2013年4月26日金曜日

沢木耕太郎(ノンフィクション作家)    ・ぼくが追い続けてきたもの 2

沢木耕太郎(ノンフィクション作家)    ・ぼくが追い続けてきたもの
「凍」「一瞬の夏」などの作品の本が完成してからも続く、もうひとつ物語を中心に伺います
そこからはノンフィクション作家の沢木さんの生き方が見えてきます

登山家の夫婦を取材 山については全く経験のない人間だったが、山野井泰史さん夫婦がヒマラヤの8000m近い山に登って、下りて という時にかなり厳しい雪崩にあったり、してるうちに凍傷にかかって、日本に戻ってきたときに、手術を受けて 泰史さんは指4本 妙子さんは最初の関節から指10本 失うとかの状況になっているんだけれど、知り合いに一緒にお見舞いに行きませんかと言われた(知り合いではなかったが私の読者だと言われて行くことにした)

全然2人とも普通で、無理に自然にしているのではなく、嘆いたってしょうがない、今ある状況の中でどうやって生きていこうかと、言う感じがきっちりとあって、凄くかっこいい人だった
私が却って2人のファンになってしまった  その後付き合いだした  
1年後にもう一度山に行かなくてはいけないという事になった(その時に投げ捨てた荷物はごみに過ぎないと、そのゴミを引き取らなくてはいけないと、拾わないと登山は完結しない)  
一緒に行こうかなと言ってしまった

夏に富士山に行くことになる  スーッと上る事が出来た
「息は吸おうと思うな、吐こうと思って吐いてくれ」と言われた 
シェルパは強く吐くそうすると吸わなくてはいけない     
測候所に泊る事になる(山野井さんと測候所の人は知り合いだったので)
へモグロビンが血液中の空気と結びついて空気を身体中に送る 
へモグロビンが酸素と結び付きやすいと、酸素が大量に送りやすいので高地に強い
山頂に長い時間いると高山病にかかりやすいといわれるが、大丈夫だった
その秋にヒマラヤに行くことになる
5000m超える時には順化を普通やるが、大丈夫じゃないのと言われて行ってしまった
5500mにテントを張って、翌日荷物を二人は探しに行く 私はぼんやりそこで過ごす
そこでまた一泊するが、高山病になるのか心配はあった

帰るときに頭がクリアになった(ミニ高山病になっていたのかも)  これを書いてみようかなと思った
取材側に入っていく方法が違う  取材を徹底的にやる(三人称) のと 一人称 徹底して一人称として見る人間、を見つめる  私ノンフィクション 風、空気の流れまでも自分が肌で感じる物を文章として提出するというもの 
最初に完成系として出来たのが「一瞬の夏」という作品
「テロルの決算」では綿密に資料を集める 浅沼稲次郎山口二矢 二人の人物像が浮かび上がってくる

「一瞬の夏」はボクシングの元チャンピオンが30歳を前に、もう一回、再起をかけようとする
カシアス内藤  文章を書こうと思って始めたことではなかった
見るだけではなくて何かをするという願望が強かったような気がする、それがカムバックすると言ったときに内藤さんに手を貸す事が私にとっての、見るだけのものではなくて、何かするもの、行為をするものとしての 自分自身の主体を自分が満足する事だったと思う
作りごとではない(凄いこと) 内藤さんの願望だけでなく、私の願望でもあったと思う
1年間の写真を仲間が撮ってくれていて、それをスライドで見せてくれるというので、家に行って見ているうちに、凄い物語だなあと感じて、彼の写真集を出すことになり、短い文章を書いたが、朝日新聞に書くことになり、カシアス内藤の1年間を書いた

その後、ジムを作り、息子のボクシングプロデビューまで関係が続いてゆく
カシアス内藤はボクシングから退いた後に、いろいろ苦労して(いろんな仕事に赴いたり、妻を亡くしたりして生活にも苦労した)いたが、彼には人に教えるという能力にたけていることを発見した
「一瞬の夏」を少年院で読んでボクシングをやりたいという少年がいた その若者が新人王になる
日本タイトルマッチをその少年がやる事になる (一度は敗退したが)
内藤は若者を預かる事になる 1ヶ月間 内藤がジムで教える姿を見て、教えることの才能をそこで発見した  一つのことを週に一回だけ教えて行った 
勝って日本チャンピオンになったが、周りの誘惑に負けて、崩れてゆく  
フェードアウトして俳優になるが、そこでも又問題を起こして、崩れてゆく 
カシアス内藤が喉頭がんになり、急がなくてはと、ジムをバタバタと作る事になる
抗がん剤と放射線治療(食欲はあった)でステージ4のがんはそのままで、8年たったが生きている

息子がボクシングで高校のインターハイに出るようになり、プロに転向する
現在、活躍している
取材している相手、テーマが時間が感じられないぐらい、ずーっと一緒にある
果てしない長さで付き合いがある(小説の対象者の息子さんだとか、娘さんだとかとの付き合い)
山野井さんとアンデスに行きたいとの思いがあるが、1カ月間、時間がとれるだろうかと考えてしまったりする(若いころならば一つ返事で行こうと思ったと思う) 
あとどのくらい仕事ができるだろうか、考えるときもあるが、年がら年中考えているわけでもないので、ひょっとしてアンデスに行っちゃうかも知れない

偶然に対する信仰があって、偶然が常に何かを切り開いてくれるような、気がする
偶然に柔軟に対応することで、私の人生は動いてきた
偶然に対してかたくなにならない、偶然に対して柔軟にリアクションすることが、私の人生をこういう風にしてきた最大の理由だと思う
その時の偶然の出会いにきちっと、反応できる柔軟性、しなやかさをもっていたい
偶然性を楽しむ、偶然に反応する自分も楽しむ、そこで切り開かれた世界も楽しむのをできたら、結構面白い