2013年9月16日月曜日

志藤洋子(日本事務局長)      ・高齢者を社会の担い手に

志藤洋子(国際長寿センター日本事務局長)  高齢者を社会の担い手に
国際長寿センターはアメリカの著名な老年学者ロバートバトラー博士に依って、1990年アメリカと日本で設立されました
現在イギリス、フランスなど世界14カ国に拠点を設けて、全ての人に、人権と尊厳が補償され、長生きを喜び、プロダクティブで生き甲斐のある人生を全うできる社会を確立することを目指して、
調査、研究と啓発活動を行っています
バトラー博士は高齢者は役割を終えた人という、考え方に強い異議を述べまして、これからは知恵と経験を持った高齢者こそ社会の担い手として活躍する社会を作ろうと提唱しました
志藤さんは1952年 新潟県の生れ 日本女子大学を卒業後、出版社で編集の仕事に携わり、高校の国語の教科書を製作していました
1992年発足したばかりの国際長寿センターの日本事務局に参加して、現在日本事務局長を務めています

現在、国際長寿センターは14カ国で活動していて、高齢化する社会の様々な課題を、学際的に研究したり、その結果を啓発、広報するという事で活動している団体です
バトラー博士は2010年にお亡くなりになりましたが、生涯をかけて訴えてこられたのは、高齢者というものは社会に役割を終えた、ある年齢まで行くと役に立たないという事で、高齢者を切り捨ててしまう社会だったわけです
そうではなくて、年齢が高い人は知恵と経験と様々いろんなものが財産としてあるので、社会の役に立てないことは大きな損失であると、高齢者の力を、高齢者の存在を社会に生かす、そういう社会を作ってゆくという事で団体を作った

世界的に見ても高齢化は進んでいる  先進国では高齢化は非常な勢いで進んでいる
個人が長生きができるようになる 長寿化
社会が高齢化する 高齢者の数が増えてくる 
子供の数が少なくなって、社会は高齢化する
途上国はまだ子供の数はおおい、高齢者は多いが、人口爆発が問題
高齢者に対する補償に莫大な費用がかかる
日本は戦後の高度成長と社会が高齢化する、個人が長生きができるようになったのが、ほぼ並行していたので、国に経済力があって、社会保障、年金、医療、介護に掛けるお金がある中で制度を整備できたので、今の日本の高齢者は長生きすることができるようにもなったし、暮らしもある程度のレベルを保つことができるが、途上国はそこが厳しい

どこの国も問題になりつつあることは事実です
日本は 超長寿最先進国 女性は86歳、男性79.9歳  
日本のいろいろな情報を世界に発進してゆくと同時に、世界の情報を頂きながら、日本のいろいろな問題を解決するためのアドバイスをしたり、情報を皆様にお伝えすることが、私たちの大事な仕事だと思っています
①医療保険制度、昔日本は国民全員が一枚の保険証で簡単に医療を受けるという時代ではな かったので、お金が無い方は病院に行くことができなかった
②年金制度を全員が受けられるようにした 
③介護保険制度を作った 
④虐待防止法、高齢者虐待防止法を持っているのは世界で3つしかない
4つ全部を持っている国は日本しかない     アメリカは皆医療保険ではない

客観的にみて、制度的に、これだけきちんと整備されている国はない
長生きは人類長年の夢  100歳以上が現在日本では5万人 大正初期時代 当時は平均寿命は40歳ぐらい  今100歳以上の人は親の倍以上も生きている
2050年には 100歳以上の方々は70万人になる
其方々に対する手当は大変なお金がかかるが、他の先進国も同じ
女性の寿命が長い 不安感がある
日本人は心配性のところはある  超高齢化社会は大きな変化を遂げる社会となると思われる
備えをしようと思っても今までの経験や知識を越えた備えをしなければならないという不安が皆さんの中に強くあるのではないかと思う

現在の人口は1億2000万人 2050年には9000万人ぐらいになる 
1955年 昭和30年ぐらいの人口と同じになる
国の平均年齢 そのの国の一番多い年齢層 1955年 24歳でした 2055年は53歳になっている
4人が高齢者 5人が働き盛り 1人が子供 の世界となる
どうして行かなければいけないか、国、個人も考えていかなくてはいけない
家族、世帯構成が大きな変化をする 
昭和30年代 3世代同居、4世代同居 だったが、夫婦世帯、独居世帯から 高齢者が一人で暮らす、暮らし方が当たり前の暮らし方になる
日本は今、独居率は23% アメリカは45% フランス、イギリスは50%を超えている

これから日本は独居率は増えてくる
「老いては子に従え」という言葉がありが、御隠居さんといわれるような身分になれるから、こういう諺があったわけで、働き盛りの人に守られて、生きてゆく、そういう高齢者像が、大きく変えていかなければならないと言う方向になってゆくんではないか
自分の暮らしを自分で決めてゆく  
今の65歳の人 男女ともに90歳代を迎えることが判っている方
定年退職した後に、どこで、誰と、どうやって、暮らしながら、どういう風に歳をとってゆくか、自分で決める、人生設計力を付けていかなければならない

