2013年3月21日木曜日

塩野米松(聞き書き作家)       ・書き残したい貴方の気持ち

聞き書き作家・塩野米松 インタビューの形式をとりながら、一人の人に何時間も話を聞き、話し手の人生や体験、仕事を通して学んできた技その時の思いなどを聞いて行く根気のいる作業です
終わった後に話し手の受け答えを一字一句書き起こして話手の言葉だけを文章にして纏めます
塩野さんは30年前に聞き書きの必要性を気付き、宮大工、竹細工、石工、炭焼き、等手仕事をもつ日本全国の職人の方々にお会いして聞いてきました

35年前に聞き書きの作品を作ったのが最初 私の質問は一切書き入れない
一番最初は法隆寺の棟梁の西岡常一さんだったんですね
こういう本を作りますと、言うので 「こういう」が無い 貴方だけの言葉で本を作りたいという
挨拶のつもりで行ったが、その場からインタビューが始まった 
「木に学べ」が最初だった (「木の命、木の心」がその後だされる)

最初は手書き テープおこしをするが、目の不自由な人がテープを聞いて、ひらがなで書き、それを健常者が漢字に直したりして送ってくる 会話の内容を頭に叩き込んでやっていた
使われる用語が宮大工専門用語、そのまま使用した
最初明治の初期に落語だとかを筆記して、本にしたそうだった(筆でしゃべる通りに移す)
明治維新回顧録等も有った 官軍の服装だとか、徒弟制度だとかいろいろ記載されている
相手を大切にしようと想う気持ちがないとお話は聞けない
人前に立つと言う事はそうなると思う

質問者には聞きたいという意思が有るし、答えると決めたからには、解って貰いたいと言う気持ちが有って、どこかわからないんだろうなあとのやりとりをする
人に遭って聞くと言うのでは1000人を越えていると思う  
アナウンサーの方はラジオでお聞きになってる人達の為にこの場で判る様に処理している
私達はいったん聞いて、それをストックして、沢山貯めてその中から、本を創り出すので、今やっている会話そのものがそのまま聞かれると言う恐ろしさは無い
私達は最後に文章として描き表されるので、それが最後の目的なんですね

どんな人でもおもしろいとは思う 聞ける範囲は知れているので、自分が生きている間に聞ける人数はそんなにない  宮大工山から始めたので職人、木を切る人、魚をとる人とか或る所の職業を通して聞き書きの仕事をやってきたのが有ります  技術、職業
急速に手の仕事が無くなって行った(大阪の万博等で)
無くなって行く仕事が惜しいと思った(時代の変わり目として変わってきた時期)
公害問題、蛍がいなくなったとか ニュースで言っていた
目の前で店を閉じて行く、急速に変わって行く風景を目にした
当時は箱館では5割は就職する人がいた

聞き書き 面白いだけで割りの合わない仕事 
西岡棟梁 との話 18か月にわたる 20回は通っている 1回に2~4時間
膨大な量のテープです  皆さんに解って貰えるようにして出来上がった
NHKで朗読してくれることになった  
西岡棟梁に読んで貰うのが一番だと思ったが、そうはいかなかった
肉親はなかなか難しい いちいちそんなことは聞くなとか、恥ずかしさだとかあるので難しい
御爺さんと孫との間では良いかもしれない

「手技に学べ 技」著書 竹細工をするお婆さん 笹の様な竹でかごを編むのが仕事だった
曲がったかごを編んでくれないかというお客さんが来た 私の手は作れない事は無い、私の手は曲がった物でも真っ直ぐに作れる様に素材の違う竹で同じ寸法のかごを常に作れるように手を訓練してきた、だから私の手は歪んだ物を作れと言われても、多分作らないだろうと言われた
人間の頭は常に休みたがるし、ずるをしたくなる、だから一生懸命訓練して手は黙ってても、ずるもしないし、なまけもしないようにしてきたので、ごめんなさいね 
それ作れません とおっしゃる

胸に痛い話です  その人の人生観の話をしなくてもその人がやってきた事実をそのまま話されれば、聞く方は自分の事として響くんですね
西岡棟梁の話 千年の檜を切ったんだから、千年持つ建物を作らななければ、宮大工の勤めは果たされません と言われるとズキンと来るし、彼にしてみればあたりまえの木の使い方の話をしているだけで、私に人生訓を教えてくれるわけでは無いが、それぞれの仕事の具体的な一つ一つには知恵だとか、心構えだとかが一杯埋まっているんだと思うんですね
楽しいし、ある意味頭が下がる

戦争  反戦という言葉はもう決まりきっていリアリティーがない 
佐渡でお会いした御爺さん 学校で進められて志願兵になって、15歳で飛行隊になって、飛行場で降りて来る飛行機を指示するカンテラをもって立つ役目だったんだそうです
余りに寒くて凍えてカンテラを掲げた途端に転んで、カンテラの油を浴びて全身を大やけどするんです
その後すぐ終戦になって佐渡に帰って来るが、全身やけどをしているので、あの混んだ電車に乗れない そうやって皆が何とか次の電車に乗せてくれたりして、返してくれたそうです
その御爺さんの話を聞いている時に、何でもない時に「子供が戦争に参加するようなのはやっちゃあいかんなあ」というんです   これが反戦の一番原点だと思う

人に話すような人生では無いと言っていた人に話を聞いていて、自分の人生を聞かれるままに話しているうちに、振り返りつつ 自分は長い人生生きてきたなと、 家族も無事育て上げた、親方には随分世話になった 整理して覚えて行くと話してもいい人生だったのかもしれないと思われるらしい
最後はまんざらでも無い人生だったかなあと言う顔をされる
一人一人の話を聞いて、並べて見てみると日本人て、結構真摯な生きかたをして日々を一生懸命に暮らしてきた、素敵な人達なんだなあと思えるようになった
家族に話さなかった事も話してくれたりした時も沢山有った
喋ってくれた人の本だと思う
聞き書き 出会いを求めると言う意味では話す方でも聞く方でも互いにボランティアで、誰かの何かの役に立つと言う作業であるかと思います