2013年7月18日木曜日

鏑木 毅(プロトレイルランナー)    ・山岳マラソンに賭ける

鏑木 毅(かぶらきつよし プロトレイルランナー)  山岳マラソンに賭ける
マラソンと違って舗装道路以外の山や野を走るもので今、世界的に人気のあるスポーツです
10km~70km」と距離を決めて走りますが、トレイルランの選手の憧れは100マイル(160km)を走るレースで、時間にすると20時間を超えるレースとなります
鏑木さんは箱根駅伝を目指して、早稲田大学に入りますが、怪我のために断念して、群馬県庁に入りました
しかし、走りを忘れずに悶々としていましたが、地元紙で見た群馬県の山田昇記念登山競争大会の写真を見て、私にやりたいのはこれだと、思い28歳の時に初出場、初優勝をしました
それを機にトレイルランナーとして、日本の数々の山岳マラソンに出場、ほとんどの大会を制覇しました
その後トレイルランの最高峰、フランス、スイス、イタリアにまたがる山岳地帯を走る、ウルトラトレイル・デュモンブランに招待されて、初めて100マイル、160kmを走りました
12位と上位にはくいこめませんでしたが、100マイルを走る楽しさに目覚めました
そして2008年この大会で4位になったのを機に翌年、群馬県庁をやめ、プロに転向しました
日本でも100マイルの大会を開きたいと、富士山の周りを走る、ウルトラトレイルマウント富士を企画し、実行委員長として去年大成功を収めました
鏑木 毅(プロトレイルランナー)      ・山岳マラソンに賭ける

アメリカの大会に出場したばかり ワイオミング州、ビックホーン100と言うレース ビックホーン山脈を走るレース に参加し、優勝した 18時間50分  100マイルのレースでは平均的なタイムだと思う
トレイルラン 山道を走るランニング 山道に限らず、普通の舗装されてない道を含める
発祥の地はアメリカ 40~50年の歴史がある、世界中で4000万人の競技人口がある
ランニングは世界的に非常に盛り上がっているが、自然と親しむスタイルと言う形で多くの方々からやられている状況です
手にストックを持って走っているが、走り続けなくてはいけないというわけではなく、歩いたりする

トレイルランニングはレースという形ではあるが、限られた制限時間の間に、山、自然を楽しくと言う方がおおきい気がする
100マイルに限らず10km、30km、50kmとか、いろいろの大会がある
舗装道路を走るよりも故障はすくないが、走り込んでくると、いろいろ故障もある
脚、膝、腰への衝撃が大きいので、特に膝の故障が多い
山に対応できる脚力を作って行って、徐々にハードにしていく必要がある
ロードランニングをやってきたときは、時間に管理された競技だが、自然の中で走れるので楽しい
1日10時間を走るトレーニングをする  登山をするような気持ちで練習も楽しい
ロードランニングは時間を気にするので、なかなか厳しい

子供のころは いじめられっ子だった 口数も少なかった 
小学校、冬寒いので縄跳びをするが、足がひっかかった子から順々にしゃがんでって、誰が一番長くとんでいられるか、と言う事をやっていたが、何故か私が一番遅くまで跳んでいた
学年が上がるに従い、長い距離を走るようになってから、すこしずつ長い距離に対して自分の力を発揮できるようになった
高校時代は陸上部に入る  
腰を痛めてしまって、高校3年間満足な練習ができなかった

大学で頑張ってやろうと思った 箱根駅伝が目標 実績が無かったので、当時あまり早くなかった早稲田に行けば、出られると思い、早稲田に行こうと思った
ブランクを埋めようと一生懸命頑張った 
30km走った後に、家に帰ってから又夜中に30km走ったりした  
2年の時に箱根駅伝に出られるようなレベルにはなったが、又腰の痛みが再発してしまった
日常生活もままならないような状況で、3年の時に退部することになる
(コンプレックスの塊になった自分がいた)

群馬県庁に入るが、いつももやもやしていた 仕事に身が入らない、目標が無かった
一番肥った時は体重も80kgになった(現在は58kgぐらい)
流される様な毎日だったが、地元の新聞を見たときに、泥だらけになって山の中を走っているランナーの写真があった  
上州穂高山で行われた山岳マラソン 観た瞬間にこれだと、強烈に体を走って、1年後に出たいと思って、そこから走る第二のスタートになった
28歳のころなので、昔の感覚はあって、走ってはみるものの、すぐにぜいぜい言ってしまい、大変だったが、やっているうちに徐々に走れるようになり、体重も減ってきた

