2013年2月27日水曜日

村上隆(現代アーティスト51歳)      ・現代アートで時代を変える 2


カタールのドーハで開催され(国交40周年記念)そこで展示された作品、 圧倒的な存在感が話題になった全長100m にも及ぶ大作五百羅漢図について伺います

絵画は抽象的な現代アート 大作五百羅漢図は初めて日本人に好かれた作品です   
きっかけは 芸術新潮 辻 惟雄先生と連載をやっていた
狩野 一信の五百羅漢図が改めて脚光を浴びる展覧会作っていて、辻先生は狩野 一信を非常
に軽視していた
処が本物を観る機会が有って、見たら自分の認識が違っていたと、雑誌や本で見ていたものと、全く違う事が判った 大きな過ちをしていたと気付く
先生は五百羅漢図の事ばかり書くようになった  
最初は3cm四方に200体位をかく 長沢芦雪   五百羅漢図が見つかる
米に書けるアーティストの方を調べて、おなじ体数をかいて貰った  又羅漢の話に成って、
伊藤若冲 羅漢の話をする

狩野 一信の勉強して、大震災が有って 芸術が無力であると言うのを感じた思うところが有って報道で宗教の発生の原点が見えた様な感じがした
現代は科学至上主義で、なんでも分析できるという前提のもとに、それに従って皆が従ってゆく 
信心がまかり通っているという考え方が有る
宗教はどっちかと言うと脇に追いやられている  
割りきれないと言う事は人間の世界には有って、病気とか衛生面で 克服されていない時代は特にそうだったんだなと、大震災の時にあっと言う間に表に出てきた   
五百羅漢と言うのはそもそもいろんな禍を一個一個解決してくれると言う 

神様としていらっしゃる 十六羅漢は中国人が生みだして、日本に渡来して500人に増えた  
宗教の発生そのものに、五百羅漢と言うのは、今突然 狩野 一信の展覧会が有るけれども 
偶然ではなくて必然だなと思って常に偶然が時代にピタッと来る瞬間が有る
その瞬間に 大震災前に、辻先生は五百羅漢、五百羅漢と言っていて、大震災が有って
僕も描いてみようと思って、 自分が本当に無力であることを思い知らされて、(絶望感)  
社会に何の効果もない 何にもない生き物でした
絶望を共有することが、芸術の一番大事なものと思った  ゴッホは一番解りやすい 
ゴッホは色んな意味で絶望していたと思う

絶望の中で日本の浮世絵に希望を見出したり、自画像をかいたりし希望を見出そうとしていた 
絶望のふちまで行って自殺してしまった、ムンクも同様   
五百羅漢は、出来ないと断ろうとしたが、だめだった  
絶望している事を正直に表現すると言うのがカタールでやっていく 
展覧会の意味はなさそうだったが、カタールから助成を頂いていたし、カタールの王室の人は同じ
アジア人ということをおっしゃっていたし、アジア人同士の先進国であった日本がああいう大震災でカスタトロフして、それに気がついた芸術家が絶望してしまって、という思いで描いた

無理だから 25mでもカタール用に作れたら、皆喜んでくれるので言っとくよと言われて、
かちっと来て何が何でもやろうと思った
私は建築家に似ていると思う  設計する   歴史を知らないと出来ない 図面を引いて施工
すれば出来るというようなやり方だが、今回はそう言う風には出来なかった  
自分の中で今回はわーっと出てきた(初めて芸術家と言ったように思った)
絵具会社に連絡し、作って貰う(銀色を多く使うので 絵具を作って貰う日程等を含めて、調整する) 延300人(40~50人いた) チームワーク 絵具一つとってもチューブなっているのはここ50年ぐらい昔はオイルと油を大理石の上ですり潰して絵具を作っていた 
 
