2013年4月7日日曜日

小川 和佑(国文学者、文芸評論家) ・泰平の世を桜花に願う

小川 和佑(国文学者、文芸評論家)  ・泰平の世を桜花に願う
三好達治や、堀辰雄など近代日本文学の研究をされ、文学と思想について発表されてきました 
また小説家や詩人とて知られる中村真一郎に師事して詩の世界でも活躍する一方で、教員時代には剣道部の(ニュースで中断)

暖流のそばに桜はさいた 沖縄の寒緋桜は暖流にのって、九州から黒潮沿岸に花を咲かせた(縄文時代の前だと思われる) 沖縄の前は台湾からきた(苗木を沖縄に持ち込んだ)
その前は福建省・揚子江の河口近く、 その前は揚子江をさかのぼって、
チベットまで上がってゆく
ヒマラヤ山中に桜があって、その桜の種が流れついてきたものが日本近辺に来ている
ネパールの国王から送られた桜が熱海にある  秋になると咲いている
もともとは桜は秋に咲く 
太平洋側の宮城県、青森県弘前、北海道の松前に流れ着く  北日本のほうが江戸彼岸、南のほうが、山桜 山の上に咲いているが、これは沿岸部の桜の種を小鳥が持っていった
山の桜は淡くて、花びらが小さくてかわいい

好きな桜は「かすみ桜」 山桜の高地性の桜 (標高900m以上1000mまで) 
特徴は葉っぱの後ろが白い 花の大きさはソメイヨシノと 同じぐらい
木がまっすぐに空に向かって直立する姿が魅力
6歳から剣道をやらされた  周りの友達とうまく合わず本ばかり読んでいた
雑誌の連載で桜をテーマにしたことがあった そのときに桜を読んだら100冊の中で桜に対する嫌悪みたいなものが2編しかなかった 
大きな影響を与えたのは? 最後は古事記までさかのぼった
辿り着いた作品「允恭記」(允恭天皇) そこに桜の歌が出てくるのが最初(5世紀半ば)
秋の酒宴をしたときに、小春日和のときに、咲いた花があったのが盃に残った
桜は宴会の酒と機縁が切れなくなった

貴族たちは秋の桜を愛でた 履中天皇は自分の宮殿に若桜の宮と名前をつけた
万葉集のほうには桜の歌が40数  梅の130  梅のほうがまだそのころの貴族たちが・・・
生憎誤解が通説になっているが 遣唐使が梅の実をもってくるんです
中国では梅の花を楽しむことがあるが、ほとんどは果実として、食材の一つ
ところが日本に持ってくると、花はきれいに咲くし、きれいに咲くし、花見をした
花見の伝統がなければ、万葉集にそんなに梅の歌が詠まれるはずがない
桃もそのときに持ってきている 
何故桃や梅が珍重されるかというと、先進文化 大陸の新しい文化の象徴であった
それに対するあこがれであった

万葉集 「春さらば かざしにせむと 我が思ひ し桜の花は 散りにけるかも] 
「妹が名に 懸けたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに」
古代の物語の形式の中にあるわけです  一人の少女を二人の男が愛していて
両方のせめぎあいで、少女は自殺してしまう あずま歌の中に残っている 物語りの典型です
源氏物語の浮き船がこの形をとっている(代々文学の中にそういう形がある)
現代の小説の中で一番わかりやすいのが宇野千代 薄墨の桜  継母と娘との間に葛藤を広げていくという話  瀬戸内晴美も同様なものがある
庶民が花見を楽しんだ時代は  秀吉の時代 吉野山へ花見にいった
秀吉には貴族趣味はなくて飲めや歌えの大騒ぎになって足軽まで一緒になって騒いだ
秀吉が醍醐寺に家康と出かけて行ってここで花見をしようと秀吉が言って翌年に大がかりに桜を植えて徳川家康と花見会をやった

花見という神事が、庶民の楽しみの俗なるものに変わっていった 聖から俗へと言っている
家康の政治家としてのすごさがその後出てくる
江戸時代 江戸城に組がえする 関が原で勝ってからの江戸城改築するが喧嘩ばかりする
(戦国時代の名残があるから) 一策考えたのが、花見をしようというんで、三河、伊勢の商人たちに、浅草寺の裏に花園を作って宴会をさせる(ガス抜きをさせる)   千本桜 
吉宗が再現する  紀州から入ってきたので基盤が弱い 基盤を強化するためには庶民の支持が必要、武家達を操縦するため 飛鳥山に鷹狩りに行く ここに桜を植えようとしてこれを行う
庶民が来られるようにして、庶民が来るようになる(庶民、武家が一緒に楽しめるようになる)
向島の土手に桜を植えた (土木工事のため)
そのころ植えた桜は彼岸桜 小金井の桜は山桜を植えた

ソメイヨシノは安政の大獄(1850年)が終わったころだと思われる
染井の庭師が大島桜と彼岸桜の交配した桜を育ててみたら、すごい桜ができて流行する
最初は寛永寺に植えた 次は吉原 夜ぼんぼりをつけて花見をさせる
挿し木で増やせるので、簡単   だから工業用品だって言っている
何故全国に広がったか
靖国神社を作る 京都の怨霊信仰 御陵信仰 東京に持ってくる
木を植えるのに一般的には常緑樹が普通だが、桜を植えることになり ソメイヨシノの挿し木を一杯もってきて、植えつけた

花は桜に人は武士  忠臣蔵の芝居の中のセリフ 潔く咲いて潔く散る
軍部に利用される  春、秋に大祭をする   見世物をする サーカスがくる
お参りに来ては桜だということで これが軍国の花なんだなあという風にして 日清、日露戦争のときに、忠魂碑を立てたときに桜を植えて、これが全国に広がった
ソメイヨシノは工業製品  大量生産大量販売の原型
生命美 平和、豊か 日本が安定した発展のためには、桜であったほうがいい
安定の発展を考えてゆきたい そうすると散身の桜とは反対になるのではないか
安定の発展を考えてゆくには、守り方ができてくる 
桜の国ということは非常に大切なことだとおもう