2012年9月27日木曜日

大江健三郎(作家77歳)     ・ノーベル賞作家 人生と日本を語る 


大江健三郎(作家77歳) ノーベル賞作家 人生と日本を語る
渡辺一夫先生と酒を飲んで、自重的な生活が必要 自分の年齢を健康な年齢と言うものを想い浮かべ
て居ると良いと、そうすると無理をしない と言われた
渡辺先生の本をズーッと読んできて大学に来たんで、死ぬまでそう風にしたいと思うので、
先生がお仕事をしている間はずーと生きて居たいと思います と言ったら
先生も、自分もフランソワ・ラブレーと言う人をラブレーが死んだ年齢まで、生きて  
ラブレーと言う人が判ったと言った
君もいずれは何歳かで死ぬと思うが、死ぬしばらく前までは仕事をすると思う 
 最後の仕事の本を読んでからあーっこの人(渡辺)はこういう人だったのかと考え
自身の一生を終わって下さい と言われた
  
私の目標は先生が73歳で亡くなり、73歳までは先生の最後までお書きになった本を読んで
理解してやろうと思った
先生より5年長く生きているので、それが私の健康の目標です 
 (目標の人の年齢までは最低限生きる)
太平洋戦争が終わったときに10歳でした それから2年経って新しい憲法が出来て公布されて
、新しい教育制度の中で育ってきました
以前の教育の法律であると村の、国民学校を卒業すれば、家の仕事 (森林関係) 
することになったと思うが、新制中学が出来た

そうすると中学は松山まで行かなくてはいけない そうなると下宿しなくてはいけない 
そうするとお金がかかる  高校2年で転校する(松山東高校)
ある女子高生が転校してきた生徒は、その一週間は授業が終わった後は残って掃除をしなくては
いけないという規則になっていると言われて、信じて掃除をしていた
或る少年が来て如何して掃除をしているのだと、言われいきさつを話すと騙されている 
君は一生、綺麗な女性には注意するようにと言われたそれが伊丹十三だった
授業が終わったら、それ以来一緒に居ました  1年間は親しくしていた 
どちらかの下宿で夜まで話していた

そして道後温泉まで行って風呂に入って帰ってくると言う生活をしていた
ドストエフスキー カフカの本を貸してくれた  面白いと言ったら、何が面白いか言われたので
フランス文学が面白いといったら、「フランスルネッサンス断層」を読まないかと言われた
学校も休んで3日間読んだ  この人の本を読んでいきたいと言ったら、これは東大のフランス文学の
先生だと伊丹が言った
僕は東大のフランス文学科に行くと言った  周りのクラスメートが笑った 
それまで受験勉強をしていなかった(3年の一学期の時)
図書館に行ったら受験の本が有って、国語、数学、理科等 貸して貰った  
1時間目だけ学校に出て 帰ってきて読んでいた

浪人することにして2年計画を立てて、伊丹氏とは会わないように話しあった
占領軍がアメリカ文化センターを開いており、そこには図書館も有り、そこには中に自由に入って、
読むことが出来るという部屋が有ることを知った
高校生でも入れることが判り、高校3年生の時、1時間だけ学校に行き、その後は進駐軍の
読書室で受験勉強をそこでおこなった
東大文学部に入学  1,2年は教養学部 ヤムド・ジャック先生(森鴎外の)、朝河末男? 
(フランス文学の権威)等に教わる

3年生の4月に本郷にゆく 最初の時間、渡辺先生と出会う  フランス語授業を始める 
 声もいいし態度も立派で、この人に会う為に自分は生まれてきたんだと思った
伊丹氏は受験勉強をしないで、宣伝のデザイン会社に入った 
寂しくなると私を呼んでバイオリンを弾いて(バイオリンを習ったこともないのにバッハの曲を弾く)練習した
渡辺一夫先生の本は古本屋を廻って全部買う  それを読むと、勉強した   
「定義集」と言う本の中で 「人間が機械になること」と言う章がある
その中に「人間と言う者は他の人間が作った考え方、制度というものに飼いならされるものだと」
人間の心の問題として言うと、自分が考えているのを除いて 他の人間が考えたことを、
今その世界ではやっていることの「とりこ」になっている 

