2012年10月23日火曜日

渡辺一枝(作家67歳)      ・チベットと被災地に重なる想い 2

渡辺一枝(作家67歳) チベットと被災地に重なる想い
被災地で津波で家を流されて、家族 父、奥さん、子供2人を亡くしている  
1人はまだ見つからず、探している  でも「僕は幸せです」というんです。 自分で探せるから
10km圏内に居る人は自分では探すことが出来ない 探してあげる事が出来ない
そういうのを聞くとチベット人の心根と物凄く、同じだなと思います  厳しい状況の中に有って、
本当は憤りやそういう者をぶつけたいんじゃないかと思っても
そうではないと、そう言うところが凄く似ていると思います  
豊かな自然環境に恵まれているチベット自治区でもどんどん開発が進んで環境が破壊されている  
非常に厳しいです

西部大開発 内陸部の貧困地帯と沿岸部の地帯との格差を無くすと言う事で、内陸部の西部
(チベット、新彊ウイグル自治区)を開発して行こうと言う事で、格差を無く
して行こうとしたんですが、実際には天然資源を運びだしたり、沿岸部の水不足に対して水を運ぶ
とか、電力供給(ダムをつくる)、北京上海、と鉄道で結ぶ
計画より1年速く2006年にダサまで出来て、それを作るに当たっては、鉄道が出来れば、物価が
安くなりますよと、言う事を謳っていた
実際には資源の運び出しに便利、軍の移動に便利、そういう形で資源の開発もどんどん進んでいる 
水力発電所何てあちこちに出来ていて、電力の為の発電か  
と言うと、必ずしもそうではなくて、工事の請負に軍の水力発電部隊みたいなものが噛んでいる

何か取りだしたい資源が有ると水力発電という工事名目で来るわけです
開発政策を迷惑な事と思っている  強制的に移住させられたり、している  
牧畜を生業にしているのが、移動させられると大変
原発事故後、孫は夫の知り合いである沖縄に避難した   
福島に行きたいと言う思いが有った 7月に花巻でチベット関連の主催があったので、そこから
大槌町に出掛けた  建物の3階に船が載っていたり、津波の被害を目の当たりにみた  
被災地の状況をみて、国がここに有るんだと、国の根っこが有るんだと
福島に出掛ける  (8月)  宿(ビジネスホテル 六角)のご主人が現地で頑張っていた人 
産業廃棄物建設が有ってそれに反対する拠点だった

文章で報告する なにかしなければとの想いで行ったが、大留さんが(宿の主人)がいろいろ連れて
行ってくれて、多くの方に会って、現地の人の言葉で
福島の声を聴こうという会を始めた    3回開催した
東京に被災地の方を呼んで、実施した  一回目は大留さんと浪江町で牛を飼っていた人
(吉沢正美さん)  2回目は飯館村でコーヒー店を経営している人(市澤みゆきさん)
宮城県丸森町から17年住んでいる人(大田茂樹さん) 
自殺者も出ている話 実際にその場面を思いだして話す TVしか見ることが無くて、明日が
考えられなくて、83歳になっても自殺してしまうんですよ
牛たちを救いたい想いを語る   直面している大きな問題  Iターンで来た人
  
丸森町に残って行こう  子供を守るネットワーク立ち上げ
自分達は何をすべきか  今後の予定は 12月 原発から7kmに住んでいた木村さんに来て貰う  
家が流され、父、奥さん、下の娘さんが現在も行方不明
「青春と読書」 10月号には相馬の野馬追い復活の様子を記載   家に戻れない方がまだ大勢居る  
20km圏外であるのだけれども、家が流されてしまって
生活の手立てがないというかたもいる  原発によって奪われた  
故郷と言うものと野馬追いとの分ちがたいものを感じた 
野馬追いを見ることで以前のこと、故郷の想い  野馬追いの村上和夫さん 62歳   
家族が3か所にばらばらに暮らさざるをえない状況 
家はそっくり残っているのだが、放射線が高く住む事が出来ない 
家が有っても電気が点いていない

チベットは秘境ではない  奈良時代には今でいう医学サミットがチベットでは開かれていた 
 伝統医学に得た最新医学を取りれた医学がチベットでは発達した
夜、テントに灯りをともしていると、蛾とかが入ってくるが、そーっとその蛾を捉えて、外に出す 
又入ってくる そういったことを何回となく繰り返す
どうしてかと問うと、前世ではその虫は私の母だったのかもしれないと言う  
咲いている花には一つの命があるという
冬中夏草  自分達は毎年取るけれど500本取るけれども、それ以上は取らない  
土には神様がいるじゃないか 欲張って取ってしまったら、神様が怒って、草を生えなくして仕舞う 
草が生えなくなったら、ひつじもやくも生きられなくなってしまう  私達も生活できなくなってしまう
チベット、福島にいって沢山の事を教えて貰う  
チベットでいえば、出合う人に挨拶のように気持ちは平らかいと言われる

漢民族の兵隊がふざけて、犬を打つ真似をする そういう時は憤りを感じるが、チベット人が
袖を引っ張って、外国人のあんたがそんなことをすると
騒ぎになるだけだと、それよりもあんなことをしている哀れな人に祈ってあげなさい  
自分自身の心の中には無かった事です
人の為に怒りではなくて祈ると言う事を教えられましたし、その事によって私自身が、気持ちが
平かに、あるように出来ると言う事を教えられますし
被災地の場合は、被災者の話を聞くわけですね 
 
Aさん、Bさん、Cさん それぞれの体験が違う(家を目の前でなくした、家族を亡くした、等々)
それぞれが辛いと思っていたけれどそれだけではない、Bさんの事は判らなかった  
人の身になって見ないと、本当に判らない(自分の事だけではない)
自分の範囲の中でしか、考えられない  想像してごらんと言っても、自分の範囲のなかでしか、
考えられない
皆さんの話を聞く事によって私自身の想像の範囲が広がる