2013年7月4日木曜日

小野庄一(写真家 50歳)     ・「笑顔の力」 

小野庄一(写真家 50歳)     「笑顔の力」 
世界のトップを行く日本の高齢社会、その長寿国日本のトップ集団を形成しているのが、100歳のお年寄りの方々で、すでに5万人を越しています
この100歳のお年寄りの方々を21年間、カメラに収めてきたのが、写真家の小野庄一さん(50歳)です
小野さんが100歳のお年寄りに、カメラを向けるようになったきっかけは、樹齢7000年を越えるという縄文杉でした
そして現在は日本の最高峰富士山に登り、ご来光、夕日、天の川など、頂上で遭遇したパノラマを取り続けています
縄文杉、100歳のお年寄り、富士山 日本の頂点をカメラに撮り続けている小野さんに伺いました

小野さんはこの21年間で、200人を超す100歳のお年寄りの表情をファインダーに収めてきた
北海道から沖縄まで、100歳以上の方 最高齢は110歳と言う方もいらっしゃいます
100歳以上のお年寄りは5万人を超えた(昨年9月)
事前にアポイント取って行くんですが、昔よりも、人数は増えたのですが、探すのは難しい
1990年代は、地方新聞を探すとかなり詳しく出ていたが、今は大変
展覧会等での、主催者の知り合いとかの出会いを重ねながら、200人を訪ね歩くことができました
横浜開港150年になるので、100年間の横浜の歴史を知る人が、いるんだったら訪ねたら面白いのではないかとおもって、探して36人出会えた  実際には900人を超えていたのではないか
(3、4年前の話)

近代化日本の歩みをそのまま重ねてきた 光ばかりではなく、ご苦労もあったと思う
日清、日露戦争、関東大震災、太平洋戦争、横浜大空襲、スペイン風邪、大恐慌等々苦労されている
写真を撮るのに、自慢話が飛び出すようになったらしめたもので、無理に笑顔を作ってという事は無くなる
20年前 地方を撮っていた 地域を家を、しょっているような、重々しい威厳のある、ちょっと怖いような強さがあったが、最近の100歳の方たちは、パソコンをやっていたり、旅行に行ったり、本当に軽やかな感じがします
昔の日本人は、自分をさらけ出すのは、はしたないというような感じがあったが、今は私、私と、青春時代 大正デモクラシーの時代があって、横浜だったら、モダンボーイ、モダンガール、の先輩たち(昭和初期)を見ながら、私もあんな風になってみたいと、自分を表現することが楽しいんだという世代の最初のころじゃないかと思います

20年前のカメラは、モノクロで大きなカメラを使っていた 最近はデジカメ デジカメのいいところはこんな風に映ってますよと、コミュニケーションが取れる(信用してもらえる)
あえて三脚を使う事によって、裸眼コミュニケーションを取ることによって、上手くいくようになった
(撮られる側は緊張するので)

最初のころ、竹富島のおばあちゃん 浜が綺麗なところ 波打ち際で撮らしてもらった
太陽の光を浴びて、にこっと笑った、しわのふかーい感じ 光の彫刻のような感じだった
最近は、103歳で台所に立っていたり 「大丈夫なるようにしかならないからね」が口癖だった
103歳で乳がん手術をした人 
ストレスを受流す、と言う事を身につけている方だから100歳でも元気にいらっしゃると思います
90代後半まで笑ったことが無いような頑固なおじいちゃんが、デイサービスに行き始めたら、急ににこにこし始めたそうです
100歳近くになっても、人間変わろうと思えば、本人次第で変われる
いくつになっても新しい人生を歩き始めることは、張りが出てくる(自然と笑みが出てくる)

屋久島にある縄文杉を撮りに行ったときに、ふもとは土砂降りで たまたま周りには人がいなくて、縄文杉と1対1の時間が保てて、ふっと日差しが出てきた
木の前に立つと、木にすーっとすいこまれてゆくような、不思議な気持ちのいい感じで、もう一回母親の胎内に戻って言ったら、そんな気持ちのなるのではないかと、暖かい感じに包まれた
帰ってきて、敬老の日がきて、100歳以上の人が、3000数百人いる
仮に北海道から沖縄まで100人の100歳以上のお年寄りを訪ねたら、1人ぐらいは縄文杉と同じような力を私に対して、発する存在感のある100歳に出会えるのではないかと、仮説をたてて会いました

巨大な縄文杉と、身体は小さくなるかもしれないが、中に巨大なものを持ちつつある人
両方とも最先端の人、あるいは最深部の人たちだと思う 同じ感じで訪ねた
私がこの人と思った人は、たまたま私と対峙した時に、ドアを開けてくれて、中の世界を見せてくれた 或る人に取ってはAさんかもしれないし、Bさんかもしれない
どの人かと、いわれたりするが、あえて私は言わない

横浜 或る施設で100歳の人が3人いた  車椅子に乗せて連れてきたが、元気が無かった
コミュニケーションも取りづらかったが、撮り始めてすこししてから、うち解けてきて、施設の人が、あれこのおばあちゃん、こんな笑顔が出来るんだというような言い方をし始める
施設の方も知らんかったような笑顔がある  他の皆さんに見せてもいいですか、と言ったらこれは私ですか? と言ってほほ笑んだ(この笑顔がもっと良かった)

富士山 私が撮っている富士山は、富士山は映っていません 頂上に行っているので
山頂から、絶景を撮っている(7月と8月のみ)  8年間
ご来光、昼間の雲、夕方の夕焼け(ほとんど人がいない時がある)、天の川  流れ星もびゅんびゅん飛んでいる
人間の小ささを感じる場所が富士山の山頂にはある
富士山を引きつけたのは、太陽です  
全ての命の源である太陽に物理的にも日本で一番近づいて、写真を撮りたいというのがきっかけです
3分かからないうちに太陽がまあるく見えてきて、寒くて待っているが、ポカポカと暖かくなる

初めての場合は中腹に泊って、そこで見て暖かくなってから登った方が、楽しく、楽に、快適に富士山を楽しめると思う       弾丸ツアーは論外 
写真展 100人ぐらいは飾りたい 遺影をとる 撮った自分自身の笑顔で、その人本人が元気になってくれるような、友達に自慢したくなるような写真を撮らしていただきたいと思っている
アルバム 押し入れに押し込んでいるのではなく、本人が自分を肯定できる思い出の玉手箱みたいなもの   押し込んでおくのはもったいない(写真の力 役立つことができる  認知症)
デジタルは撮りっぱなしが多い  プリントして楽しんだ方がいい

100歳は他人事だと思っているが、70歳のおばあちゃんが12.3人に一人は100歳を超える
80歳になったら10.7人に一人は100歳を超える
出来れば最晩年が、私は今が一番幸せと言葉に出てくるような日常を、最後まで保てたら、凄くハッピーで家族が目標にしたいような生きざまだと思います