2013年6月12日水曜日

平岩弓枝(作家)         ・時代を創った女たち 2

平岩弓枝(作家)              ・時代を創った女たち 2
新鷹会  主人がそこに入っていた  その頃主人は飲んで歩いていた  パイロットになろうと思っていたが、先天性高血圧で挫折した(私よりも半年早く新鷹会に入った)
紛らわすために、良く飲み歩いていたようだった    口もきくようになったのはずーと後だった
雪が降っていて、心配なので奥様(長谷川氏)から送っていってほしいといわれた
送っていったのが最初、2回目は古書を探すので、一緒についてきた
(いつも二日酔いみたいで、気にはなっていた  変な人だと思っていた)

結婚するようになっても、これは友達婚だなと先生に言われた
二人とも作家と言う事は、やりずらさはある でも彼は書くものが全然違ったので、
伊東さんに、小説を書けるような家庭にしてくださいと先生はアドバイスしてくれたようだ
私には、人間が前に進むには、片足ずつ前にでる だから両足が前に一遍に出たらひっくり返る
だから上手に両足で(二人で)歩いて行くように、と言われた(小説だけでなく)
同門の先輩の伊東昌輝と結婚した
結果的にそういう形になった   夫は小説よりも宮司に興味を持つようになる

温厚なタイプで寛容がある、(彼の父親も亡くなっていたので、伊東家を継がなくてもいい)
新鷹会 自分で書いてきたものを全員の前で読む、その時にいろいろ批評されるが、私はそれほどでもなかったが、こっぴどくやられる人もいた
書き直してくる人もいる 先生は作品に対して、救える道を言ってくれた
「鏨師」(直木賞) 父が刀剣鑑定家だったので、それで子供のころから否応なしに刀を見ていた
当時は直木賞貰っても、マスコミに取り上げられなかった
素材が良ければ、或る程度の物は書ける 「鏨師」は典型的なもの
良かったのは、候補になった時に、この作品が直木賞を取れるとは思っていなかった

時代物は急には書けない(物を調べないと書けない) 
小説は人間をかくものであって、ストーリーを書くものではないよ と先生から言われた
現代ものを書く   「女と味噌汁」「肝っ玉かあさん」  ドラマを書いたら素晴らしい
直木賞を取って、ちやほやされるのは、せいぜい半年間 「鏨師」がTVで放映されて、それが縁でTVドラマを書く気はないかと言われた  
(先生に相談したところ、TVドラマはまだ出来たばかりで、一線に鉈んでいるので、君がそこに入るのはおかしくないので、大いにやり給えと言われた)
10年目に 女の顔 新聞の連載小説を書いた 高松さん(編集者)が「上手くなられましたね」と 言われて感激した  それから落ちつけるようになった  10年間は修業時代だったと思う

物書きは良く壁にぶつかるというが、君もいつか壁にぶつかるいかいとおっしゃったので「はい」といったら、本当に壁にぶつかったら、君は泣き虫で弱虫だから、僕は幽霊になって出てきた上げよう 君の前に現れなかったら、君は本当の壁にぶつかっているのではないと心得たまえと、おっしゃってくださった
書けなくなったときに、先生出てきてくださいと叫んだことはある
「御宿かわせみ」 方言辞典をよく読みなさいと言われた
全部で264話ある 34冊  
「はやぶさ新八」を再開する
糸口を見つけるのが、昔の何倍も努力が必要  体力が無いと頭脳が動かないみたい