2012年12月4日火曜日

安積遊歩(あさかゆうほ作家56歳)  ・車椅子から見える人間社会



安積遊歩(あさかゆうほ作家56歳) 車椅子から見える人間社会
「1956年、福島県生まれ
骨形成不全症 13歳までに20回の骨折 8回の手術をしてきました 
両親や友達におんぶされ通った学校で体験するいじめ 身長109cm 体重24kgのちいさな 安積さんを差別と同情のまなざしで見てしまう人間社会  見かけでレッテルを張る社会に反発してきたあさかさんは車椅子の運動家として22歳の時から日本や世界を駆けまわりました   『癒しのセクシー・トリップ――わたしは車イスの私が好き!』『車椅子からの宣戦布告――私がしあわせであるために私は政治的になる』  

20カ国以上歩いている 日本ではまわっていない県はない 家族と言う事では充実している 
友達にも恵まれて 世界中、日本中に友達がいる
お腹の中から骨のDNAが違っていて 父、母何でもない人ですが 私から骨がもろいと言うDNAが重なってしまった
子供は私のDNAを50%の確率で障害を持つと言われたが、15歳ですが、子供も骨折を繰り返しています 同じ症状です

一人一人全然違っている 何でも違っているので不全と言うのは余計なお世話だと思う
身長109cm 体重24kgなので子供として扱われてきた 障害者たちとのであいのなかで自分も大人なんだから、大人として扱ってほしいと レジスタンスとして
タバコとかお酒とかで 周りを驚かしてやりたいとか  自分も大人の仲間入りしたんだと言う事を廻りは全然見てくれない 
身体で人を決める、みなすと言う事はうんざりしていて、 見かけでかわいそうだとかみじめだとか、大変だだとかレッテルを張る 社会を排除する
本当に下らないと思う 見かけは違っても皆おんなじ気持ちを持ってる  
この社会で大事にされたいし、自分も人を大事にしたいし もっと近づいて貴方はどのような人だと言う事を互いに知り合って、環境を作れるような、社会を作りたい  
遠巻きにしない社会 排除しない社会  どの人も一人一人大事にされるには知りあわなければならない
 
だから外に出て、出て、出て行ったのです  車椅子なので 母親と妹の背中でおんぶされて外に出て行く手段だった
福島では小学校では全部母親におんぶ、中学校では全部友達  人になにをしてほしいと言う事を伝えられる関係があれば、簡単
悪がきグループがいて、最初はへんな人がいると思っていたようだが或る時叔母が迎えに来てくれるはずであったが、中々来てくれない 女友達も帰ってしまっていて 誰も居なくなってしまった、悪がきのグループしかいなくて、そのグループが来て、どうしようと思っていたら、送って行こうかと言われた  
交代で5~6人が叔母の家までおぶってくれた あれを思いだすと人間て、本当に近づきたいんだと心のどこかに有ると思う

その後本当に仲良くなったかと言うとそうでも無く、しかし私の悪口をいうなんて絶対なくなった 私も皆にこえを掛けられるようになった
あまりにも人間は良い人だと信じられれば信じられるほど変わってきている 
小学校4年から養護学校にいて凄い差別を受けている 中学に転校する場合に 
校長先生に骨の弱い子を受け入れるわけにはいかないと言われる  
3か月間家の中にいる 校長先生が変わった(退職) 教頭先生から他の先生はうけいれる 気持ちはあった  3か月は非常に暗かった (自殺も考えた) 新しい校長先生は受け入れてくれた 16,17,18の時代は凄く辛かった  
立教大学、医療短期大学に講演でするようになる   母は私より先に骨折すると泣いていた 良くぽろぽろ泣いていた

父はシベリヤに抑留されていた 1956年に私が生れた  戦争がどのように間違っていたか、平和がどんなに大事か教えてくれた
TVで偉そうに言っているひとは気を付けろと言ってくれたりした
自分の身体を守るためには言葉 主張する言葉だと思った 
逃げれないから言葉で戦うしかなかった 
子供の問題行動は親が尊重する事があれば 問題ない  
子供が我儘を言ったら手を叩いてください 生意気だと言う事は生き生きできている子
なんといい事を言うのかと惚れぼれすればいい 
 
身障者をどう扱うかを  身障者という言葉自体が煩わしいと思っていた  
いろんな個性があるのに 人と言う事を強調して欲しい
22歳の時から動きまわった(車椅子の運動家として 東方西走)  優生保護法 
1952年女性の身体を子生みの道具にしないようにと言う事で中絶の自由の権利
障害を持つ人に対して、 不良出生の予防のため いろんな障害の病名が羅列されていて、
中絶の自由を守るための法律にもかかわらず 、障害を持つ人の
生存権は周りの大人や社会が決めるんだと言うようなことをいう  
人口増加を防ぐために後進国に人口調整するようなことは間違っている 
(個人の問題であると思う)

障害を持つ人の産む権利 根こそぎ奪うようなことは止めてほしいと言った 
1996年フリオネプソン? 別表(障害の病名)は無くなった
優れて生れなければいけない 五体満足な と言うような形になっている 公害病とか 人間の強欲さ等からくる障害を持つ人が生れる
仲良くなれる社会になるはず(障害を持つ人が中心になれば) 
 しかし 障害をもつ人を隠す 秘密にする 

エレベーター作る運動 荷物用のエレベーターしかない時代に街に出ようと思っていた  
駅員が「お前ら荷物用のエレベーターに乗りたいなら、自分は社会の荷物だ
と言ってみろ」と言ったんですよ  もうぶっちぎれましたね  
抗議し続けた 最後には謝ったが こんな人が一杯いると思った
障害の有る人、お年寄りに 必要と思って運動した  毎日 手紙を市長に出したりした
駅での手助けには100人のうち99人は手伝ってくれる
 断る人は腰がいたいとか、急いでいるからというような返事が有った
人間て親切なんですよね 余裕があれば    いまではこれだけのエレベーターが付いている
エレベーターは当たり前に付いたわけではない  年寄にも有り難い

子供の時に手術をして、麻酔が切れた時に物凄く痛くて泣き叫んだ 母親と妹が泣かせてくれた私がここに居られる核になっているのは痛い時に痛いと言えた  
それが凄い大事です 痛いという自分の気持ち、感性 は伝える人がいる事 聞いてくれる人がいる事 泣くと言う事は一番の悲しみと辛さからの回復へのプロセスなんです  
お互いにカウンセリングしてくださいと、自分の感性 辛いなあと思った時に辛いなあと思う気持ちを唱えるから一遍に死にたいなあと言うところまで行ってしまう
辛いなあと思って感性があるなら涙になる 泣きたいだけ泣いた方がいい  
そうしたらこれほどの自殺はないと思う

何でこれほど自殺が多いかと言うと その人の価値を認めない社会 自分自身も認められない
泣いたらいけないと思って泣いていては十分に泣けませんよ  
排出 出す作用 (トイレと同じ) 情報を頭の中に入れて いらないものは(お前は馬鹿だとか なにも出来ない癖にとか 男の癖にだとか)は関係ない 差別であって私は私であると言う事を皆が応援する社会になれば完成