2012年9月28日金曜日

大江健三郎(作家77歳)      ・ノーベル賞作家 人生と日本を語る 2


大江健三郎(作家77歳) ・ノーベル賞作家 人生と日本を語る 2
大江さんは社会との係わりの中から紡ぎだされたものが多くあります  
それぞれの時代の課題と真剣に係わりあった結果、生み出されたエッセーやルポルタージュが
大江健三郎さんのもう一つの面を特徴つけています
小説がメインだが エッセー、ルポルタージュの位置について  堅苦しい論文を書くと言うよりは
面白さが持っている とくに人間について 自分の発見を述べられるような
文章を書きたい  それをフランス語でエッセーという モンテーニュ  ルネッサンスのフランスの中心人物 
自分が大切だと思った 優れた人の言葉 それを毎月一回書いて 7年書いた 「定義集」が
この本なんですね

こういう人がいる、こういう考え方がある  それがどのように人間らしいものになるか 
或る人間らしさ 人間らしい魅力を持った そういう表現をする 行動をする  
という事を基本に小説を書きたいわけです   
人間らしさを書きたい   人間らしい学者、とかそういう人の言葉で胸に残っているもの 心に刻まれたものを「定義集」に書きました
面白い人間 感動的な人間を書こうとすると、その人がどういう社会で生きてきて、この言葉を
発したか、どういう社会の苦しみが、時代の困難が こういう人を
作ったのか、と言う事に目が向いてゆきます
    
今自分が優れた人だと思う人間が、この人物はどのような社会の中で、生れてきたのかという事に関心を持つそれを評論に書いてきたと思うんですね
日本の国の中で、有り難いことに 小説を書いている
と言う事があるから、優れた学者やい学者、政治家(偉くなる政治家ではないが、民衆運動をしている人)
政治家ではないが、民衆運動をしている人) そういう人達に一人前の人間とて受け入れられたと言う事が有った それは小説家という職業であったことはよかったと思っている

一番有り難いと思ったのは、光と言う子供が生まれて 頭に大きいこぶのようなものが有った 
それが取り除くか 取り除くと 当時は赤ん坊の頭に出来たこぶの中に何があるかどうか 
判らなかった  脳が出ているかもしれない 1年間検討して貰った
編集者がいて(安江良助) 平和大会があるから広島に行こうと誘ってくれた   
そこに行ってルポルタージュを書いてくれといわれた(サルトル的な)
行くと、毎日毎日政治論争ばかり 原爆病院に重島文雄先生がいると、自分も被爆されて、
被爆した日から治療を始めた先生 其の先生にお会いしないかと言われた
 
其の先生は日赤病院の院長(日赤病院が原爆病院)  5時間ぐらい話して下さった  
検診しなくてはいけない時間が有ったが、一緒に連れて行って貰って話して貰った
その日、家に帰りましたら、カードに小さく書く習慣があり、 カードが30枚ぐらいあった  
9時~4時までそのカードを清書していた
翌朝8時になったら安江君が 先生のご予定はどうですかと聞いたら 9時から病院に出るから 
暇があれば昨日のように話すと言う事にしようという事になる
翌日も話すことになった  今日も来いと言われて合計5日間通った   2度ほど伺った  
ルポルタージュに政治的なことも書いたけれども、一番重要なものは 広島の原爆病院にどのような
人間がいるか、 先生方はどのような人間なのか

原爆病院に入院されている患者の方は、来年来て会う事ができないと先生から言われた 
そいう人達だけなんですよと言われた
患者が亡くなるので原爆病院の中に大きな穴を掘って、そこで死体を焼いていた  
患者がたくさん来て、どういう爆弾でやられたのかも判らない
患者が一杯来るのに、ちゃんとした医学的な手当てもできない 
アカチンを塗って、包帯をして そういう事でいいんでしょうかと 重島文雄先生に聞かれたそうです
先生はこういう人達が集まって 治療を求めている そうであれば治療せざるを得ないじゃないか
 治療できるかどうかは第二の問題で治療する努力をするしかないではないかと言った
その質問した先生は翌日自殺してしまったと  先生は私に言われた
  
