2013年4月15日月曜日

甲野 善紀           ・武術の技を暮らしに生かす

甲野 善紀      ・武術の技を暮らしに生かす
大学では畜産、林業の道を目指しました 
しかし、効率最優先の農業の厳しい現実にショックを受け、中退 20歳の頃から人間にとっての自然とは何かを追及する中で武術に出会いました
1978年独自に武術の研究を行うために、武術稽古研究会を設立してさまざまな流儀の武術や異なる分野との交流、武術の古文書の解読や研究を積み重ねてきました
現在は武術にとらわれない、身体運用法まで研究は広がって、その技と理論がスポーツ、楽器演奏、介護の現場などに応用され成果が上がっています

身体の動きと着物との関連性はある 高い下駄はいているが 路面で転ぶ場面があるので、自然に気をつける  小石一つでも転ぶ可能性があるので注意が必要
食事は雑穀が好きで、料理と言えないような簡単なものが好き 野菜はさっと湯を通したものを食べるとか、ごく簡単な料理で食べるのが好き
1949年生まれ ひっこみ思案で、体育は通信簿2だった動きも鈍かった 野球のルールも解らない
野山で遊ぶのは好きだった  動物を相手にするしか選択肢はないのではと思っていた
弱いし引っ込み思案だったので、武術にはあこがれがあった
曾祖父(鳥海弘毅らが大日本武德會を設立に貢献)は武術の世界にいたが、他には武術に関しては縁がなかった

東京農業大学、畜産学科に入る 牧歌的雰囲気にあこがれていたので
行ってみると、工場のような感じなので、これは生き物を扱うやり方でなないと思った
実習でひよこの選別でオスをごみを捨てるような扱い方をしていて、愕然とする
効率最優先での農薬を蒔く近代農業に対する根本的な疑問が出て、自分が行こうと思っていた道が閉ざされてしまった 
途中で林業に変えたが、実際との乖離があり 結果として中退した
ずっと日々いろいろ考えていたが、21歳に人間の運命は完全に決まっているのと、自由というのが同時に存在しているという事が確信できた

自分の生涯は、21歳で気付いたことを体感、実感しようと思った
確かめていこうと、それには武術がいいと思った
アインシュタインの相対性理論 光 粒子と波  物理というのは物を決めてきたのに、物の理を究明してきたのに、それがどちらでもあるというような結論になってくるという そこが自分の中に深く影響を与えたと思う 
禅 無門関 本当に修行した人は因果の法則を超えられるだろうか 越えられないだろうか
因果の法則はを超えられるだろうか 越えられないだろうかというのは さいころの丁、半の目が同時に二つ出たようなもので、どう解釈しようとみんな間違いだという風に書いてある
それらが自分の中で融合して(気ついて)
合気道とかいろいろやって、自分で納得の行くようにやらないとだめだと判って、29歳のときにこの仕事を専門にして、これを職業にしようと思った
 
稽古法を研究しないといけないと思った  
変な自信だけあって、一人で武術稽古研究会を立ち上げた
現実に身に降りかかる事に対する対処するか に対して追及する
スポーツはルールに従ってするもの
身体と心理的な反射 認識する時の(目や耳) 特性がある
2003年に研究会を解散する 巨人の桑田投手にアドバイスをして私の名前が世の中にでる 
そうしてしまうと、会自体が権威みたいになってくるといろいろまずいと思って、やめてしまった
松聲館 
「術と呼べるほどのものへ」2012年発刊
単なる繰り返しの延長線上にはないもの 質的に転換している

単純な帆かけ船というのは風を受けて前に進む ヨット見たいな三角帆を張ると逆に進む事が出来る(ジズザグ走行すれば)  三角帆を知らなかったら不思議だと思う
身体の中にある様々な原理をうまく使って、単なる繰り返しの延長線上にない技というか
そういう面で術というものを大事に考えないと、ただ努力しろ、努力しろと言って、筋トレなんか
やって力をつけて、というだけでというような形だと、どうしようもない
身体運用法 楽器演奏のアドバイスをしている 実感を得て頼りにしてくれる人もいる
介護も、寝ていいる人を起こすのに、ちょっとした手のひらを返すだけで全然劇的に楽になる
なぜか明らかに楽になるのに広がらない 不思議だと思う

現状のやり方とあまりにも違うと、そこで記憶から削除したくなるらしい
あるJリーグのチームに呼ばれて指導したことがあるが、選手は大興奮したがコーチは困ったような顔をして二度と呼ばれなかった
有効な技は得たいと思うんですが、今までの常識と異なると、突然態度がよそよそしくなるというか,一番問題なのは、どんなことでも人間の活動は身体を使ってやる
演奏に関しても不自然なまま、繰り返しやっていて、固定化されて、腱鞘炎になったりしている
身体を使う認識が今一つ
ちょっとした手首の返しかただとか、向きとかで全身にどれだけ影響しているかという事への指摘が私があった人はそういうことを、音楽を習っていた時代にそういう事を聞いたことがあるという人は本当にいませんから,基本的なところで凄く無理な姿勢で数だけやって、なんとか体に染み込ませようとして、でも身体は拒絶しますから、絶対おかしくなる