2013年9月22日日曜日

白木健一(宮沢賢治学会会員)   ・賢治に学んだ科学者の目

白木健一(宮沢賢治学会会員)    賢治に学んだ科学者の目
白木さんは昭和34年に横浜国立大学工学部を卒業して、大手電機メーカーに就職、研究所で結晶の、特に人造ルビーの開発に取り組みました
賢治に学んだ科学者の目 第一回目「グスコーブドリの伝記」「風の又三郎」を中心に伺います

9月21日が宮澤賢治の没後 80年 37歳で亡くなる
東日本大震災からは2年半過ぎたところ  「雨にも負けず」世界で朗読された
一番有名なのはアメリカのワシントンDCの国立大聖堂の追悼式で日本人女性がリーダーシップを取って、英語国、第二外国語を英語にしている国の方が10数人で共同で翻訳して、朗読した
イギリスのロンドンのウエストミンスター寺院で日本人の僧侶が南無妙法蓮華経と唱えた後、日本語で「雨にも負けず」が朗読された、東南アジアでも同様に朗読された
自分の心のうちに秘めて、手帳に書かれていたものを、亡くなった後に 発見して世に出たもの

地震、津波、冷害に非常に苦しんだ時代でもあった
賢治が誕生した時と、亡くなった時に津波が来ている
入社した時に、業務命令で人造宝石を研究テーマにしてほしいと云う事で担当してきた
草野心平 宮澤賢治に注目した 宮澤賢治が私は詩人としては自信が無いが、科学者としては認めていただきたいと、2編の詩と共に手紙を草野心平に送っている
科学者として自信があると思っていた

盛岡高等農林を卒業、学校の建学の第一目標は冷害による凶作の克服、賢治の家業が質屋、東北地方の農民が冷害飢饉で苦しんだことを目の当たりにして、自分の家の家業に負い目を感じた
父がやり手で、財産を築いたが、農民の方たちの質ぐさの上に築かれていると云うのが、一生の負い目だったと、おっしゃる方もいる  
農業にとっては非常に気象が大事
「グスコーブドリの伝記」 は寒さを克服する物語、「雨にも負けず」自身も寒い夏が書かれている
火山噴火で出てくる炭酸ガスで気温を上げる スヴァンテ・アレニウス 19世紀の化学者
炭酸ガスが地球から逃げてゆく赤外線を遮断して、地球の温度を上げるという論文を出している
現在では火山噴火で気温が下がる事はあっても上がることは無い

寒さに耐える稲を開発することが重要な仕事 秋田県大曲農事試験場が陸羽132号 画期的な新技術で新しい品種の稲を作った(1921年)
作付けが始まったのは1926年(昭和元年)、その後交配されて、コシヒカリが昭和31年 ササニシキが昭和38年に出ている 秋田小町が1984年

「風野又三郎」 気象学を童話に書かれている(大正11年~13年に執筆)  
「の」になったのは昭和6年 
学問的な物語から、抒情的な物語に替って行っている 
気象学が関係しているのに、非常に興味を持った
大人には見えない風の精 風そのもの  20年前 根本 順吉氏は気象研究家なので、着目して
非常に詳しく調べた
風の時間的な、距離的な規模が非常に小さいものから非常に大きいものまで、全て網羅している、風の現象ですね
あらゆる規模の風の現象として、「風野又三郎」が立ち現れて来る
一番最後に出てくるのが、地球規模で現れてくる大循環、気象学の専門用語ですが、数1000kmから数カ月にわたって、空間的にも、距離的にも、時間的にも大変規模の大きな、この童話の最後に語られている眼目になっている

大循環について調べようとしているのだと、根本さんに言ったら是非結果を知らせてくれと言われた(根本さんは4年前に亡くなられた)
大正11年~13年ごろは、地球規模で風が、空気がどう流れていたのだろうと云うのは、頭の中で考えられていた(想像の世界)
当時の海外の文献、大循環、赤道で上がって南極、あるいは北極に向いていく、冷たいところで降りてくる  ハドレーさんが18世紀に提案している  ハドレー循環
北極の手前で千島列島の東側にハスカロラ海床という非常に深い海があって、そこで降りてしまう
全部で4っつに分けて考えられる
①赤道で上がってタスカロラ海床で終わる 
②タスカロラ海床で出発してグリーンランドまでいった ジェット気流に非常に似ている
何故宮澤賢治は千島列島東からグリーンランドにいたるまでの長い距離を「風野又三郎」を旅行させたのだろうともの凄く興味がある