あのときに自分は自分に厳しい考え方を作ってあの先生に
言ったが、あのまま先生に言ったことは自分は間違っていたように思うと   
1日山を越えてゆけば (今ここは焼けただれている街中が)緑の山 そこに行って
にわかスタッフとして行ったらどうかと言うべきだった と言われた  
そういう事を書いて「広島ノート」を書いた  ルポルタージュ 一冊の本を書くと言う事の始まりです
患者の事を書いた 重島文雄が如何に偉大な人物かと言う事ですね 
翌年 沖縄に行く  行き沖縄全体が戦場になった  占領下の時代  
軍人が犯罪を犯しても 裁判が無い時代
そういうところでどういう風に生きてきたかを話してくれる青年がいて、沢山のノートを書いて
持って帰った   文士講演が有った
 
石川達三  有吉佐和子 と3人で行った   有吉さんは沖縄の染め物で有名な琉球かすり 
(五万円  200ドル)を購入する予定だったが その額分を貸して貰う
沖縄に残ってルポルタージュする   それがルポルタージュの柱でした  
それがズーと続いて 去年ですよ それを書いたために裁判になった(「沖縄ノート」と言う本)
守備隊長が数百人に自殺するようにいったと 命令だったと書いた  
そうではないと言う人がいて 裁判にされた  裁判には勝った(去年の事)

牧港篤三さん 大田昌秀さん 本当に人間的な人   政治的な角度で話すのではなくて、
沖縄の人が如何苦しんだか又沖縄には固有文化が有って 
沖縄にどういう優れた学者がいたか と言う事を話して下さいました
沖縄学の祖(伊波普猷いはふゆう)   沖縄の新聞社が出している本を全部集めて下さって 
全部それを買いました  それが沖縄に対する知識を深めました
牧港さんは『鉄の暴風」を書いた 艦砲射撃で 鉄の暴風が来たようだったとの事    
2大ルポルタージュ(「広島ノート」、「沖縄ノート」)は重要な位置を占めている
一番良い事は 小説家を外国の出版社が招待してくれて、旅行さしてくれる 
(外国の有名な作家、評論家、学者が注目してくれる) その人達が会いたいと言って招待してくれる
外国のいろんな作家等に会う事ができた    講演依頼があった
   
キッシンジャーに 沖縄の事を良く知っている日本人という事で話しした
ハーバードの名誉博士を貰った  
エドワード・W・サイード 両親がパレスチナ人   文化論の専門家  音楽が好きな人  
同じ年だったのでヨーロッパで一番親しくなった  白血病で亡くなった
白血病は1年に一回苦しいときが有って 血液を交換したり、医療行為を受けてやっと回復して半年働く、又病気になると言う繰り返しの人生でした
パレスチナ問題に関するいい論文を書き、文化論の良い論文を書いたんですね  
「自分はパレスチナと言う者がイスラエルとの関係で 中近東の社会の中で、いい未来を持っている 
明るいイスラエルとパレスチナの和解という
彼は一つの国土で二つの国民が平和に暮らすと言う事を考えていた 
   
そういうことは実現しないかもしれない しかし自分は楽観主義を持っている
将来それは旨く行くだろうと、なぜなら 人間がやる事だからという  
人間がやることだからこの問題は解決しないはずはない
楽観主義を持っている  意志的な楽観主義だと言っている  人間は意志を持っている  
自分が、将来は楽観的な社会があり得るんだと 人間のする事なんだから
だから自分達は之を解決する事ができるだろうと それを自分が信じると言う事は、自分の意志によって信じている
楽観的なことを自分の意志によって考えている 
自分は意志を持っている 意志的な楽観主義だ」と彼は言っている
  
原発、沖縄にしても中国との関係(尖閣諸島の問題)にしても楽観視していない  
楽観していると思う人がいればその人の間違いです
或る平和な共存 新しく回復することは信じている  
沖縄の人を中心にして考えて、明るい将来はありうると考える 
なぜならば人間がやる事なんだから 
沖縄の人、台湾、中国の人も人間なんだから  そうやってきたんだから それができると言う
考え方を沖縄について尖閣諸島について意志的な楽観主義を持ってます
原発について 2030年代には全廃すると政府は言って、今はそれは無かったと言っている  
アメリカの人達 日本の産業界の人達 保守的な人達は原発は続けないといけないと言っている
福島に起きたことは次に起こしてはいけない   
将来の人達 子供達にこの世界を残すと言う基本的な事の為には 人間のやる事なのだから、
それは実現できると考えています   意志的な楽観主義を持つべきです
 
