2012年11月17日土曜日

永瀬忠志(冒険家56歳)      ・リヤカーマンが教える冒険スピリット 

永瀬忠志(冒険家56歳) ・リヤカーマンが教える冒険スピリット 
これまで地球を1周以上歩きました  荷物を乗せたリヤカーを引っ張りながら歩きます 
これまで19歳のときに日本縦断、 22歳からは世界に挑戦 貯金しては
歩き、貯金しては歩き、30年かけて5大陸をすべてを踏破、平成18年には、型破りな冒険で少年少女に夢を与えたと言う事で第10回植村直己賞を受賞
教員免許を持っていることで、一昨年の春から大阪の高校の非常勤講師となり 
冒険スピリットを教えています

田吾作3号 リヤカー名 アフリカを歩いた時のリヤカー  サハラ砂漠でまえに進まないときにスキーの板の様な板を使って その板を利用してまえに進む
水を沢山使う時には60L他のものも含めて90kgになるので、リュックサックでは持ち歩けないので、リヤカーにしている 
2か月分の食糧のほかにコンロとかいろいろ 持って行った  
塩湖ではでこぼこが激しくて、1日6km位しか進めないときが有った
(でこぼこを砕きながら歩く日が有った)
アフリカで使った靴 10足用意したが5足で済んだ 
穴が開いた靴 2800km位で足の裏に穴が開く
 
植村直己冒険賞 受賞  島根県出雲市に生まれる  
小学校4年になったときに 6年生に誘われて自転車で遠くに行った 20km位の旅だった
其の時楽しくてまだ見た事の無い風景を見たり、知らない人と出会う事が出来て嬉しかった  
それから日帰りで自転車に乗って良く行くようになった
高校1年になったときに 夏休みが終わって学校に登校したら、2人が真っ黒な顔をしていて、聞いたら2人で自転車に乗って島根県から大阪まで行って来た
という話を聞いて、自分はいつも日帰りしかして無かったので、刺激されて高校3年生の時に3日掛って、大阪に行ってきました

大学1年の時に 自転車で海岸べりを日本一周してきた  
来年の夏休みどこへ行こうか考えた日本の中央を縦断しようかと思った 
距離を計算したら3200km
海岸部を廻ったときは7500kmだったので半分の距離もない 
自転車で十分いけると思っていた歩いてみようかと考えるようになった
大学2年の時に日本縦断を歩いて旅をした 
歩く旅は荷物を自分で持って運ばなくてはいけなかった  荷物が増えて重くなった
北海道に行ったときにリヤカーを見かけた (前年)  
北海道で中古のリヤカーを購入して旅をするようになった

廃品回収業と間違われたりした  不審な人が歩いていると言われて、駐在所に連れて行かれた事が有った
大学を出て就職をしなかった 歩く旅はなかなかさきに進まない旅だけれどもいろいろな人に出会えるし、ゆっくり風景が見られる
今度は世界を歩いてみたいなあと思うようになった  大学3年4年はアルバイトでお金を稼いだ 
オーストラリア横断を考えた  4200km位  途中に半砂漠地帯がある 
54度まで気温が上がる時が有った  熱風が吹いてくる 歩くに歩けない 
水筒の水を頭からかぶったが熱湯になっていた もうこんな旅二度としたくない 
之が終わったら楽しい人生を送りたいなあと思って、後100kmで旅が終わってしまうと
旅が終わってしまうのかなあと寂しさがあった(半分半分の気持ち) 
アフリカも歩けるかもしれないと思い 又アルバイトをして26歳のときにアフリカに行きました
12000km 1年間かけて歩こうと思った 6700km行ったところでナイジェリアの街に着いた時に
リヤカーを荷物ごと盗まれてしまった

其の瞬間 嬉しかった これで旅を終える  歩かなくても良い アフリカの旅の2,3日目ぐらいから旅を続けない理由が無いかなと考えていた 7か月掛ってここに着いた 
リヤカーを盗まれることによって、これで旅を辞められると思った  
日本人にお金を借りて、日本に帰る支度をしていた
飛行機を予約して、飛行場に行く前に最後にリヤカーが盗まれた場所に行ってみるとやっぱりなんにもない  
その道を見ていて、ここまで来る事を次々に思いだしてきて、ようしもう一回やり直そう と強く思ちゃったんです

