2012年9月14日金曜日

永幡嘉之(写真家)       ・東北の生態系の変化

永幡嘉之(写真家)           東北の生態系の変化  
東北大震災の津波により、動植物の生態系が大きく変わりました  
この生態系の変化について、震災直後から調査したのが、山形市に住む永幡さんでした
調査結果を写真とともに、著書「巨大津波は生態系をどうかえたか」、に纏めました  
こうした活動が評価され、東京大学の研究員も勤めています
東北の生態系にどんな変化が起きたのか お聞きしました    
1973年兵庫県生まれ

兵庫県の出身 小学生の頃から虫の標本をつくったりした  
学生の頃からブナ林に興味を持ち、東北の山を歩くようになった 山形県に拠点を持った  
東北には見事なブナ林が残っている 鳥、昆虫の数が全然違う  東北に魅せられた  
虫、植物の写真をじっくりと撮り続けてきた
撮影よりも調べる事に趣を置いている   
3.11大震災発生当日は小笠原で調査していた  
夕方集落に入ってきたらメールが入っていた(避難の内容)
生命の気配が無い 海水が内陸まで入って 雑草も生えない世界になるのではないかと思った
4月から本格的に始める 
海岸線の生き物でしたら すべての砂浜に広く見られて、湿地も平野に広くあったはずなのに 100mとか、200mとか 狭い範囲に、いろんな生き物が押し込められた様な形になって、どんどん周りを開発していましたので、たとえば1kmの砂浜に津波が被るのと、100mの砂浜に津波が被るという のでは影響が全然違う   
これまでの歴史上類を見ない大きな影響があるということは最初から気がかりで仕方なかった 悲しみをしっかりと封印してしまい、今やらなければいけない調査をすると云う事を優先させました  
非常時には人命最優先というものはつきもので、ただ 其の時に本当に必要なものは他にも沢山有るわけです
周囲から今そんなことはすべきではないという、声が無かったわけではありませんし、なにもせず、じっと待っているというのは安全ではあるわけですけれども、それは私にはできなかったというのは有ります

現地に泊るところがほとんどない 
山形から福島、岩手 青森までずーっと車で走り続けるというスタイルをとりました
(凄い距離を走ることになった)
1年半で7万5000km走っています  
調査で分かった事  沢山の絶滅を見てきました
ヒヌマイトトンボ ちょっと塩分が混じった所にしか生息しない特殊なトンボ すべての生息地が海岸にしかない 
10か所 の内1か所のみ辛うじてわずかな数を発見したのみ、他は全部絶滅した 
葦の中を縫うように飛ぶ種類なので、人の目には触れにくく、新種として見つかったのが1970年代で日本で最後の新種と言われた
 
残っていた1か所というのは、川沿いに10km位に渡って葦が残っていまして、潮の満ち引きによって川を海水が逆流して 岸辺の葦原にはずっと薄い塩分が、入り続けるという このトンボにとっては絶好の場所だった  
他の場所は開発が進み 猫の額の様な場所に成ってしまっていた  
そういう場所は津波で破壊され、生き残るような隙間は無かったように思う    
10kmの場所も100m位の場所にしか生息していなくて、5kmに及ぶには、後5年 10年掛ると思います     
復活した生命も有った  「みずあおい」 
お盆過ぎに咲く花 1cmほどの花を10幾つ咲く  全国的に絶滅の危機にある種類の植物
みずあおいは出来た湿地を渡り歩くような植物なんです  
種を沢山つけるが、土の中に埋まっていて何十年か後に その土地に洪水などで水が入り、土の表面近くに種が来ると、光を受けると 突然芽吹いて 花を咲かせるという変わった習性を持っている 
 
そういった形で湿地から湿地に渡り歩く 
日本の歴史の中で湿地が増えるということは無かったんです  
常に開発によって埋め立てたりして減少してきた
今回の大津波で大規模に湿地が増えたのが事実として有る  
津波の3か月後には畑であった土地に葉っぱが生えてきた(何十年前の種が発芽した)
去年の津波の直後と今では 全く状況が違う事がある  
海岸林 砂を飛ぶのを止めるために 畑を守るため、家を守るために 植えられたのが黒松の海岸林、場所によっては 足の踏み場の無いぐらいに黒松の苗木が育ち始めている  
1年間で劇的に変わってきている  
広葉樹の苗木によって地面が覆われてゆく、様子は劇的な生態系の再生を見る思いがします  
復旧事業というのは津浪直後を前提に進められているので、足の踏み場もないくらいの苗木の場所を重機で整地して 上に新しく育てた苗木を植えるというような、行なわれているのも確かで、自然の再生能力を最大限に生かすという順応的な進め方も有っては良いのではないかと思う  
絶滅したものは出ているのでしょうか?  
今のところは幸いにして無いが、有る一つの地域から絶滅してしまったということは無数にある 人間の開発により狭められ、そこに津波が来たという複合的な要因が強いと思います  
人間が作った小さな保護区は本質的に意味が無いと思う   
自然を残すということは広さを残すこと そういった本質は何かという部分を強く考えさせられます
復旧作業 動植物がそこにいるということは、その地域で生まれ育った人の故郷の風景の一部であるという事で 今インフラ整備が進んで、道路、堤防 住宅地が、ドンドン進んで、目に見える形の復旧は誰にも判り易いものです  
ただそこに生まれ育った人が生活を取り戻すには、懐かしい風景 目にする鳥、動植物  
潮の匂い そういった精神的なゆたかさが不可欠だと考えるんです
インフラ整備とともに、大きな生活の柱となるべきものがあるという事を強く感じる  
自然環境を残すことが大事だと考えています

調べたことを評価して頂いた 
これを論文に纏めて 社会に提言をして その成果を社会に活かすという事を同時にきちんとやらなければと責任を感じています
ライフワークの一つとして之からも大きな柱になっていく事と思います
個人がこんなことが判ったと言っても趣味の世界で終わってしまいますし、その人が無くなればそれは消えて行ってしまう
それを本にしたり、論文にして 万人が使える状態にする という性格も持っています
自然写真家としての今後の歩み  今まで続けてきたことを続けてゆく  
今後別の事が起これば、やっぱりそれと向かい続けたい

日本の自然環境が如何なってゆくのか  我々の暮らす国土が如何なってゆくのか それを写真家として切り取って 調べ続けながらメッセージを発信し続ける、という事はこれからも続けてゆくつもりです  
今回津波によって人生が変わったという方は沢山いらっしゃいます   
私は普段続けていることが、出来たということは、やっぱり山形という外側に居て出来る事であったということであって その現場で壮絶な体験をされた人にとっては、人生が変わる大きな事であったと思いますし、直接の生活に関係の無いそれでも将来にわたって其れなりに必要性の有る調査というのは外側の人間がキチンとやらないといけない と強く感じた一つです
      
写真には様ざまな藝術的な効果もありますが、私にとっては調べる手段なんです  
こんなことが判ったとそれを一生懸命文章にしても 写真がある事によって初めて、文章が生きるという事も大きいので、私にとっては自分が調べてきた結果というものを、表現する手段として文章とともに之からも、大きな柱の一つで有り続けると思います    
自分自身 調べることが好き 手段として写真を続けてゆく  
自然が豊か 具体的な表現が無い   
津波でこれだけの豊かさが失われて、さらに時間がたってこれだけの自然の豊かさが戻ってきたという、具体的に形にして描き出す、それをこれからも続けてゆきたいと思います