1年後山田昇杯に参加出来た いきなり優勝できた  自分でも吃驚した
口から心臓が出るくらい大変だった  下りに自分が自由に飛び越えたりする動きが、面白くて自然の中の香り、鳥のさえずり、空気の感じ、凡てが今までの走ってきたランニングと違っていて、走っていて面白かった
それ以降は山を走ることだけに情熱が傾いていった
仕事に対しても前向きになった
当時は競技人口も少ないし、大会の数も少なかったが、週末ごとに行って、優勝したりした
北丹沢12時間山岳耐久レース 2連覇 4度の優勝  富士登山競争で2連覇3度の優勝
2005年国内3大レースで全て優勝する    自分に合っていたんだと思う

2007年 38歳の時に箱根50kmの大会で、優勝した 副賞がヨーロッパ最高峰モンブランを一周するウルトラトレイル・デュモンブランという大会への招待があった
世界的に有名なトレッキングコース 160kmを一周まわるコースで、普通のトレッキングでは10泊かかるコースだが トップ選手であると21時間、22時間で走る過酷なレース
39歳の時に出場 それまでは70kmが最高だったので、倍以上なのでからだにかかるダメージはすさまじかった、身体がとても耐えきれない状況だった
80kmから内出血して、足がドンドン腫れあがって来て、針の山を素足で歩くような感じで、一睡もせずに走っているので、意識も最後の方は朦朧として来て、本当に大変だった
でもただ、楽しかった 
一番良かったのは景色の素晴らしさと、大会運営のスタッフが素晴らしかった、旅をしているような感覚で、100マイルのレースのとりこになった
最初の2007年は体がぼろぼろになって12位
2008年 4位 2009年 41歳 3位 2010年悪天候で中途で中止 2011年 7位 2012年 10位
2012年は悪天候だった

2007年の優勝者は59歳 イタリアの選手(マルコ・オルモ) 2006年にも優勝している (2連覇)
その時には私は3時間も差をつけられた 
体力だけではなくて、メンタルな力、マネージメントが重要だと痛烈に感じた
ペースコントロールが重要 体とコミュニケーションをしながら、常に頭で考えながら、やらないといけないという能力が必要
120kmを過ぎると、人間が耐えられる限界を超える、体力的に 
そこからの30km、40kmは心の問題になってくる
(年齢を重ねたうえでの、心のだまし方、メンタルな力が非常に重要になってくる)

頭が生理的にストップさせるが、それをうまくだます、いやいやこれは見せかけのつらさだと思う
そうするとまだまだ行ける  
メンタルな力 がまん強さと言うよりは或る意味苦しみ、痛みに対して鈍感になる力が非常に重要 一回疑ってみる 脳が勝手にこう言わせているだけだと、そうすると体が動いてくる
「楽しむ勇気」という言葉  日常こんな苦しみは味わうことが無いので、だったら、楽しもうじゃないかと、こういう風に思えるかどうかが、非常に重要でして、思えると苦しい状況が楽しくなってゆくんですね 
メンタルを上手く持ってゆくか、が最終段になってゆくと重要 辞めたくて仕方ない、何百回と繰り返すが、その選択肢のなかで、続ける、続けるという選択肢を取り続けるのは、メンタルの力
最後のころは、幻覚、幻聴を経験する (木に漢字が書いてあったありとか、信州の山の中を走っているような感覚になったり、子供の頃のことが浮かんだり、勝手に走馬灯のように流れる)

プロとして後押ししてくれたのは、妻だった 有難かった
日本でも100マイルレースを作りたいと思った 
「ウルトラトレイルマウント富士」 2012年第1回目を開催した
160kmのコースをつなぐのに大変だった  つなげたのが奇跡的だった 関係省庁との調整、地権者との調整、自然保護団体との調整、沢山の壁を多くのメンバーと共に乗り越えてこられた
世界遺産にも登録されたので、大会もいい流れになってきていると思う
走る事は生きている事そのもの  山に自分を置かない人生はあり得ないと思う