2013年3月17日日曜日

田中和男(出版社社長)      ・詩人茨木のり子の残した愛のかたみ

田中和男 
茨木のり子さんは世代を越えて幅広い読者をもつ戦後代表的な女流詩人ですが7年前に亡くなりました   
先立たれた最愛の夫、三浦安信さんへの想いをつづった詩の草稿を密かに残していました
死後発見された40点ほどの詩は「歳月」という詩集として世に出ましたが、茨木さんの7回目の命日を機に、これらの詩に生前の作品をくわえた愛の詩集とも言うべきアンソロジーが出版されました
出版に携わったのが、田中和男さんです 
命日である2月17日に墓前に新しい詩集を備える決心します 「私達の成就」です

代表作 「寄りかからず」
もはや出来合いの思想には寄りかかりたくない もはや出来合いの宗教には寄りかかりたくない
もはや出来合いの学問には寄りかかりたくない  もはやいかなる権威には寄りかかりたくない
長く生きて心底学んだのはそれぐらい  自分の耳目 自分の二本足のみで立っていて
何不都合の事やある  寄りかかるとすればそれは 椅子の背もたれだけ
(1999年 大ベストセラーになる 朝日新聞の天声人語に紹介される  10万部 異例中の異例)

茨木さんは20歳の時に終戦を迎える 
茨木さんとの出会いは35年前に子供の本屋を開いたが、その時に訪れてくれた
茨木さんが「詩の心を読む」を出していて、この本にサインをして貰ったのが最初の出会い
「詩の心を読む」のまえがきに
良い詩を読むと僕たちの心の中にある優しい気持ちが引き出されてくる
あらゆる生き物に対するいつくしみの気持ちというものがドンドン膨らんでくる
とありこの本にのめり込んで読んだ

第一印象は無言であった 1時間座っていたが、一言もしゃべらず帰って行った
茨木さんは病気は沢山持っていた(脳には動脈瘤 心臓にも動脈瘤が有って病気がちだった)
茨木さんは私の子供時代を聞きたがった
茨木さんはくいしん坊だったのでいろいろな店を知っており、良く御一緒したりした
私は出版する仕事に替わる   「対話」が第一詩集 
私が読みたいと言う気持ちが有ったので、絶版になっていた本を復刊した
23歳で結婚する(山形の外科医とお見合いをして、お互い一目ぼれする)
25年間の結婚生活 その後夫は癌で亡くなる

本格的に詩に取り組んだのは結婚してから
「櫂」という同人雑誌を始めて谷川俊太郎、大川誠 岸田衿子
 等が入ってきた
易しい言葉使いで自分の気持ちを詩にする人
日々の暮らしが大事で、そこから詩が生れて来る  生活派の詩人
生活派の詩人は詩壇の中では蔑まされるような感じ
茨城さんの詩は透明な水が流れている様な感じ   誰にでもわかる(子供にもわかる)
「早く死にたい」と言っていたが、夫が亡くなってそう思うようになったようだ 
25年間の結婚生活の後、残り31年間は一人で過す  79歳で亡くなる
未発表の詩を発見する 亡き夫への挽歌、鎮魂歌 (生きている間は絶対に見せなかった)
遺族の手で亡くなった翌年に公開されて、「歳月」という詩集で世にでる

「泉」
私の中で咲いていたラベンダーの様なものは、皆貴方に差し上げました
だからもう、香るものはなに一つない 私の中であふれていた泉の様なものは
貴方が息絶えたとき  一遍に吹き上げて いまはもうかれがれ だからもう涙一滴こぼれない
再びお会いできた時 また薫のでしょうか  五月の野のように
又溢れるのでしょうか  ルードの泉のように

姿は無いけれども彼そのままが目の前にいて、其の人を抱きしめて、恋焦がれて
ごいっしょにくらしたという そんな感じが出ている

「歳月」
真実を見極めるというのに、25年という歳月は短かったでしょうか
90歳のあなたを想定してみる  80歳の私を想定してみる
どちらかがぼけて、どちらかが疲れ果て あるいは二人ともそうなって、
訳も判らず憎み合っている姿がちらっと よぎる あるいはまた
ふんわりとした翁とおおなになって   もう行きましょうと たがいに首を絞めようとして
その力さえ無く  しりもちなんかついている姿  けれど歳月だけではないでしょう
たった一日きりの稲妻のような真実を  抱きしめて生きぬいている人もいますもの

詩のアンソロジー 1冊の本にまとめる
「私達の成就」 の核となるものとして 「急がなくては」

「急がなくては」
急がなくてはなりません 静かに 急がなくてはなりません  感情をととのえて
貴方のもとに 急がなくてはなりません   あんたの傍らで眠ること 
再び目覚めない眠りを眠ること  それが私達の成就です
たどる目的地の有る有り難さ   ゆっくりと急いでいきます

現代ではまれな交じりっけ無しの愛の詩集 谷川俊太郎の帯にある言葉

茨木のり子さんほど日本人を深く愛した詩人はいないのではないかと思いました
日本人の心の奥底には、昔と同じように依頼心が強くて、上にはへつらって、下には傲慢という
日本心のくせみたいなものがあって、そういうものに、茨木さんは厳しくて、はっしと其れをしかりつけるという  かと思うと、もう一つ 日本人の心の底にある優しさ、とか 和の心を救いあげて賞賛する  日本人に対する深いいつくしみ の気持ちが溢れているように思います
この世界を作っているのは つまり一人の男と一人の女が最小単位で、その二人が愛し合って、美しい家庭を作ると言うのが、この世界ではなにより大事だと言う事を身をもって実践されたのが茨木のり子さんだと思います