2012年6月19日火曜日

有森裕子(元マラソンランナー)    ・ライバルと歩んだ私のマラソン人生

有森裕子(元マラソンランナー)   ライバルと歩んだ私のマラソン人生  
(1966年12月17日 - )は、元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある
1990年 大阪国際女子マラソンに初参加 6位に入賞する  
この時に初マラソンの女子最高記録を出す  
翌年のマラソンでは2時間28分1秒を出し,当時の日本最高記録を出して2位に成りました  
バルセロナに続きアトランタオリンピックで2大会のメダリストとなりました  
怪我が絶えなかったがそれを乗り越えての栄冠でした

バルセロナから20年経つ  気持ち的にはあまり変わらない  
現在はNPO法人ハートオブゴールド 代表理事をしている 
カンボジアが荒れていてポルポト政権が終わって之からと言うような時で ランナーなら手足を失った人達のことが判るだろうと 復興にスポーツが使っていけるから,カンボジアでマラソン大会をやるから其の対人地雷で手足を失った人達の自立支援とか教育支援 そういったものをやらないかと言う話を頂いて,義足を作る現場を見て ソフトの面の支援をすることになる  
公益財団 スペシャルオリンピックス日本理事長  
スペシャルオリンピックスとは知的障害を持った人たちが対象のスポーツ団体になる
アメリカでは活動は45年の歴史になるが日本では20年にな
る   
各都道府県に組織があり4年に交互に来る(夏と冬) 2年に一度開催
来年冬の大会が韓国である   
スポーツを通して生かせる場があるので自分の勉強にもなっている
陸上競技は→高校から陸上部に入る 
中学時代はバスケットボール部に所属 中学で800m走に出場したら学年で1位になった 
結果が出せた事が自信が付いた
人見絹枝選手も800mで銀メダルだったとの事  
800mは女性には厳しいので一時中止になった

「アニモ」 スペイン語 頑張ってという意味  アリモがあだ名だった  
あだ名で応援して貰っているんだと思っていたらスペイン語の頑張れだった
この言葉に助けられた   銅像が建てられておりそこに「アニモ」と書かれている
生れた時に股関節脱臼で生れて0脚で 小学校2年の時にダンプカーにぶつかって右内くるぶしを潰して いろいろ足には怪我が絶えなかった 
人との出会いが良かった  
諦めない頑張りが先生に認められたりして 違うところを武器にすることを教えられた
落ち込まなかった 自分の身体に関して研究熱心に成ってゆく  
そういった研究は止まらなかった

物事を「なんで」といってとらえるか 「せっかく」とおもうか 人との出会いの中で教えられました ハンディーをプラスに変える  
今何をしないきゃいけない 今何を考えなくちゃいけない 今どうしなければいけない というのをメンタルで切り替えて行く  
小出監督との出会いが良かった   
本人の自信の無いところを、自信を持たせてくれた 
練習は半端じゃなく厳しかった  900km/月  多い時で1200km/月 走った   
1991年のマラソンはいくら走っても走れるような気がした  
日本記録を破った時  気力 体力ががっちり有った様な気がした
選考問題 疑問に思うことがある    
プレッシャーというより跳ね返そうという思いがあった 
「みてろ」というしかない自分がいた(自分に対して)
「自分で自分を褒めてあげたい」  高石ともやの詩の一節  これに感動して大泣きした
スタートラインに立つまでの勝負が大事だと思う  廻りの方とか含めて