2013年11月15日金曜日

挾土秀平(左官技能士)     ・世界に発信、左官の技 2

挾土秀平(左官技能士51歳)    世界に発信、左官の技 2
守られた約束の中で自然素材でやるという、其中で表現を変えていって進化している。
土壁は洗練して、洗練して、完成されていると思っているが、私は逆戻りをしている。
こういう配合で、こういう塗り方をしたらこのくらいの大きさのしみ?が出てくるはずだと狙っているとか、自然の現象がお手本(例えば山の斜面の土の山肌とか)、自分で消化している。
良い詩をよんだり、言葉、 「青が荒ぶる」と言うタイトル 青い土でサンプルを作ったりして、其れを利用したりする。  言葉に色や肌が一杯詰まっていると思う。
書く事も好き  思いを言葉にするのが好き。 
ブログを書いているが一日300人のアクセスがある。 良い文章ができると、良い左官工事をしたな、と思っていて、其れが左官仕事に通じてきていると思う。

江戸屋萬蔵がなんでこんなだらしのない仕事をするのかと、思う時があるが、多分施主が悪かったか、怒っていたか、金がなかったか、だと思う あの天才がこんな仕事することは無いと思っているので、職人は言葉で感情を残すべきだと思っている。
フランスに行って、フランスの町の景観に非常に感動した。
建物を作っているが、其れが集まって、田園とかも集まって、日本と言う風景を作っている。 
最近のこの日本の風景どうなってるのと思う。
パリに行ったときに、石の築造500年と言う建物が、びっしりと昔のまま、ペンキ一つ塗らずに、石が欠けたら欠けたまま、四方八方に広がっている、圧倒的な歴史的な景観ですね。
中に入るとエレベータがあったり、近代的な設備がある。
外観の街と言うものに対する、景観の美意識は、半端ではない。
タバコを吸う人が一杯いて、投げ捨てる、自由にタバコを吸って、生きていると云う街だと思った。

日本は素晴らしいものがあると触っては駄目という。
景観は住む人の品位だと思う。  これでは私たちの将来は無いなと思います。
昭和初め、か大正時代 京都の街の絵を見たが、ほれぼれするほど良い景観なんですよ。
街おこしの議論を良く聞くけど、イベントをするのが街おこしと言ったりするけど其れは違うのではないか、街が日本的だったら来るんじゃないのと思う。
日本の景観に対する感性が衰えているのではないか。
左官の仕事をして、32年になるが、32年間仕事が減りっぱなしですね。
今は住宅では皆無になっている。
日本的な精神性が無くなっている。 瓦、畳、木、土は其れが日本。

美意識と言うときに 「美しい」「かわいい」「綺麗」と言う言葉があって 
「美しい」  : いとおしい いつくしむ おもいやる 
「かわいい」: かわいそう   「美しい」「かわいい」この二つの言葉はいっぱい感情がある
「綺麗」:    綺麗で終わって感情が無い 今の日本の建築、住宅は皆「綺麗」で出来ている。
板は10年経つと 美しいになる。  綺麗はやがて汚い 古くなるになる。
「美しい」「かわいい」でないと駄目なんじゃないか。  
車窓からの風景 10年見ている。 
本当に日本の風景だなあと思うのは、名古屋から東北までの中で一か所もない。
景観を意識したことが言える、建築のプロヂューサーがいないと駄目ですね。
日本人の感性、伝統の技 積み重ねてきた左官に限らず、フランスの国では素晴らしいと
日本人の感覚を知りたくて、繊細な、緻密な技能を本当に評価してくれる。
日本では、なんで大事にしていないのと、云われる。
日本人の職人さんが、海外に自分たちの技能を教えに行っているパターンは、たまに目にする。
盆栽師が世界に行ってたり、そういうのを見ていると、どうなるのかと思う。

国力を失っていると思う。 1000年も秘密を守ってきて、なんと名人なのといわれるものを、職人たちが流出してるとしたら、大損失ですよね。
日本人の知性とかで、生みだしてきた文化なので、それを出していいのかなと思う。
保護しないと行けないと、1000年掛かっているんだから、 私もそうするかもしれないけど。
左官だけで飯を食ってゆくのは、ここしばらくは食って行くると思うが、10年先、20年先にはどうなるかわからない。
別の事をやりながら、左官を手助けするような、左官を2番にする すごく悲しいことだと思うが
一番大切なものを2番にしておけば、レベルを落とさずに持っていられるのではないかと思う。
蔵をもっと充実させていきたい。 
新しい表現方法を取り入れるとか、誰も見たことのない土壁の肌合いを研究して、其れができる新しい後継者を育て、バトンタッチする。
現在4人いるが、6人になれば凄くいろいろなことができる。 究極の弟子を育てたい。

弟子はまだ塗れないからそれは絶対ですが、素晴らしいとか、あまり褒めない。
弟子が美術館に行って絵画を見てきましたと言ったら私は「馬鹿」といいますね。
それに可能性を感じない。  
そんなものを見るから頭がカチカチになってしまう。
自分で新しい物を創作しようとした時に、無意識に同じようなバランスをコピーしてきたと私は成ってきたので、どうしたらそれを破ろうかと苦労してきた。 
現場でどうしたらいいかと考える 柔軟な創造力  変な勉強はしないように言っている。
基本技能を持って、現場で考える、常に課題を貰って考える。 柔軟なふうがいい。
お客さんからテーマをもらうので、ここだけで考えた方が変な響を受けていない人だけで出来る。
自分が感じる美しい物は何なんだと、と言うところでないといけない。 
頭が真っ白でないといけない。  
それを見るのはいろんなものが、できるようになってからだと思っている。

知らないでいると、知った時に爆発的な力を発揮する。
38歳の時に、宮澤賢治の「春と修羅」 の一節を知る。
言葉の凄さに感動する。   
その詩を全部読んだら自分の事を書いてあるのかと思うほど感動した。
それがいまでも、凄い頭に残って、どれだけ創造力を働かせて壁を生みだしたか知れない。
素材を大事に集めている。(赤い土だとか、黄色い土、藁、など) 
職人がいなくなり始めているのは、腕はいいが素材がないという事がある。
海外の人の日本文化に対する評価の高さは凄い。
日本の左官は世界一。  
アメリカが其れを理解してくれると、そうすると日本人が、凄いんだと逆輸入してくれるのではないかと、アートのまねごとをやって、海外で認めてもらって、我々はこれだけ素晴らしいと、体験として持って帰りたい。
日本でもっとやりたいから海外で行ってきます。