もう一度第一歩からやり直そうと 33歳の時実行(6年後) 其の時に使ったのが田吾作3号です376日掛ったケニア サハラ砂漠 フランスのパリまで14100km歩いた
46歳~47歳にかけて南アメリカ縦断 10000km歩く計画で行った  
ブラジルのアマゾンに行ったときに、ジャガーが出るので危ないと地元の人に言われた
(結婚して二人目の子供が出来て、生後11カ月の子供がいた時にこの旅を出発した) 
次の街まで580km離れている  客船で行った方がいいと言われる
迷って、迷って、歩こうという決断が出来ずに 船で行った  8800kmを 266日掛って歩いた  
旅を終わってあすこを歩かなかったなあとの想いがあり
ジャガーがいると言われた処を再度 歩く事にした 
 
時々大きなガサガサと大きな音がする  其の時に用意した音の出る笛のようなもので吠える
病気になった事は?  二回目のアフリカの時に40.8度の熱で病気に行ったらマラリヤだった  
10日間で直って進むことにした
旅が長くなれば、長くなるほど寂しさが増してくる  また朝が来ると思って眠る  
朝が来ると、また朝が来てしまったと思う しょうがないから起きて出発する
歩き始めると、悲しくてしょうがない ただ悲しい こんな旅をしていることが寂しい  
かまわずに泣くんです 泣きながら歩いていると 2.3時間して泣きながらいると  
自然に気持ちが静まってきて作業をするようになる  
あっちの方が砂が堅いんじゃないかと考えたり 我慢して我慢して歩いて行くと砂嵐になった時に風でいろんな事が起きる  我慢して、我慢して歩いていると そのうち我慢しきれなくなることがある,我慢の限界を超えてしまうようなことがある

沙漠を進む時に砂の上に板を敷いてリヤカーを引っ張って、砂嵐の中でやっている時の、
風で板がカーンと自分の足の骨に当った時とか、弁慶の泣き所にガーンと 当ったときはお―痛くて 痛くて 風に対していろんなことが起きる 
それを我慢して我慢してして歩いているのに もう我慢出来ない
風に向かって この野郎  もういい加減にしろ と怒鳴る  
2分か3分 風に全身で怒って居ると また自然に心が静まってくる  又それで作業を続ける
旅の途上で振り返ったときに 俺は こんなときにこんなことを思うんだなと あんな時のあんな行動をするんだなと 自分でも知らない自分に出会う楽しみを見つけた
生徒に何かを伝えるのに 中々思っているだけでは伝わらない  
冒険スピリット10カ条を教える

(1)立ち止まっていてもなにも動かない(俺はなにしているんだろう  答えが出てこない  
  頭の中が空白状態なる これだけははっきり判る 立ち止まっていてもなにも動かない)
(2)自分に出来る事は小さいことでもすこしずつでもやってみる (中々まえに進まない 歩くのが  嫌になる 10日間でまえに進む 先の事を考えると出来ないかも知れない
  自分にできることを少しずつ積み重ねて行けば出来るんじゃないかと思う)
(3)先が見えないと不安だが、だからこそ面白い(30歳の時 教員になったが 
  先が見えてしまった 先が見える旅は面白くない 先が見えない旅は不安だが面白い)
(4)一瞬の大きな喜びが明日への力になる  (歩いている時は、辞めたい、
  帰りたいと思っている時間とても多い 1%~2%ここまで来て良かったなあと思う
  其の時の喜びが大きいから、又やろと思う事になる)
(5)決断の時に心の比重の重い方にいけ( こっちに行こうか、あっちに行こうか 迷った時に   心の想いが強い方にいく  なにが起ろうが悔いは残らない)
(6)自然が自分でも知らなかった自分を教えてくれる 
(7)今日何かいい事があるかもしれない、そう信じて 朝の一歩を踏み出せ
 (最悪の事が起きるんじゃないかと思うと一歩が踏み出せない)
(8)耐えて、耐えて、悲しくなっても耐えてゆけ(母親が27歳のときに亡くなった 
  母親の顔が浮かんできて 母が口癖のようにいっていた 「またいい事があるから」
  母を思い浮かべて、問いかけると 母親が 「またいい事があるから」 と言ってくれる)
(9)一つの事をやり遂げれば、新しい目標が見えてくる(やらなければ次なにしていいか判らない 一つの事をやったらできた 出来たら之もできるかも知れない 
  次の目標が見えてくる  其れが出来たら 又次の目標が出てくる たとえ失敗しても良い)
(10)野で食べ、野に宿り 野を歩く野人に成れ(生徒に、どこででも生きていける、
  そういう人になってほしい)
  いつか歩けなくなるが、歩けなくなるまで 歩いていたい