非常に速い流れがある事をどこかで見つけたのかもしれない
私はジェット気流を調べ始めた
昭和19年11月に日本に空襲にやってきたB29が偏西風(ジェット気流)に妨げられて、目的を達せられなかったのが、最初の発見と言われている
風船爆弾 日本は風船爆弾を飛ばして、アメリカを攻撃すると云って、まさにジェット気流に乗せて、爆弾を飛ばした(11月7日に飛ばした  2泊3日でアメリカに届く)
高層気象台が大正時代に活動していた 高い層の気象を調べれば、大嵐を予見できるのではないかと、高層気象を調べようとした
初代気象台長 大石和三郎さん 大正13年12月に 非常に早い風が高い空を流れているという
事を発見した(風船を飛ばして望遠鏡で観察する)

9000mくらいまで、2か所の望遠鏡で見ることで、風の高さ、時間を調べた
大石和三郎さんはエスペラント語で世界に発表したが、世界では全く関心をよせなかった
宮澤賢治はエスペラント語を理解していて、童話などをだしたりした
大石和三郎さんがジェット気流を発見して、発表する10カ月前にすでに宮澤賢治はこの童話を書いているという事が非常に不思議に感じる
宮澤賢治がどうして判ったのだろうかと考えたが、水沢緯度観測所、で読んだ詩がある
最初に数字に疲れた私の目、最後の方に、くしゃくしゃな数字の前にかがみこもうとしますと書かれており、是は大石先生が言うのはおそらく風速の観測データを眺めて、すっかり目が疲れたのだろうと、思います(観測データをしっかりと見ていた)

昔のの気象データを探してもらったが、(宮澤賢治がこの童話を書いた頃のデータ)全部残っている
地球の回転、完全に早いスピードで軸が固定して回っているのではなく、僅かにふらつきがある
のを緯度観測所で見ていたわけですね
強い風が吹いたら、地球の回転がふらつくのではないかと考えて、地上から3000mぐらいまでの測定を木村栄(きむらひさし)博士がやっていた
水沢の真上に在る二つの星を望遠鏡で眺めて、ふらつくかどうかを調べていた
真夜中に風速の測定をやっていた  
風船に提灯をぶら下げて、3000mぐらいまでの風速測定していた
地上ではほとんど風が無いのに、高くなるほどドンドン風が速くなる(大石博士のデータ)
9000mで時速300kmに近い 地上では風が無いのに
もし宮澤賢治が見ていたら、高い空に上がるに従って強い風が吹いているのは一目瞭然

何故千島列島東からグリーンランドへの風についてはまだ判らない
同じ気圧の線がタスカロラ海床からグリーンランドに向かって伸びていると云う文献が、古い水沢緯度観測所の海外文献の中に在った
同じ気圧のところを高い空では、風が流れてゆくと云う事は宮澤賢治は知っていたと思う
根本さんは、宮澤賢治はドイツで出された気象力学という非常に難しいドイツ語の本ですが、これを参考にして、童話を書いたんだと思うと、根元さんはおっしゃってました
サイクルホール つむじ風 竜巻 台風 低気圧 上から見て、風と逆に回る回り方の風の現象を全部ひっくるめてサイクルホールと呼んでいる

逆サイクルホールは、上から眺めて、時計とと同じように回るのを(高気圧)、逆サイクルホールと呼んでいる
ドイツ語の文献に全く同じような単語が出てくるので、根本さんがおっしゃっていたように、ドイツ語の難しい気象力学を宮澤賢治が参考にしてこの童話を書いたことは、ありえたことだと思う
この気象力学が出版されたのが、1917年 1990年ごろに日本語に訳されて出版された
宮澤賢治が卓見だと思う
気象用語 極渦 宮澤賢治の時代に在ったとは思わないので、今のところはどうしても判らない