動後 ボーっとしていた(情報を得ながら)  
被爆の状況が心配でロシアのモスクワで10日掛って検査してもらった 
被爆はしていたがただちに健康に影響する程度ではないことが判った
群馬ではきのこ栽培は駄目だろうと思った  
初期投資が掛るし 何をやろうか考えた  
筍をやろうかと思って 竹林を整備すれば何とか出来るだろうと考えた
本当に旨いものを作ろうと考えたら京都だと思った 
  
京都の大学の理事長から話があり 教授に成らないかと言われる
人間と言うのは一生どっかでより豊かに成りたい 物の部分だけでけでなくて考え方も豊かに成りたい、広げたい いままでやったことが無いので年を取ってからやってみたいと言う 生涯教育の分野がある   
将来の国のかたちのモデルとしては一人一人が豊かに成ってゆく    
豊かに成ってゆくと言うのは物を持っていることの競争ではなくて 競争しないと言う事の豊かさだと思うんですよ
とても育ちの良い 恵まれた方たちだと思う(学校での学生の感じ)
身体を動かすことによる情報がいろいろ入ってくる  (眼、耳がメインかもしれないが)
農業体験を経験して貰う  30人限定でやっているが 結構人気がる 
学生たちに伝えたいこと?→日本の自然の素晴らしさ を味あうところから 日本人の感性が再生産されるだろうと思っています