2012年12月14日金曜日

倉本聡(脚本家77歳)      ・震災後に思う 2

倉本聡(脚本家77歳) ・震災後に思う
中西悟堂(日本野鳥の会の創設者)が父の親友だった  
父は俳人だった その頃から野鳥の名前、声をよく覚えた 
父は高校2年の時に亡くなる 生前贈与の精神的遺産が非常に大きかったことを思う  
毎週宮澤賢治の作品を音読させられた 物凄く後で役に立った
年を取ってからだと身体に沁みつかない  文章の韻律が身体に浸み込んだ 
 麻生中学、高校と進む  (小学校1年の時に国民学校に入った)
小説を書いたのは中学 戯曲の様なものを書いたのは高校時代  山野楽器の息子が同期にいて、テープレコーダーを貸して貰って ラジオドラマを作った

大学では劇団に入った  本物のラジオドラマを作ったのが青森放送で1本書いた  
卒業する時に新日本放送からラジオドラマを書いた
日本放送に入社  生の擬音の作り方を徹底的に学んだ  
母親、妹、弟をかかえていて 食えなかった  内職を始めた(日本TV)
自然に興味を持ったのは 大学時代は山によく行っていた  富良野に行ったのは42歳  
カヌーとか乗馬とかを始めたのは遅かった(50歳ぐらいから)
富良野塾 2010年に閉塾  役者とライターを育てたかった  劇団を作る気はなかった  
ニューヨークの演出家テリー・シュライバー が日本に来た時にいろいろ話した

日本の売れている役者はどのくらいスタジオとかで勉強しているか聞かれて、売れている役者は
日本では勉強していないでしょうと言ったら、吃驚された
アメリカでは売れている役者は皆学校に行くと そうしなかったらトレーニングをする  
ボクサーが一週間休んだら身体の筋肉が落ちてしまう  ダンサーが
ダンサーが1カ月練習しなかったら後退してしまうだろうと言われた  
演技も同じだと 常にやっていなくては駄目だと言われて あーそうかとこれでは日本も
遅れてしまうと思った     プロの俳優さんたちが勉強できる場所を作りたかった 
日本のプロなんか来てくれないので素人から始めた

同時に生活をさせようと思って 授業料、一円も取らないでやろうと思って、農協に話した  
日雇い (でめん)を雇ってくれないかと交渉して始めた
興味のある人 2年間 途中で挫折が多くあった 夜逃げ 駆け落ち 等有った
禁句をつくった  1.「そうはいっても」   2.「前例にない」 3.自己責任でやる  
4.金を借りることを一切しない(私  宮澤賢治の教え) 
マイナスはない  バーチャルなものだと言う事を教わった (借金はしない)
自分で現役でないと生徒は来ない  現役をやるということは物凄く労力がいる 
そのうえで教えなくてはいけない ダブルにきく そのことに体力が持たなくなった

生徒にどんどん無反応 無気力になってきた  それに嫌気がさしてきたので塾を辞めた   
年齢差が出来てきたことも 議論しようと思っても議論に成らなくなってしまった
「時が来たら勇気を持って脇へどけ」と言う言葉があるがやっぱりどくまいと閉塾の挨拶で言った
環境教育基本法 シンポジウム に参加したがちっとも判らなかった  
判りやすい形を取るべきだと思って、じゃあ自分でやろうと思って ゴルフ場が閉鎖されたが
そこを森に返すことにしようと思った  
芝をはぎ取り 耕して 地場の木の種を拾って来て畑に蒔いて、芽をださして、それを植えて行った

34町歩を森に返そうと思い4万5000本位かな  種をまき始めると 鼠算的に増えてくる   
ゴルフ場を作り過ぎた 前の姿を知っているので、もどそうと思った
人工林は幾何学的に成りやすい 自然林は鳥が糞を落としたりリスが運んだりアットランダムになる
考えたのはロストボールがあってそれを打って落ちたところに植えることにした   
芽が出始めてしばらくしたら鹿が出てきてしまい、駆除の相談を大学の先生に
相談したら、人間の髪の毛の臭いが嫌いと言う事で、ヘアートニックを撒いたがきかなかった  
散髪屋に行って毛を貰って来て撒いたが、最初きいたが駄目だった
一番良いのはライオンのおしっこだと言った その代わり強烈なにおいだと言われた  
旭山動物園に行って貰おうとしたが 効かないと一笑された

考え方を変えて 鹿にくわれるならそれより多く植えればいいと考えた 放置した  
その後木の成長の方が勝った
環境教育をしている  例えば 46億年と言う歴史と言うのを460mの小道にした 
地球の歴史が判るようにした  人類がでたのは20万年まえ 2cm  西暦元年は
ゴールから0.2mmまえ  産業革命は0.02mm前  表現のしようがない   
同様のものが全国各地に出来てきている
脚本家になるには何が必要か 観察眼 でしょうね  興味と好奇心と  マンウオッチング 
人を見る事がなによりも先行すると思います

物まねの人がよく人の特長をぱっとつかむんですよね それに近い感覚を持たないと 
人間が何をかんがえているかという 事とか  インナーボイス 無口の人が
心の中で何を考えているのだろうとか 話の合間 間を取っている時に何を考えているのだろうとか、想像する能力が一番大事なような気がする
無口の人間が心の中で一体何を考えているんだろうと言う事に興味もって  前略おふくろ様でそのインナーボイスをナレーションにしてみようとして使って、北の国からにも出した
本来は喋らないものですね  外国の名優を見ていると 黙ってインナーボイスでしゃべったか見ていると判りますよ (アンソニー・ホップキンス 、デ・ニーロ)  
それを見抜く力は脚本家になる一番の資質(入り口)ではないでしょうか
 
笠 智衆さん(りゅうちしゅう)に80歳を過ぎた頃 出てほしいと言ったが、駄目ですと言いながら 口説き落として 出てくれて そして物凄い芝居をする それを3回ぐらいこなした
自分はこれで最後の作品かと思った時はその作品を良くするしかない  
後何本書けるかは自分の意味、仕事に対する 何を書くかかにかかってくるような気がする
自分のしたい仕事には限度があると思うし、60歳代にはこれが終わったらあれを書くかと
言うように 湯水のように意欲が湧いていたが流石にそれが無くなった
もう80歳になるのでもういいかなと思います