2012年5月25日金曜日

吉田菊次郎(洋菓子店社長67歳) ・スイーツで被災地に笑顔を

 吉田菊次郎(洋菓子店社長67歳)      スイーツで被災地に笑顔を  
明治大学卒業後フランス、スイスでお菓子作りを学びました   
その間第一回菓子世界大会銅賞はじめ数々の国際賞を受賞する
銀座に店「ブールミッシュ」(本店銀座)を開業 新しいお菓子を考案したり お菓子に関する研究を纏めたりしています
東日本大震災の時に自ら出掛ける 
東北にも百貨店に何軒か出店している    3/20に出掛ける   
一番最初は水、食べ物が必要 飲料水メーカーとの付き合いもあり電話をして対応を行った
自らも食糧類の(50万食のレトルト食品  菓子の調達102万個)を援助した  
宮城の女川第2小学校を最初出掛ける 
廻りは何もない状態で息をのみました
2500人ぐらいいた 一列に並んで食べ物を貰う為に整然と並んでいた

我々で出来る事をするしかないので 出来ることを進めた  
会津避難所 お菓子を届けると「お菓子だって」と喜んでもらえた
(多少食糧が廻って安らぎの気持ち)
宮城・給食配給センターにも送って広く分配して貰った  
東北の名産を使って 新しいお菓子をかんがえる
名産品 おいしいものがある 酪農でも素晴らしいものがある  
創造力、と想像力でのせめぎ合いで新しいものができる
霜降りとクルミとの融合 のみ込む瞬間に料理に変わってしまって駄目だった 
(お菓子ではない) これをキャラメルで包んだら素晴らしい出来栄えになった
お菓子とは普段お菓子には成れない素材を使ってお菓子にする  
わかめに挑戦した 生臭さが出てしまう
 
砂糖シロップで焚いて生臭さを抜いてから,味噌で以ってほんのちょっと味付けをしたら素晴らしいお菓子が出来上がった    
仙台のおふ にお酒とシロップを入れて調整して菓子をつくったが 絶品だった  
福島では白桃  衣を掛けて天ぷらにしてみた 果汁を封じ込めた 
基は自由なので我々の感性を使って作り上げた  
「東北応援菓」を本に纏めて出した
仙台おふ  仙台味噌等を使って 宮城県の高校生にチャレンジしてもらった 
作り上げた物を食べて「ワーっ」嬉しいとはつらつとした眼をしていて我々は救いになった
被災された方はこれからが本当の勝負だと思っている
地産地消  お菓子と言うものを通して年齢だとかを越えて新しい交流ができたと言う事 
いまでも忘れない言葉がある たまんないよ 
 
今葬式に行ってきたが 綱もだと言って一遍は逃げたが 何を思ったか取って返した 
そして津浪にのまれてしまった
その遺体のポケットには沢山の乾電池が入っていた  
ある瞬間には人間何をかんがえて行動するのか判らない
(乾電池によってラジオ、懐中電灯等に,使おうかとおもったのか? 戻らなかったら命はたすかったと思われるが)  
日本のお菓子業界もフランス、ドイツ等と並んできた  
日本の食材を使って色んなお菓子をつくれるのではないかと思っている 
海の食材も自由に使っていいのではないか    
ツバキ油は食材油脂  
サラダ油の代わりに使ってみたが大丈夫であった(価格は現状問題だが)