2013年7月16日火曜日

国松俊英(児童文学作家)     ・宮澤賢治の願い、鳥と人間の共生

国松俊英(児童文学作家)   宮澤賢治の願い、鳥と人間の共生 
宮澤賢治が亡くなって80年になります 
滋賀県の守山市から上京され、サラリーマンになりました
39歳の時に、野鳥の子育ての姿を見て、児童作家に転身、宮澤賢治の鳥の世界 ときお未来にはばたけなど、野鳥や自然を題材にした作品や、手塚治虫伊能忠敬などのノンフィクション作家としても活躍しています
宮澤賢治の願い、鳥と人間の共生 児童文学作家の国松さんにうかがいました

宮澤賢治の魅力は?  魅力的と言うよりも、宮澤賢治はとっても不思議な作家です 
中学生のころに文学に目覚め、夏目漱石、芥川龍之介、島崎藤村の本などを片っぱしから読み始めて、いろんな人の本を読んだが、その本の中に宮澤賢治の本が一冊あり、読んだが、他の人とは違っていて、読後に不思議な感じがする、そして暗い、怖い感じがした作品だった
注文のおおい料理店」、「雪渡り」とかの作品
宮澤賢治の作品は時間がたっても、頭に、こびりついていた
文化祭の時に、劇に出ることなり、宮澤賢治の戯曲だった
それをきっかけに、宮澤賢治の本を読むようになった

大学の時に、詩(心象スケッチ) とても言葉が難しい 難解な詩だったが惹かれた
歳をとっていても、気がつくと宮澤賢治がいた
童話 子供が読む作品だが、宮澤賢治の作品は子供にこの作品の内容が伝わるのかなと思う
子供にも大人にも自分のイメージしていることを、伝えたいと思ったのでは
私は子供に読んでもらいたいと思っている
最初は童話という形式が面白いと思った(宮澤賢治の影響)
最初はサラリーマンになったが、会社の仕事だけで、一生終わるのは詰まらないと思って、趣味を持とうと思って、絵が描きたかった
下宿で油絵を描いてきたが、一人で描いていて、どこへ持って行って誰に観てもらうんだろうと
これが楽しいのかなと思い始めていたときに、新聞の片隅に童話創作サークルを始めますという呼びかけがあった、その時に宮澤賢治の童話を思い起こした  それがきっかけ

5年、サークルが続いたが、解散になって、一人で書くようになる
長編を或る作家に読んでもらったら、面白いという事で、出版してもらった
その辺りからもっとやってみたいと思うようになった
読者が子供というのはとても難しい仕事だと思う
子供向けの作家は、自分が大人であっても、身体の中に、子供の心と目を持っていないといけない
子供の目と心を持って、描いていけば、子供が共感してくれる
子供たちが面白いと思って読んでくれて、読み終わった後に感動してくれるものを書かないといけない

宮澤賢治のは子供にも、大人にも自分が感じたり、考えたりしている世界を描きだしたいと思っていたと思う
宮澤賢治は鳥が好きだった  人がどう生きてゆくか、世の中、世界はこんな風だとか書いているので、その中に鳥を使ったものを上手く表現できるという、そういう作品には鳥が出てくる
宮澤賢治の文学は岩手県の山、森、野原、川とか自然の中を彼がよく歩きまわったり、呼吸していた自然とのかかわりの中から生まれたのが特徴だと思っている
子供のころ、石っこ賢さんと呼ばれていて、石を拾い集めるのが好きだった
引き出しの中は石だらけ  山の上に登って星座を観るのが好きだった

盛岡高等農林では地質を調べることを頼まれて、ずーっと盛岡、花巻周辺を歩き回ったので、何日も歩き回るので、ちょっと遠くに行くと家に帰れなくなるので、野宿をした
動物の声、星空、風が林を通り抜ける音とか、益々磨きがかかって行った
中学の時に岩手山に登ると言う山登りが大好きで、岩手山には100回登っている
農業の指導者になってゆく
知識欲が旺盛な人だった  星座、石の性質、草、木の種類性質 動物
賢治は中学時代最初、短歌を書いている 鳥が出てくるので、中学の時から鳥が好きだったと思う

「夜鷹の星」  鷹に似ているが、鷹ではなく 夜に活動する夜鷹 と言う鳥
宮澤賢治の人生を書いているような作品
「二十六夜」 フクロウが出てくる作品  
主人公が鳥、主人公ではないけれども鳥が出てくる作品が沢山ある
作品には71種類の鳥が出てくる 珍しい作家です
この時代は一般の人にとっては、食べるものとか、籠に飼って楽しむのが一般的だった
鳥の鳴き声を聞いて楽しんだり、鳥が飛んでゆくのを見て、素晴らしいと思うのはユニークだった
 
「夜鷹の星」 夜鷹 兄弟にかわせみ 、蜂雀 が兄弟だと書いてあるが何にもつながりが無い
気まぐれでこの3つを兄弟にしたのだろうと思っていた
調べていったら、今の分類ではばらばらだが、当時の鳥類の分類は違う考え方を持っていて、ぶっぽうそうもくという、一つに入っていて、繋がっていた(後で調べて解った)
いい加減に兄弟だとは書いていなかったことが解り、吃驚した
もず 「鳥をとるやなぎ」に出てくるが、もずの群れが飛び出すと記載あり 
「百疋ばかりの百舌が 一遍に飛び立って」
もずは1年のほとんど単独で行動して、群れない
雛が育ってしまうと、一羽一羽が縄張りを作る孤独な鳥
100羽の群れが飛んでゆくのはおかしいと思った ムクドリなのではないかと思った

地方によって呼び名が違っていたりするので、もしかすると大正時代、モズの事をムクドリと
呼んでいたのではないかと思った
ムクドリの地方の表現 山形では「むー」 秋田県では「もく」 徳島県では「黒もず」と言う風に書いてあった
秋田県の民族研究家 武藤鉄城 古い本が書いてあってムクドリの方言名が書いてあった
ムクドリは桜の実、花を食べるので 「さくら鳥」 「むー」「黒もじ」と書いてあった  「どろもじ」もあった  
秋田県の方言なので、「もじ」だけど「もず」ではないかと、「黒もじ」→「黒もず」 「どろもじ」→「どろもず」ではないかと、ムクドリは背中がこげ茶色の黒っぽいモズと呼んでいる
秋田県に仁部富之助 有名な鳥類学者 秋田県下の仙北郡あたりではムクドリの呼び名を「もず」「もんず」「くそもず」「さくらもず」「でろもず」と呼んでいると書いてあった

仙北郡は岩手県と接しているとなりのところ 花巻から近いところ
賢治が書いたことは間違いないことが解った  解き明かすと楽しくなる
サラリーマンから作家になったことに対しては、収入が不安定だったりして、家族に対しては申し訳なさはあるが、私自身は全然やりたい事をやってきたので満足しています
「朱鷺」は当時日本にもいた