2013年10月29日火曜日

やなせたかし(漫画家)       ・やなせたかし、アンコール放送

やなせたかし(漫画家)     やなせたかし、アンコール放送
絵本やアニメのアンパンマンの作者として知られる、やなせさんは心不全のため今月13日に亡くなりました、94歳でした
この時間はやなせさんを偲んで、平成18年1月3日にラジオ深夜便で放送したインタビューを再放送します
やなせさんは当時86歳です

朝から晩まで仕事をしている 午後は誰か来ているので、ここのところ仕事になりません
アンパンマンは58歳の時に書きだす
今もそんな歳の人が書いているのかと、吃驚するらしい
自然にストーリーが出てくる   全部人を助ける話
アンパンマンは私が兵隊に行っていて、上海の近くで、終戦を迎えた
正義は逆転するんだと云う事、かならずしも正義は一定ではない
我々は正義の戦いだと言われて、中国の民衆を救わなくてはいけないと云って、戦ったが、終わってみれば悪いことばっかりやっていた
飢えると云う事が一番つらかった

もし正義の味方だったら、何も怪獣をやっつけるとかではなく、先ず飢えている人を救うのが、正義の味方だと思った
阪神大震災とか起きたときに、先ず水と、パン、握り飯でもいいが、とりあえず命を助ける為には食べさせなくてはいけないので、アンパンが一番いいと思った
先ず飢えている人を救う、其れがアンパンマンの元になっている
ひもじい人を助ける、スーパーマンを作ろうと思うのは、その時からずーっと思っていた
最初はアンパンを配るおじさんだったが、自分の顔を食べさせるのが一番いいと思った
正義を行うと云う事になれば、どうしても自分が傷をつくと云う事を考えないとできない

最初、評判が悪くて、散々な評判だった
絵本を書くのはしばらくやめていたが、自分で編集をやっていた本では、ずーっと続けてきた
正義は自己犠牲がないと出来ない
其れは自分の戦争体験と関わっている、戦争は一種の殺人なんですよ
戦争と言うもの自体がいけない
戦地では、不思議なんだけど、辛いはずなのに、その場にいるとそれほど辛くない
どんなところにいても或る種の面白さはある
紙芝居作って、農村を回ると、皆喜んで、村中から集まってくる(中国人に)
戦争は実際に弾を撃っている時間は非常に少ない、歩いているか、駐屯しているか
その時間の方がはるかに長いので、そこの民衆と付き合うようになる
模造紙一面に書いて、めくり式(箱などがあるわけではない)でやっていた
兵隊にはいろんな人がいる(写真家、監督、農家等いろいろ)ので、いろんなことが直ぐに出来る

学者になろうと思っていたが、中学校に行くと成績が悪くて、絵の成績が良くてデザインの方に行った(数学が全然判らなくなってしまった)
漫画は当時は多くなかった のらくろとか読んでいた
横山隆一さん(フクちゃんで有名)は10年先輩 遊び行くと、漫画家に興味を持った
製薬会社(銀座が好きで、銀座に近い会社に入った)、
東京高等工芸学校(現在、千葉大学の建築科にわずかにある)に入った
デザイナーになるのだったら、机にかじりついて勉強しても駄目、銀座に行きなさいと、先生から言われたので毎日、夜の12時過ぎまでいた
就職しても毎日、銀座に行きたかったので、田辺製薬に行った

九州の小倉部隊にゆき、大本営としては、敵は台湾を制圧するためには対岸の中国に渡るだろうと、そのために福州に行かされたが、こちらには来ないで沖縄に来たので、敵は来なかった
食料の倹約があったので、ひもじい思いをした
戦争から帰ってきて、郷里の高知新聞社に1年、(父親が新聞記者) 
雑誌を出す事になって、雑誌の編集部に回された、之が非常に良かった
雑誌の編集の仕方を全部覚えてしまった(絵も書くし、なんでもやった)
ここで結婚もする  父は32歳で亡くなった
父親の文章、絵も観ている(私よりも上手かった) 
父は講談社→中国語ができるので引き抜かれた朝日新聞→中国、ここで亡くなる
家にいないときに亡くなったので、実感はあまり無かった

今でも父親の残した絵、文章などを時々見る
辛い事も或る種の面白さはある
山に登るのには苦労するが、其れが面白いという事もある
父親がいたら、英語、中国語も得意なので、どこかに留学していたかもしれない
作家はもちろんだが、苦労しないと、血肉を削ってゆかないと、漫画家でも書けない
劣等生だったので、皆に判るように書ける
私は3流だと思っている   偉い人にはなりたくないと思っている  恐れる人にはなりたくない
私のアンパンマンのファンは1歳未満からいる  キャラクターは2200種類までになった 
最初はアンパンマン、ジャムおじさん、バタコさん、カレーパンマン、バイキンマンと止まらなくなった

子供はあまり子供っぽく扱われるのはいや 
3歳以下は難しいことも、優しいことも判らないが、だから自分の考えていることをぶつける
大きくなってから、大人になってから判ればいい

「そうだ嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも、何のために生れて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ  今を生きる事で熱い心燃える
だから君は行くんだ  微笑んで そうだ嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
あー、アンパンマン 優しい君はいけ 皆の夢守る為」 
「何のために生れて、何をして生きるのか」 哲学の永遠の命題
子供に判るように、というのは間違い 
難しいから子供向きではないと止めると云うのは間違い
そのまま難しいものをぶつけるべき