2012年10月9日火曜日

G・Mナイル(インドレストラン経営者)    ・親子三代 日印親善の掛け橋

G・Mナイル(インドレストラン経営者67歳)        親子三代 日印親善の掛け橋  
インドレストランの2代目の店主 NHKの今日の料理やタレントとしても活躍しています 
親子3代、日本とインドの親善に貢献してきました
初代のA・Mナイルさんは1928年に京都帝国大学に インドからの留学生として入学 日本で多くの人と知り合う事となります
東京銀座に日本で最初のインド料理店を開店しました 
日印平和条約締結後、在日インド人会の会長を永く務めた事や、インド独立運動の功績が認められて、勲3等瑞宝章を受賞しています  
二代目のナイルさんはTV、ラジオで活躍 インド料理の普及に努めました 
又清元の名取として、新橋演舞場で美声を披露しています  
三代目のナイル善己さんはインド料理の教室を持っています  
又父親と一緒に清元の舞台にも立っています

カレー は日本にこんなに入ってくるとは、思わなかった 
しかし之はインドカレーでは無くて 日・印親善友好合体料理ですね
ラーメンも同様 本来の中国の料理ではない  
ナポリタンも同様  日本で出来た料理   日本の食文化は凄い
私の理想はもっともっとインド料理を広げたい  
インドの面積は日本のの10倍という広大な面積がある  
ケララ州(地図の左下  世界でもっともスパイスの取れる所)で父は生まれた
カレーは定義が難しいが、一般的な言い方では 「汁っぽいおかず」 が最初

昭和3年に父は日本に留学生として来た   
当時は英国領インドで留学は絶対考えられない事だった  
ごく少数がケンブリッッシ、オックスフォードに留学したが  (ガンジーとかネール)   
父は当時のインドの過激派(インド独立の)だった  
捕まってしまう恐れが有ったため、祖父が心配して 父を留学生として日本に留学させるようにした   
理由は、日露戦争で乃木大将がステッセル将軍を破った  
日本海海戦で東郷元帥がバルチック艦隊を破った、初めて東洋人が西洋人に勝った国、それが日本  
それで祖父母は息子を行かせるには、日本だと言う事で日本に出した  
当時、インドで留学生は父親だけだったそうです  
当時はインドから来たことを話してもインドを知らなかった 
当時20歳位 昭和7年に京都帝国大学を卒業した

父は語学の天才だった 英語、北京語 韓国朝鮮語 等 7カ国語をしゃべった  
父は本当に日本が好きだった(自分を本当に受け入れてくれた)
世界で一番対日感情の良いのはインドです  
第一回アジア大会の時に日本に飛行機を出してインドに連れて行った
(インドも本当に貧乏だったが)
東京裁判でインドのパール判事は日本無罪論を展開した  
「法律は全ての万民に対して平等である」という考えの元に、インドが独立しる時に日本は援助した(精神的な援助、肉体的な援助だけではなくて 具体的にインドの解放の為にいろいろやってくれた恩義をいまだに感じている)  
だから日本に対する感情が非常に素晴らしい 日本の悪口をいうインド人はまずいない
インドは東西南北 4っつに別れる  言語が14ある 
  
多民族で 食文化も違う  北インドは小麦粉を中心にしたもの 南インドは米を中心にしたもの
おむすびは日本米だから出来る  
パンジャブ州では素晴らしい小麦粉ができる そこではパン文化がある  
「ナン」は本来アフガニスタン とか中東の発祥なんですよ
ナンは北インド料理では少ない  ナンをインド人が全部食べていると言うのは間違いです
インドは広いので食文化が難しい  肉も食べる (牛の肉等)    日本の牛肉は美味しい 
ハンバーグも美味しい  インドに行くと牛肉は食べれない
インドの鶏肉は美味しい  じっくり育った鳥が多い 肉が締まっている
父は食だけは困ったと言っていた  
晩年父が一番好きだと言ったのは日本料理が一番だと言った(懐石料理等)  グルメだった
私は和食が詳しい(インド料理店をやってはいるが)  家庭料理は原点だと思う
アジアの益々の発展にはインドと日本が手を組んでやっていくのが良いと思う

新橋演舞場を借り切って年に1回演じている  清元    
店が歌舞伎座の前にあり、子供時代 楽屋に遊びに行って、開いている席で歌舞伎をズーッと見ていた
私の身体の中には邦楽が染みついている 
長唄、常磐津、義太夫も全部  何かをやりたいと思ったら、どうせ遊ぶんなら清元だよと母にいわれた
どんどん清元にはまっていった  (三社祭の漏れるためいきの最初の部分) 
歌と同時に語り   日本文化は良い(最近若い人は外れてしまっている)
長男 善己(37歳) 店を継いでくれた  
インドのホテルで修行した  インド料理のノウハウを勉強した  
柔道の黒帯 (中学3年の時警察学校で習う)   TV等で活躍している 
 
4代目 は現在小学校6年  前進は大切だが、何で前に進めるかというと過去があるから  
過去を粗末にした人間は必ず前進は失敗する
伝統をずーっと守っていけば安心できる    輪廻で回ってゆく 
「日本とインドの親善は台所から」  インド料理店を始めた理由 父が始める   
先人の恩は決して忘れない 
日本人は大方良い人です  外国人の文化を受け入れてくれる 食、音楽、住 等々  
日本のものにしてしまう事の素晴らしさ    
人的な交流が必要  お互いに行き来する  
文化を身体で肌で感じることが必要 大切なこと  それが世界平和に通じる  
何故いさかいが起きるか、それはお互いにお互いを知らないから  
自分の国をよく知り、相手の国を良く知ることで文化ができると、お互いのいさかいが減ってきて  なお一層平和な安全な世界が出来てくる  
例えば300年後には地球は一つの国に成っていると思う