絵の大事な部分は下準備  絵は100年以上生き残れなくてはいけないので、下準備が下手だと剥落してくる
昔に成ればなるほど、アシスタントが多かったはず、そうしないと一人で出来る分量ではない 
絵画を作ると言うことはコンピューターグラフィックと同じ世界 
日本の戦後の情操教育はドイツのシュタイナーズ理論に結構趣をおいておいて、感じるままに
感じましょうと言う事が一番重要になってしまった
それの延長線上で芸術もかたられているので、感じるままに感じるって、非常に個人が主体性を
もつように、感じる 教育された方は気持ちが良くなる理論なんですね  

しかし迷走してしまっていると言うのも事実  本当はルールが有るのにも拘われず ルールが無くていいので感じるままに感じるのが一番べストなので、「ピカソの絵は俺感じない」とかに成ってしまう  
それはルールを知らないからそうなってしまう 
芸術のルールは?→写真もデザインも同じだが、 四角いもの 7:3とか6:4とか 比率は人間が
見やすい比率ですが 縦に絵を観る 横に見る時に、目が追う軌跡と言うのは目が四角の中を泳ぐ流れは有る一定のナビゲーションは可能なんです
絵を観る目の巡回先は有るわけです  それはまだ建築のように理論付けられていない  

現代美術の登場によって目線の誘導とかいうとかは 、関係ない情操教育のもっと尖鋭性のものが出てきてしまって、ただここに物体が有ればそれは芸術である というムブメントが出てきてしまって1970年代に出てきて仕舞って、あんまりそこら辺が発展していない 
生きざれにされているエリアですが ルールが有るんです
私がルールを理解していると言う事を専門家の人達が解っているので、共有しているので私が
作っているフィギュア、と言うのを珍味だけど食べてみよう、食べてみたら、まあいいんじゃないの と言うのが私の作品なんです   

ルールがある、設計図が有る、大作が有ればそれなりに複雑な建築の図面と同じように、絵画の図面も複雑に有る   
建築が地震が有れば立っていると同じように、地震と言う様な時に対応するのに匹敵するのは
絵で有れば、300年残るのか、10年しか残らないのかで、絵画の設計図の図面は全然違う   例えば 下地作る、素材の選択 素材の塗り方、乾燥のさせ方 漆職人とか、陶器職人と似ていると思う  技術的な文脈ですね
画面が有って壺が有って花が有ったら先ず花から見る  
抽象画では顔で有ったり、花であったりを、どういう風に設定、表現するかが非常に難しい

写真では解らない事が、本物を観ると絵具がちょこっとした厚みが違っていたりして、明らかに
一番最初に見る構図のところに突起部が有ったりして、それは写真には写って無かったりする やっぱり本物 を見なければ、駄目だと言う事になる
五百羅漢図も全然違う  雑誌で見ると目線から30~40cmの距離  この距離で100mの絵は
見れない 人間が必然的に後ずさりして見る 4m以上下がって見る
近くで見てこんなに複雑な事をやっているんだと 遠くで見るのと違ったものが見える

女王が村上氏のファン コロンビア大学に行かれてアートの空気を吸った 
 国を立国とはどういう事をすることか 国が立国して、存続して、頂点迎えて 衰退してゆく
そう言う歴史を学ぶ時に 国と言うフレームの中に芸術と言うものは絶対なければいけないというのは学んだと思う
経済、産業だったりするのはもちろんだが、芸術も絶対必要だと思う  
人間が生きて行く中で  そこを強烈に学んだので、そこは足りないと思ったので、凄く今精力的にやっていると思います  
早く国を熟成するためには不純物が必要だと思う
今日本は不純物を廃絶しようとしている  純粋に経済を活性化すればいいと 皆言う 
それはおかしい 不純物がないと人間は生きていけない

不勉強だと思う  カタールは王室が国を何とかしてゆこうと思っている   
早く国を熟成しようと思っている
カタールは日本のシエールガスの技術によって潤っているので日本には恩が有ると言っている  
日本がいなければ、我々の国は無いと言っている
大震災の時でも99億円を被災地に寄付している  
村上氏は日本では評価が余りないが→藤田嗣治 は珍妙な髪型 おかっぱ頭 丸眼鏡で 
パリで寵児だった 
戦争が起こって、愛国心が燃えて帰ってきた  
自分が出来る仕事で、出来る事と言う事で、戦地に行って絵を書いた  
戦争が終わって、戦犯として 日本の絵画協会みたいな処から彼こそが戦犯であると、つるし上げを食った
  