今後、20年以上生きることになる 其人生をどうやって充実させていくか、どのように活用するかに在る
長生きしても、生きているだけでは、人生とは言えないので、人生を充実させるためには、65歳以降の自分の人生をどうやって生きていくかを考えていかなければならない、そういう時代を迎えている
お金を準備をすればそれで幸せかというと、そうじゃないと思う
人というのは誰かに必要とされる存在でありたい、という気持ちというのは変わらずに、若くても、中年でも、歳をとっても大事なことだと思う
特に高齢になると、リタイアを強いられるが、そのあとに自分の人生は、誰かにかかわりながら、誰かの役に立つ、社会の役に立つというような役割を、果たしてゆくという事を自分自身の大事な人生の一つのポイントとして考えるのが、とても重要なことだと思っている

NPOとかボランティアとか、いろいろな形で社会とかかわってゆく事が、出来るようになっている
自分自身が人とつながってゆく努力を、自分自身でしていかなければいけないと思う
女性は地域の中で、ネットワークを作ることができやすい
男性は、特に定年退職後、戻ってきたら、地域の中に自分の居る場所が無いとか、誰とも御縁が無いとかが生まれる
そこから新しい人間関係を作ってゆくのは難しい
昔の仕事仲間、高校、大学時代の仲間、 自分という人間が何か関わりを持って、そこからいろいろな情報を得たり、発信したり、することで社会と繋がってゆく努力は自身でしていかないといけない

会社の肩書や、名刺で仕事ができる時代は、第一ステージとしては終わっているので、つぎのステージは自分の人間力全部を使って、新しいネットワーク繋がりを作って行くのが大事だと思う
67歳で止めた方が地域とは全く結びつきなが無かったが、地域の子供さんを自宅に呼んで、地域の方々との結びつきができた人がいた(「明日への言葉」で紹介された)
子供や孫に囲まれて、老いて死んでゆくことが理想のように思ってきたが、どうもそうではない
理想がかなわないから、不幸だとか、みじめだとか思うのは止めましょうということが一つ
段々体が弱くなって、生きてゆくときに、子供や孫と一緒に暮らして、その人たちに面倒を見てもらえるから幸せ、そうでないと不幸、という考え方を持っていると、ドンドン自分で自分を不幸にしてゆくので、発想を変える
血縁だけではない繋がりの中で、人が生きてゆくことだって、十分なるわけで、新しい暮らし方をいろんな方が自分なりに作ろうとしている

終活  財産、遺産、墓、とかを考えていて、エンディングノートを作るとか、いろいろ取り組んでいたりしているが、実は亡くなる前の医療、病気になった時にどういう医療を受けて、どんなふうに自分のお終い方をするのかを考えるという、そこが少し抜けていると思います
その人が尊厳を以って自分の望むような終わり方ができているのか、ということに疑問がでてきていることが報道で言われてきている
昔家で亡くなることが普通だったが、昭和20年30年代 85%  今は病院で亡くなる方が85%
亡くなるところは病院となってしまって、本当にそれでいいのかどうか、問い直されている
病院は医療する場、死は敗北なわけで  兎に角医者は生かそうと努力する
特に高齢者にとっては、生かされることが幸せか 考え直そうとしているのではないか、と思う

自分がどういう選択をするのか、どういう風に旅立つのか、考える必要がある
自分自身の人生を、自分で決めて、自分で責任を持って生きてゆくという、そういう時代になってきている、そういう事を自覚して、自分も社会の一員だとして、社会にかかわりながら、社会に責任を持ちながら、生きてゆく一人だという、そういう自覚を持たないといけないと思う
自立して、自覚して、自分で自己決定するという、生き方が必要な時代を迎えている
日本は物凄い勢いで長生きをできるようになってきた国、だから速いんです
これだけ現実が変わっているのに、意識がそれに追いついていない
ヨーロッパはすこしずつ変わってきているので、高齢者であっても自立して、自分の暮らしを自分で営む、それが大前提としてあって、そのうえに互助、共助、お互いさまで近所同士で助け合ったり、国の医療を受けたり、先ずは自分で決めて生きてゆくという、そういう考え方がヨーロッパでは当たり前になってきている

日本では意識はヨーロッパには追い付いていないと思う
65歳の成りたての高齢者 と80歳ぐらいは分けて考えてみる必要があると思う
80歳代、或る意味で非常に面白い時代を生きてきた方々だと思う
お風呂を沸かすにも薪だったり、戦争もあったし、大変な苦労をしてきた、高度成長を現役として体験してきた方、ダイナミックに替るのを経験できた方々は孫などに是非伝えてもらいたい
高齢者なりたての方、戦後民主主義の中で教育を受けてきているので、自分で考え、自分で決めて、責任を自分で取るという事を小さいころから訓練されてきているわけだから、自分で決めて生きていきたいよと思う方がたなんじゃないかと思います

団塊の世代 世の中を変えていきたいと学生のころにいろんなことをしてきた方々
もう一度熱い心を持つ人が沢山いると思うので、経験と知恵を加えて新しいやり方でこれからの日本をもっと生き生きと豊かな質、が求められているので、その先頭に立って頂きたい
真の豊かさとは何なのか 一緒に考えてゆく 高度成長で失われたのは何だったのか
もう一度考え直して、今の日本を良くするために、作り上げてゆくためにはどうしたらいいのか、
団塊の世代の人には、行動を起こしていただきたい
日本がどうかじ取りをしてゆくのか、世界が注目している
ボランティアの力を借りて介護をするとか、現実に取り入れつつある
長生きすることがこんなに幸せですよと、いう事を世界に見せてゆく義務があるのではないかと思っている
それを叶えるには、一人一人の自覚と努力だと思っています