チェコ ミラン・クンデラ作家 友人   
将来生きることができないような社会というのが将来であってはいけない
自分達の10年先20年先に子供達がしっかり 
人間らしい ヒューマンな 人間らしい生活ができるような世界を残しておか無くてはいけない  
それを残してちゃんと将来の子供が彼らの子供を産めるような社会を持ちこたえておく  
僕たちはそれを持ちこたえ伝えることができる  それが人間の一番根本的なモラルだと彼は
言います

倫理  生きかたの中で中心にあるもの と言う風に考えています
モラール 本質的な一番根本のもの としての 人間の大切にしなければいけないもの 
それが根本的な人間のモラールがある
それは次の世代の人達が生き残れるようにする 次の社会が生き延びられる世界である 
そのことを守ることだと  ミラン・クンデラは言うんですね
雑誌の中に論文が載っていて 「星の王子様」サン=テグジュペリの著書 第3稿がある  
一番大切なものを君に残しておきたいと言う 
21章で狐は 僕達の一番「重要なもの」は心なんだと 心というのは見えないものだと 
「一番大切なものは」と書いていたが  「本質的なもの」に  消して書き変えている  
人間の中で生きてゆく中で 人間との付き合いの上で 友達との付き合い
  
人との付き合いの中で 一番本質的な、一番根本は 何かというと目に見えないもの
目に見えないものが一番大切なんだと それは心なんだと  一番本質的なもの、
目に見えないものを他の人のなかに受け止める 君が生きてゆくうえで大切なんだと
星の王子様に言う そして狐が去ってゆく  その様なことを或る論文で読んだ
人間との付き合い、人との付き合い、友達との付き合いの中で 一番本質的な一番根本のものは、目に見えないものだと、友達の心という 目に見えないものだよと 狐は言う
それが星の王子様の一番いい教訓になった  と言う事を私は思うわけなんです

大野晋先生(国学者)が「日本の一番大切な字引」を出したなかで 日本語で一番良く使われる
言葉で 「あわれ」 (ものの)あわれ 「かなし」
「かなし」 は自分の子供が死んでしまって、もう会う事ができない  
子供と自分との間の えにし  つながりがすっかり切れてしまった時に湧く感情が「かなし」
取り返しかえしがつかない 切れてしまった感情を「かなし」というんだと  
「あわれ」は 悲しいという気持ちなんだけれども 苦しんでいる人を見て 「あわれ」
と思う人は 苦しんでいる人と同じ場所に立っている
   
同じものを経験していて自分も繋がっていて 相手の人の心に抱いているものの苦しみを本当に辛いと思う 何とかしてあげたいと思う  そういう感情の事を「あわれ」というんだと   
福島で津波によって亡くなった人 の娘さんは「かなし」と考える  
亡くなった母に対する感情だから「かなし」なんだと   繋がりが切れている
どうする事もできない  
(私の)姉は津波で病気になって 今はまだ病院にいるんだと TVで証言を聞く   
それは「あわれ」と思う相手がまだ生きているからです
一緒の場所にいて、相手の気持ち、運命を共有することができるような 同じ場所に立って、
同じものを同じように 担う事ができるような相手に対する相手の不幸 
苦しみに対して私たちが持つ感情が「あわれ」なんです
   
「かなし」はもう好きだったが死んでしまって もう関係が断たれている この世とあの世に成ってしまった
そういう状態で悲しむ状態が「かなし」    それが人間が持っている一番根本的な感情で  
源氏物語の時代から現在までずっと貫かれているというのが
大野晋先生の古典辞典の文章なんです  それが最近一番感動的な文章です
「あわれ」と言うのは、その人の苦しみを一緒に担ってゆく、同じ場所にいる、同じ立場にいる、
とはっきり心に刻んだ人に起こってくる感情だと
子供達に伝えたいし、日本語の一番大切な言葉とはと言われた時に外国の人、
講義の時等にも「あわれ」を理解してほしいと話すことにしています