2012年11月1日木曜日

原口隆行(鉄道ライター)      ・私の東京駅物語

 原口隆行(鉄道ライター)           私の東京駅物語   
先月10月1日、 東京駅が5年に渡る復元工事を終了しました  
サラリーマンを辞めた後にフリーの鉄道ライターとして、鉄道に関する記事等を鉄道雑誌などに 寄稿してきました  
東京駅の駅舎復元に当たっては記念のグラビヤ雑誌に、東京駅に関する歴史やエピソードなど興味深い記事を寄せています  

毎日、結構な人が一日中おとずれて居る  中年のご婦人が多い 
ノスタルジックな部分が感じられる事があるのではないでしょうか
丸ビルの5階に展望テラスがある  駅が良く見えるようになっている  
一番のお薦めは丸ビル36階で、食事を楽しみながら、東京駅が見えるようになっている
見どころ、復元されたドーム、天井が大きな見どころ  
動物のレリーズ 8か所配置されている 残された写真で復元されたもの
330m 左右幅である  

昭和20年5月15日の大空襲で壊滅的な打撃を受ける  応急的に処置した  
復旧構想が持ち上がったが、国鉄に費用が無くて、そのままに成っていた  
JR東日本に移行して、歴史的に価値が有るものだからという事で、発想の転換をして大正3年の時代の形に復元しようと言う事になる  
大正3年12月20日に開業した 
設計は辰野金吾博士 佐賀県唐津市の出身 (小笠原藩) 
設計事務所を立ち上げて業務をこなすようになる(帝大教授を止めて)
コンセプト 最初ドイツ人 ヘルマン・ルムシュッテルに相談したが、行きどまりにしないで、通過式の駅にした方がいいと進言あり、帰国した フランツ・バルツァーという技師が、その後を継いで、設計図を書いた   
和風建築だったが、辰野金吾が引き継いだ後は、当時の日本を象徴する駅にしたいので、様相になる 
 
試行錯誤しながら、書いていった  
最初は一階建だったが、後藤新平が東京市長に成って、どうせやるなら、3階建にしようと言う事で4倍の予算が付いた
南北にドームも付けた 
イギリスのビクトリア朝の建物と歌といわれているが、オランダのアムステルダム駅を模したと言われるが、似た駅はいろいろ駅はある
現在残っている駅で似ている駅は無い  オリジナル的なものと思う  
原敬首相が大正10年に東京駅の南口のドームの左手で刺される 
昭和5年に浜口首相が銃弾で撃たれる 
現在の新幹線の中央口に円形の処で事件が有った
一命は取り留めたが、それが原因で亡くなる

大正天皇、昭和天皇 行幸された場所でもある
財界の巨頭、政界重鎮の人達、高級軍人の人達が乗り降りした駅でもある
工事を慎重に進めた  関東大震災にも耐えた  
3月10日は下町 5月15日は丸の内界隈も大空襲を受ける  
要衝、交通網の襲撃は受け易い場所だった
鉄道は生命線なので、経済も停滞するので、一日も早く復旧しようと動いた  
終戦と同時に復旧計画がスタートした 昭和23年には2階建の駅舎を復元した
いなかにいると東京には願望がある 東京の大学に受かって上京した 
 列車が2階に着いた(高架ホーム)事に吃驚した(先輩からの手紙の内容)

浪人時代に伯父を頼って東京に行った  
新丸ビルから眺めて、大きいなあと東京駅を見て感じた  
その時に写真に収めた 唯一 一枚のみある
当時23時間59分かけて東京に来た事を覚えている  
その後サラリーマン生活 後に鉄道ライターになる
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