2013年11月20日水曜日

六車 由実(デーサービス・管理者)   ・介護現場で見つけた新たな民俗学 2

六車 由実(デーサービス・管理者43歳)  ・介護現場で見つけた新たな民俗学 2
高度経済成長期 大手企業 企業戦士 というイメージしかないが、普通の人たちがいろんな地域で支えていたことに驚きを感じる
「聞き書き」 認知症の話を聞くのは無理かなあと思っていたが、話がとても好きで、最初何を言っているのか分からなかったが、スタッフがくっついて歩いていたりした
何とか理解したいと思って、単語は聞き取れたので、単語だけでもメモをしていた
話の文脈、話の流れが段々と理解できるようになって来て、コミュニケーションがとれるようになってきた
狩野川の近くで育っていて、台風の状況とか、沼津駅から走っていた蛇松線のことを話してくれた(今は無いが)
実は認知症の人の記憶の出し方は、確かな事を言っているんだと云う事が驚きだった

普段ぐるぐる回っている人だったが、話を聞きたいと云うとちゃんと席に座って、話をしてくれるようになったんですよ
紡績会社の関連会社のメリヤス編み機 靴下を編む機械の営業をしていたみたいで、農家に編み機を売り歩いていた(副業として農家が靴下を編むことをしていたことが分かった)
最晩年の人 何かを伝えたかったのかもしれない
その人が別の施設に行くことになり、本を出す切っ掛けになった
その本を息子さんに渡したと云ったら涙を流されて喜んでくださった
もしかしたら息子さんに伝えたかったのではと思った
自分の生きた証を残したいよ、というようなことを話す人が多い
自分の死をどこかで見つめていると思う
何かを残しておきたい、何かとと言えば自分の生きてきた記憶であるとか、経験であるとか、其れを自分の子供、孫、若い世代に残したいと思われるのかなあと思う

いつ亡くなるか判らない女性がいた  
私のやっていることを聞いて、私に直接聞いてもらいたいと、生い立ちではなくて、満州で御主人が亡くなられて、その時のことを聞いてほしいと云ってきた
自分の辛かった出来事を、娘や孫に読んでもらいたいとおっしゃった
ご主人が将校 八路軍に射殺された経験を持つが、その話だけではなくてご主人との出会いだとか、写真を交換して、マント姿がとっても恰好よかったとか、あの人と出会えて本当に幸せだったとおっしゃった
ご主人の実家に預けて、本人は仕事をしていたが、息子がお母さんと認めてくれなくなってしまって、息子と離れて暮らすしかなかった
辛い思いをしているうちに、素敵な男性に出会って、制服姿が格好良くってという、乙女心が判るような話をしてくれた
二人の男性に巡り合えて、本当に幸せだったという結論になった
「聞き書き」  どういう展開になるのか判らない
纏めてご家族に渡したら、すごく納得してくれた

「思い出の記」  2人
ご両親の事 お兄さんの事 子供のころの思い出 電話局の交換手 ご主人の事 日本に戻ってから御主人が亡くなって子供たちへの想い  終わりに
ご本人とご家族に渡す   
家族はいろんな反応がある  息子さんが読んでくれて嬉しかったとおっしゃった
有る男性が亡くなって1年以上たった 亡くなったことを風の便りに聞いて、思い出のある方だったので、私はお線香をあげに行った
お嫁さんが対応してくれた これをもらった時には、おじいさんの人生をどういう風に受け止めて良く判らなかった   亡くなってから葬儀社の人に読んでもらったら、おじいさんは凄い人生を歩んできたんだななと、納得できたと云われた
形に残しておいてよかったなあと思った

自分史とは区別したいなあと思う  語る人と聞く人との関係性の上に成り立つ
自分史は自分で自分の人生を還り見るという事であって、語る方も気が付かない人生も引き出せるのかなと思っている
介護される側と介護する側の固定的な関係になるが、お年寄りの持っている経験、知識は、私たちには考えられないような、沢山の物を持っている
一方向的にかかわるしかできないのは、もうしわけないと云うような風に思っていたが、聞き書きは経験されたことを聞かして貰うので、其時は先生であり、私たちは生徒になる
関係性が逆転している
スタッフ自身の人生に向き合う事にもなる
これでいいんだと、勇気付けられることもある
介護の仕事は大変だ大変だといわれるが、仕事をしながら、貴重な人生勉強をさせていただいているように思える

その方にお話を聞く事で愛情が湧いてくるとか、親しみがわいていたりして、人と人としてかかわれるようになってきたりして、其れが普段のケアの変化にもつがなってゆく様な気がする
介護現場の「聞き書き」は聞く側にとっても重要だと思われる
自分の人生って、自分で纏める事は難しいと思う  自分では客観的にはなかなか見れない
編集者見たいなものだと思っている
最近やっているのは「思い出の味」 聞き書きでお話を聞いたのを、皆で味を再現してゆく
端午の節句の時に、お寿司を頼んだが、汁物を作りたかった
豚汁 愛知県の山奥の出身の人 八丁味噌(赤味噌)の味
作る事になり、レシピを聞く  味付けに興味深々 
味見をしてもらったら、良いんじゃないですか という事になる(102歳のおばあさんの評価)
それ以来、納涼祭、運動会とかで、餃子、とかも作った

ドイツの癌のホスピス 癌の末期の患者さんに思い出の味を聞く 其れを聞いて再現する
味は難しい 味見して、最後に口にして、引き取ってゆく その本を読んで
介護現場として、記憶に残っている味をどこかで再現する機会がないかと思って始めた
皆で共有できる 評価したりして、思いもよらないような深い意味合いを持ち始めた
民俗学だけでは言い尽くせない、人間学の様な感じ 人と人が深くかかわってくる
聞き書きは最初、孤独な作業だったが、一緒に働いてくれる人が判ってくれて、スタッフがいるからこそ出来る(大規模介護施設では出来ないことだった)
ここに来るのが楽しみだと云って下さる  生き生きとしている
関係性の問題が一番大きいと思う(一方的に介護されているとは思わない)
お互いの人生を認め合って、共にここを作っていると云う関係性、雰囲気がとても居心地のいい場所になっていると思う

家族と一緒に住んでいても孤独な思いをされている方も多いが、同世代の人が集まって、聞いてくれる人もいて、ホッとできる瞬間を日々作っているのかなあと思う
スタッフが自分が年をとった時にどういう介護をされたいのか、という事に尽きるのかなと思う