2012年12月28日金曜日

山下光江(フラワーデザイナー)     ・新年のウイーンに花を飾る喜び

山下光江(フラワーデザイナー)         新年のウイーンに花を飾る喜び  
オーストリアウイーンフィルファーモニー楽団のニューイヤーコンサートを控えて会場であるウイーン楽有協会の黄金のホールを飾り付ける準備は始まっています
山下さんは普段は東京でフラワーデザインの仕事をしているのですが、年末に成りますとウイーンに赴いて、ニューイヤーコンサート会場の花の飾りつけを担当しています
全部で10数人の中のただ一人の日本人として、2006年の暮れからこの仕事に参加し、今回で7回目になります

11月からクリスマスの準備に入り、12月25日に撤収して、お正月の飾りに入るので今が一番忙しい
出発は25日に行く 28日から仕事に取り掛かる予定   
朝トラックで運ばれてきた花を会場内に入れます
黄金のホール 50m(奥行き) 20m(幅) 2000名が収容できる会場  
花を飾る場所   花だらけとなる 舞台正面 パイプオルガン 両サイド 2階両サイド  
立見席 メインのTVカメラの前  花を最初撮りながら会場が全部映る状態になる  
バレーの踊る会場 すべてに花が満載される
こんなに飾っているコンサートは他にはない 
フラワーデザインになるきっかけ  小さい時から花が好きだった 
が職業にするとは思っていなかった  OL時代に花を良く買いに行っていた
その花屋さんがとても素晴らしかった どこで勉強したのか聞いたらアメリカとの事だった  
その花屋さんがきっかけと言えばきかけだった
アメリカに行くことになり、花の勉強をしようと思って出掛けた  
専門の学校がある (プロを育てるための学校)

友人に誘われて、オハイオ州にいって、花屋さんに行って働いた 翌年の3月末に日本に戻ってきた
結婚式場の飾りつけ、企業のイベントの飾りつけ等を開拓して、生徒に教える等を行っていた 次に何をしようと思った が漠然としていた  毎年ニューイヤーコンサートを何気なく見ていた  
2004年 ムーティーさんの指揮の時にアーこれかもしれないと思った  
NHKに電話をしてつてが無いかを聴いたが、なかった
場所に行ってみたいと思った あらゆる人に聞いた オーストリアに講演をする人等に聞いて回った 実現するまで3年掛った 
ウイーンに行って花を担当している方に会おうと思ったが合わず仕舞に成ってしまった  
年末にFAXでイエスかノーか連絡してほしいと言ったが 返信はノーだった
諦めかけている状況だった  
2006年にある方とスイスで落ち合う事に成り、ウイーンに行くことになり、一緒にウイーンへ行った

ウイーンフィルの楽団長 チェロをやる人にお会いして、楽団長のアドレスを教えて下さって、手紙が良いかもしれないと言われて、手紙を出した  無理だろうとは思っていた
1ヶ月後に本人から手紙が来て、とても気にかけて下さった様で 花に関して言われるのは初めてだと言われた その後はトントン拍子で話が進んだ
2006年末は新しいデザイナーを取ったので 知らない日本人等お世話できないと反対された 
花組合の理事長が最終的に決まって、そこに居ればいいと言われた  
組合の中では盛り上がっていたようだった(日本人が来ると言う事で)
2007年の飾りつけが一緒に出来た  
サンレモ 観光の人は多いが静か  花の産地  サンレモ(熱海と姉妹都市)に近付くとだんだん畑に成っており温室が沢山見える
ノーベル賞の授賞式のはなもサンレモから送られてくる  
切り花は3万本位  鉢はウイーン 300から1000位
29日にかなり進んでゆく 30日コンサートがあるので合い間合い間に飾りつけを行う 軍人が多く参加してくる     まだ舞台の上は何もない
31日の朝方3時、4時位に終了する
1日は本番  11時から(夜の7時から日本で放送される)
飾りつけは11人~12人 ウイーンの人がほとんど   
舞台正面の下の方を主に担当する (指揮者の足元)
飾りつけに言葉は殆どいらない