自分が機械に成って 他の人が考えたことの筋道通りに考えてゆくようになってしまう  
行動も同じようになる  君は10歳まで日本が戦争に成って
帝国主義の国だったけれども、其の時は本当に自分達は米英と戦って勝つのだと、
我々は神様の国なんだからと 米英というのは動物なんだと、獣なんだと
考え方を教え込まれていたし、インテリ(30歳を超えている)もその考え方に従ってきて、
その戦争に発展した (戦争の時のように人間は機械に成ってはいけない)
だから人が考えたことの奴隷になる 機械になると言う事をしないと言う事から始めなければ
いけない  それが人間らしく、考える そして人間らしく生きる事だと
人間らしく生きること 人間らしい考え方、人間らしい世界というのを「ユマニズム」16世紀にフランスで
考えられた
  
16世紀から現在までそれがヨーロッパの思想になっている
モンテーニュもユマニズムの人だと ユマニズムの考え方で生きた政治家も要る  アンリ三世    
医学者、陶器(綺麗な色の透明な)がフランスで発明された その色合いを
研究した人物とか、いろんな人物がいて、 ルネッサンスの人間の代表として、その自分が本に
書いたんだとそれが君が最初に読んだ「フランス ルネッサンス大集」だと 
それだけ4年間読んだのだったら、フランスの思想家を考えて、それを卒業論文にして
卒業したらいいと先生から言われた  そのことを日本の現実に当てはめて、人間は戦争中の
ように機械になってはいけない 人間らしく生きなければいけない
「人間らしさ」が一番良いんだ  それが「フューマン思想」だと、16世紀の歴史と絡んで考えると
 「フューマニスト」   それが私の考え方を作りました(中心的な考え方)

学生時代から作家としてデビュー   元々はフランス語の学者に成りたかった 
 先生の助手の希望が有った  秀才が周りに沢山いた
たまたま東大新聞が小説を募集していた 1番になると1万円の賞金(当時5千円で1カ月生活して
いた)がもらえるとのことで、早速応募した 
1番になる(荒正人氏が選んでくれた)   封筒を開けてみたら2万円入っていた  
正直に言おうと先生の処に行ったら 、2万円が正しいと言われた
新聞部に優秀な人が入って広告収入が沢山入り、私が2万円にしたと先生から言われて
、貰う事ができた

武満 徹が小説家に成れと進める    それがきっかけになり小説家の道に進む
私の息子で障害を持って生れてきた子が今でも持っているが、兎に角人間の声を聞いているか
どうかも解らない状態だった
5~6歳になった時に正月に ウグイスの声が聞こえた  うちの子が物凄い喜んだ 
顔が真っ赤にして手を握り締めてワーと喜ぶ 息子が鳥の声を聞くようになって
ウグイスです とアナウンサーが言うんです  息子がウグイスの声だと判る 
鳥の声を掛けると 自分の好きな鳥の声でそれがウグイスだと一挙に判るようになる
レコードを掛けては之は何ですかといい、言葉を教えて その後普通の言葉も判るようになって 
その言葉も言うようになった
普通の音楽を聴くようになって、作曲もするようになった  
音楽の才能を持つようになったのはその息子です

「飼育」で芥川賞を貰う    私は渡辺先生と武満さんとの間で自分の一生を決めたようなもんですよ
井上ひさしは一番最初は NHKの番組の関係者が私の家に来たいと言う人が来て
、若い人に対しての番組が有って、書いている人(井上ひさし)だと紹介した 
生き生きした眼の人だと思った 友人になった  私の本を一生懸命に読んでくれた人です  
私の時代は 戦争に敗れて恐ろしい経験をした、貧しい苦しい生活をしてきた  
憲法が変わって教育基本法ができて、貧しくても教育が受けられ、村に中学校ができた
それを全部経験したのが私と井上さんの時代です  だから民主主義が大切だと思っています  
ですから私は憲法を非常に大切に考えています
第9条  戦争放棄  ・・・「9条の会」を井上さんと持った