2012年12月9日日曜日

北井一夫(写真家67歳)     ・時代と向き合って半世紀

北井一夫(写真家67歳)   時代と向き合って半世紀
写真展 「北井一夫いつか見た風景」 が開かれている 
学生時代からの200点が展示されている
日本大学 写真学科を中退 写真集を自費出版 代表作 「村絵」では経済成長に伴って変化してゆく村の風景を克明に捉え多くの人をひきつけました
北井さんが写真家として大切にしていることは、どの位置で写真を取るのかはっきりとさせたうえで、今を捉えることだと言います

美術館での展示ははじめて  めぼしい写真を全部展示出来て良かったなあと思います 
私の写真はだれでもみている様な、普通の人が普通に生活しているのを
撮った写真なんですね  1枚1枚ゆっくり見てくれる人が多い 高齢の人が良く見てくれている  
高校2年ごろから絵の本を見るのが好きだった  
デッサンをやらずに抽象画を描いたりしていた  
絵の学校に行くにはデッサンが必要だった デッサンを今からやるのは時間が無いために、日本大学の写真学科を受験して、入学した 
反抗的な面が有ったため、基本的なことをかなり授業で教わる  
白衣を買わされる 温度計 現像液の計量カップを自分で持たないといけない 
単純な反抗 白衣を着なくなった  液温も指で、計量もいい加減
自分の肌に合わなくて 随分先生との言い合いが多くなって、学校に行かなくなった  
半年行っている間に3人、仲のいい生徒がいた(写真家の息子)
判らない事はその人達から聞いた   写真を止めようかなと思ったが、デモの写真を撮らないかと友人から言われて、面白そうだと思って、傷ついたフィルムで撮ってみようと考えて、撮って、良いなあと思った

横須賀のバー街も撮る(カラー) (1964年11月)  それらの写真を写真集にする事にした   
全部で当時65万円 親に半分 親戚2軒からも借りる
返却には16年経ってから返却しようと思って返しに行ったら、帰ってくるとは思わなくて、感動してくれて、写真の仕事の足しにしなさいと言ってくれた
三里塚の写真  ペンは剣よりも強い と言いますが 矢張り 検は強いんですよね (政治は)  写真は自由に撮りたい が 段々こう撮って欲しいと強くなっていて
これじゃあ自分は写真家に成れない  
政治の説明みたいな写真になりかねないと思い辞めようと思った
当時 成田市の三里塚 のどかな農村だった  農業の生活を中心にしながら、闘争も有りますみたいな写真を撮ってみたいと思った
私は戦う為に行ったのではなくて、写真を撮りに行ったのだと、そこを間違えないようにしなくてはいけないと思った

自分は皆の生活の写真を撮りたいんだと 闘争も撮りますと説得して理解して貰えた
写真を撮りに来る人は多かったが、聞かれるとあんまりはっきり答えないような人が多かった 自分の写真をドキュメンタリーと思っています 自分と対象の関係性を写真に表現する    
その頃は報道写真全盛の時代だった  望遠レンズで相手とは関係性なく撮っていた  
私は広角レンズ(25mm)で相手のリアリティーを引っ張り出す写真としてやりました
木村 伊兵衛さんに言われた言葉の影響が大きかった  
写真家は誰よりも一番弱い立場に自分を置かなくてはいけない  
弱い人の気持ちとかが判らない

頭でちゃんと気を付けて写真を撮るようにした方がいいですよと言われた  
写真を撮っていると、つい上から見下ろすような錯覚をしてしまう事がおおい
自分が見下ろすと写真が撮れなくなってしまう  
対等か、相手に対して謙虚に成らないと撮れない 見えなくなりますね
1970年の写真 塹壕の中 塹壕の光が浮かび上がっている 
女性が穏やかな表情で見つめている 大執行が行われる時に穴を掘って立てこもっている写真
自分も中に入って撮った写真 広角レンズで撮ってるので表情が判る写真になっている (穏やかな顔)
相手に対して批判的な写真は撮れない  
「村絵」シリーズ 1973年から撮影を始めた  1971年には三里塚を離れた 全国に置き換えて 農村の風景、人達を撮りたいと思って始めました
当時、写真は都市論と言われていた  撮ろうとも思ったが、なんかもわっとした人ごみで好きに成れなかった

三里塚に行った時にはほっとした 温かみを感じられて農村がいいかなと思った
やっぱりちゃんと説明する 第1回木村伊兵衛写真賞を受賞  自分にとって価値あるものだった その後、スランプに落ちいる  旨くなりすぎ、慣れ過ぎちゃった  
自分で案じてやらない方がいい と思った  全く違う事を撮影しようと思ったが、何をやったらいいか    判らなかった   
口では負けなかったが、攻撃的な事をいわれても反論できなくなった  
人との接触は無くなったが、写真は3倍ぐらい撮り続けた  
船橋市 在住だった 市長から新住民に対してどうしたらいいか判らないので なにかいいヒントみたいなのはありませんかね と言われた 

団地、新住民に対しての生活を撮ってみたいと思った  市役所のロビーで展覧会をやらして貰えるか聞いたら面白いと言う事になり4年間位やらしてもらった
「船橋ストーリー」が誕生  「出勤前」 これから出勤しようとしている家族の風景 緊張感のある写真  新住民の日常生活    村絵は理解して貰いやすかった  
団地はどこでも同じ形で撮りにくかった   
写真家は一番大事なものは其の写真家が生きた時代をどう盛り込むかと言う事だと思うですね
村絵をやってきた時は 根底に皆 貧しさが有ったと思う 農家の中はくらっぽくて 人の存在感 物の存在感が重い  うつむき加減気味にやると人の存在感がずしんと出てくる   
「船橋ストーリー」の頃は高度成長期のバブルに向かう頃ですね 
貧しさみたいなものが皆豊かに成って 団地なんかは明るく 真っ白  人とか物の存在感が軽いどう写真に表すかが難しい  頭ではわかるが写真には出てこない 
上向き加減にすると軽い存在感が出てくる  
80年代の表現 明るさ、軽さ  ドキュメンタリーを撮っていた写真家は皆行き詰った 
それほど時代が変化することは写真家にとって大変な事だった

写真をやってきたおかげで沢山の人の人生 いろんな物事を沢山見れた感じがする  
普通の人が生活して50年経つよりも2~3倍位多く生きた感じがする
大震災後2カ月 被災地の写真を撮ってて気付いたのは普通の写真を撮ろうとは思わなくなった見えてきたのが道とか電信柱が残っている
何にもないところに道とか そういうものをずーっと撮ってくような写真を撮ろうかなと思っている とにかく見続ける事だと思います
被災地何だけれども 普通の風景の写真になると良いかなと思っています 
それに元気に生活している子供達を写せると良いなと思います