2013年3月24日日曜日

赤松陽構造(64歳)        ・八重の桜のタイトルを書いて

赤松陽構造(64歳) 
八重の桜のタイトルを書いているタイトルデザイナー
映画やTVの題字やタイトルの文字、画面上に出す時間等、画面の文字全般の仕事をします
日本大学在学中に21歳の時に父を亡くして後を継ぐ形でこの仕事を始めました
43年間で担当した映画は400本にもなります

八重の桜の題字はどんなもので書いたのか 竹の先を割って行って筆の形にした物を使いました紙に対し滲みが無いという効果有、又滲みにくい紙を使用したのでなおさら滲まない字となった 
狙いでは細くでも強くと言う狙いはあります 芯の強い女性をイメージ
製作者役者の名前も同様に細い筆で書いた(10~20名の追加が有る 毎週書いている)
TVの題字では今回が初めて  映画ではゆっくりしたペースで出来る(TVは倍のペース)
「美しい夏 キリシマ」  黒木監督と親しくなるきっかけの作品
毎日映画コンクール特別賞 平成24年度文化庁映画功労賞 受賞する

従来は監督とか役者が貰っていたが、今回始めて裏方が受賞できた
いろんな方が集まって一つの者を作り上げる世界(役者、監督、美術、照明・・・)
キャパシティーが広い  プロの集団でもある 芸術家タイプの人もいる
映画  多くの人に見て貰う  作品がずーっと残る
デザインの仕事は点数とかは付かない 或る与えられた時間の中でどれだけ自分がこれに対して集中してどれだけできたかが唯一の根拠  どれだけ満足が得られるかだと思います
一番最初 企画から台本が出来た時に依頼が有る場合が多い 台本を渡される
粗繋ぎのフィルムを観てデザインをイメージする  そこからスタートとなる

デザインサンプルを作り プロヂューサーと打ち合わせをして具体的な流れになって行く
台本頂いてから1カ月~4カ月が大雑把な流れとなる
基本的にはいろんなものを書いてみる それを観て作品と合っているか考える場合が多い
何で書いてみよ言うかとか何に書いてみようかとかをポッと考えがいろんなときに浮かんでくる
書くものも、いろんなもので書く ろうせき、枝、割り箸、釘、マジック、等々
いろんな方法で作品に対応してゆく
一人っ子で我儘だった 昭和32年生れ 割合内気で有ったと思う
父親が映画の仕事をしていた 映画は小さい頃から一杯観に行った
高校時代は学園祭とかで16mmカメラを父親が持っていたのでそれを撮っていたりし興味を持った
カメラマンになりたいと思う様になった 大学では撮影コースで勉強する
父親が急逝して、食べていけないので、父親の後を継ごうと大學も中途でやめざるを得なかった
仕事が面白くなり始めたのが、30歳ぐらいからだった
筆の練習(レタリング)とかを自己流で勉強はしていた 書いたものを先輩から見せてもらったりした
当時は同じような字体が多かった 大島渚監督とか 篠田監督とか、若松監督とかにであって其の映画に係わることで凄く大きな刺激を受けた
体制の中に飽き足らずにプロダクションを作った方々だった
書道をやっていなかったから、かえっていろいろな発想が出来るようになったと思う

大事にしているポイントはあら繋ぎの物(ラッシュ)を観る時 映画の本質 この映画は何を言いたいのかを観れるか見れないか 見れれば後は自分で作っていく作業に入れるが、見られない場合は自分で作って行く作業には入れないわけです だからラッシュを観る時間を非常に大事にいている
この映画をどうしたらいい映画にできるかを参加した皆が考えているので、自分でも自分の領域でどれだけ良く出来るかを考えている
努力して行かないと手に入らない(天職とは思っていない 天職にしてきたと思う)
若い人 アナログからデジタルに変わってきた デジタルの仕事はやり直しが効くとか、早い時間で出来るという非常に便利なツールなんですが  しかし早いこと、便利になったことで失う事が物凄く大きいと思う

若い人達は何を失ってしまうかを解っていただきたい
デジタルでは観てやり直しが効く技術になった
良い文字をどうやって書くかは昔と変わらないと思う
(観る目が有る人が少なくなった事も事実)
映画で培ってきたものをTVでやってみたいと思う
アナログからデジタル 私達の時代の人がデジタルを覚えてアナログで培った物をデジタルに展開したいとは思う