2012年6月27日水曜日

辰巳 芳子(料理研究家88歳)   ・生きることと食べること 2

 辰巳 芳子(料理研究家88歳)     生きることと食べること 2            
長い間結核療養を過ごす  15年間   
学問を心指したが体力がいるので諦めた  
料理の感覚は直ぐに戻った          自分の中に残ったのは料理かなと思った
42歳の頃に料理の道に進むことを決める  
母からは和食 加藤正之先生からは洋食を習った  
スープに向かう姿勢について習った
スープの基本は自然なものから其の持っている力をどういう風に貰うかであって 自然の素材と心を合わせて静かな心でやらないといけない
男の料理人は材料を人間の力でこなしてしまう 自分の思うようにしてしまう 
 
私は体力が無いのでそのものに従ってゆく方がそれらしさが出てくるというのが判ってきた   人間と人間は心を開かないと人間の関係性と言うのはそこに出てこない    
ものの世界も同じ  例えばカボチャ  カボチャに無理をさせない 
無理させないやり方とは 切り方 火加減だと思います 
かぼちゃの命は種に有る  
先に種だけを静かに煮る 種から出てきた汁を加えて それを身の方にたいて行く
そうすると違わなければいけない  
煮魚は2枚におろして骨の有る方と骨の無い方に分けてにるが、私は3枚におろす 
骨は骨 頭と 20分ぐらい焚いて、骨のうまみを出して それにもう一遍調味料を足して 魚の身をたくようにする 
そうするとおいしい
   
骨湯をかつては飲んでいた 骨のエキスを飲む  
煮魚は最初 酒をパーと掛けてやってから蒸かすと生臭みが一気に解消してしまう 
その身を魚が炊き出したものの方へと入れて一緒にしておいしい味にして頂く
日本人の脳神経はピアニシモ(音楽で、強弱標語の一。きわめて弱く)で使う 
蒔絵、の美しさ 金粉を蒔く 箔を置く 細い線を書く 
ああいう工芸は他の国に有るでしょうか?
夏の日本の羅とか紗とか絽の難しい織り方 今は全然見ないけど あれは世界の人は織れない   
貝塚ができるほど貝を食べた  神経が違う(動物を食べた神経とは違う)
スープを作るのには時間が無いというが段取りで出来る  
自然と言う実態(時間の短縮化が進んで)に関する感覚が違ってきてしまうのは問題があると思う
米を白米にしてはいけない すくなくとも胚芽米 麦も食べなくてはいけない
貝のコンソメ     無い物ねだりはしない 
自然体で生きる   父の着物に包まれて思ったこと  
命とは何かと言う事をずーっと考えた
祖父との別れ 祖父との交流で自分の存在の核の深いと事に祖父を置いて自分の魂の向け場所は祖父との関係に有った
祖父が亡くなったら魂の抜け殻 茫然として暮らしていた(5歳の時)  
笑って遊んでいても心の中には風が吹き抜ける場所を持っていた

自分の魂の置き場所をはっきりしているので夫が戦死してもそれは外側の部分であったので私は動かなかった 
私自身は変わらない 大事には思っている
叔母たちと一緒に畑で鬼ごっこをしていた  
風の音が空虚に成ってからっぽになってかぜが温かいと思って やだなあと思った 
冷たかったら良かったのにと思った
「食と命」本  つきつめて書いた本は無い それを書きたい
大豆の100粒運動(本当は小学校を訪問しなくてはいけない)   良い食材を伝える会