2013年4月27日土曜日

八名信夫(俳優76歳)      ・悪役だからこその面白さ難しさ

八名信夫(俳優76歳)   ・悪役だからこその面白さ難しさ
プロ野球・東映フライヤーズ(日本ハムファイターズ)にピッチャーとして入団しますが、試合中のけががもとで3年で選手生活を断念、映画俳優に転向します  昭和58年に悪役商会を結成、映画やTVドラマで数々の悪役を演じてきました
最近では朝の連続TV小説「純情きらり」でおじいさん役など出演し幅広く活躍しています

俳優生活55年を迎える  岡山県出身  悪役ばっかりやってきた
いろんな方との出会いがありました いろんな職業のかたとかと話をしてきました
人の味というものを教わりました
米軍の兵隊がキャッチボールをしているのを見て、面白いと思って軍手を数枚使ってミットを作ってもらって、遊んだ  それが野球への道の元となった
高校は秋山、土井が下にいた
腰の骨を折ってしまう  東映から俳優のほうに行けと言われる
東映本社社長であり、東映フライヤーズオーナーでもあった大川博さんから言われる

当時背の高い俳優がいなかった 俳優の勉強した  
最初は新人は俳優座に半年間勉強させられる  現場で勉強させてもらう事になる
一日400円で、なかなか生活がやっていけなかった(時計とか、いろんなものを売った)
俳優を止めようと思った時があった  野球の時代は月給5万円(大学の初任給が6000円ぐらい)  いつ辞めるか考えていたが、顔が映る場面に出ないといけないと思った
監督に身体の小さいのが倒れるより、俺が倒れたほうが迫力があると訴える
ではやってみろと言われた  
倒れこむ瞬間に砂埃がバーっとでて、迫力あるシーンが撮れて、監督等に認められた  
馬に乗って追うシーン(馬に乗った事は無かったが乗れると偽ってでる) 
後ろ姿だけを悪役は映される  
馬が倒れて、俺も倒れて、スタッフが寄ってきて、先に馬に気を使った

悪役で勝負 すぐに悪役は死ぬので、すぐに次の仕事ができる  月3回死ぬ
役作り 洋画を見て研究した 悪役で俺が一番帽子が似合う
生活ができるようになったのは20年ぐらいたってから 役がつくと3000円貰えた
40年近くたった時 個室をもらえるようになる 名前も大きくなるようになる(5秒ぐらい映る)
母親が悪役はいいから善人役をやれと言われるが、スナックで数人で歌っていたら、60代のおばさんから、今映画がつまらないのはお前らがちゃんとした芝居をやらないからつまらないんだ、主役にこびているじゃないか、もう一回使ってくださいという目が画面に出ていると言われた  
タクシーで待つ間にそのことで話をした

焼け火箸を腹に刺されたよ  実際にこびてたよ そういう目をしていた(また仕事くださいという)
賛同してくれる人間だけで作ろうと思った   「悪役商会」を立ち上げる 
施設訪問する  日本全国 養老院とか まず庭を掃除しながら、回ってきた
明治大学の監督だった人から言われる
ありのまま 媚びない 飾らない 
人に好かれるという事はいいことだが、好かれようとして、生きて行くな
人に媚びて、人が何かやってくれるのを待つな、 自分からやれよ   財産になった