いろいろ有ってさばきを受けて逃げるようにしてパリ戻った  嫉妬と無理解だと思う
彼がやってたのは洋画 だけど彼のフォームは日本画なんですよ 
折衷したことは日本洋画の人達には許されざる事だった  
西洋のルールを学ぼうとして洋画をやっているんじゃないのか 、有ろうことか日本の魂である日本画を海外でしかも、油絵で語るとかなにごとかと言われて、彼は追われて逃げた  
芸術の本当の大事な部分は衝突なんです  衝突と破壊 そしてもう一回再生 
その衝突の瞬間は物凄い嫌われてと言うか、無理解の極地になる
何が起こっているか判らないので  でもやっている本人はビジョンが見えている 

50年後は単なる何の変哲もない風景ですよと
今は見えないかもしれないけど、困ったなあと、当人はこんなに嫌だとはおもわなかった 
毎日毎日言われる  はしたない 人のネタで商売している
藤田さんと同じ  日本画の技法で西洋で商売している事と同じ、そんなもの誰にでもできるじゃないかと、手塚先生も日本画の人に君はスケッチが出来ていないので勉強しなさいと言われた しかし 漫画は記号で有って写生ではないと言う理論を発明
私も文化の衝突の真っただ中に居るんだろうなと思いますが、勝手に人のねたで商売をして搾取であると 搾取して何も還元していない
でもそのうちに解ると思う  いずれそのうちに還元するのは実は私なんです、

私は信じて疑わないし、そう言う事をずーっとやっている
うちの「かいかいきき」という会社は狩野永徳 2代目の人の評論文から来ている かいかいきき
私が大学に入って嫌っていたのは徒弟制度、徒弟制度を安易に組み込むと将来、家が建つぐらい、高く売れるよと言われたのが嫌でしょうがなかった
作品に意味がある様に感じなかった 
しかし日本人に一番合う芸術の生成の仕方とはなにかと言うと徒弟制度しかないと言うのを現代美術を勉強して、アメリカで活動してゆくうちに、日本人とは何かと、言う事を考えれば考えるほど、徒弟制と言う事を基本にして集団で物作りをやることが非常に、適性に有ってると言う事が解ってきたので、日本人が芸術をやる時には、集団でやるべしと 理念ですね  
漫画家でもそうです 
 
映画が作りたかった 去年から出来るようになった いままでの延長線   初監督  シナリオ
 音楽付けるとか 初めて 「めめめのくらげ」
受験の絵 西洋式の絵 漫画絵 漫画絵が下手だった  
五百羅漢図を作る時には、ストーリーを考えざるを得なかった ストーリーを一杯考えていた 
ストーリーテーリングが出来るかもしれないと発見したので、絵画では伝えられない事が有るので、今の空気を今の言葉で伝えたいと思っている
フィギュア作り、絵をかいたり、映画を作り 同じ気持ちでやっている   
すべてこの世は理不尽で不幸なものである そういうメッセージなんです

私の一番大事なメッセージなんです  今現代は不幸を感じさせない奇跡的な一瞬だと思います多分これから崩れて行くと思う
こんなに幸せな日々は続かないと思う ふっと振り返るとちょっとした裂け目で地獄図が出て来る
世の中なので、それはやっぱり忘れてはいけない
子供のころにベトナム戦争が有ったり、痛い痛い病 公害がいろいろあって なんで不幸な人が
いるんだろうと思って、  今は全部隠してしまっているんで  ストーリーの中で子供達にメッセージを伝えて行きたいと思っている  
ゴヤが子供を食べている絵が有るが、あれが私の絵の原体験で、ずっと頭に残っていて時々
其の絵がフラッシュバックして来るので必要な体験だと思う