2013年11月21日木曜日

三輪えり花(演出家・脚本家)    ・気軽に楽しくシェイクスピア

三輪えり花(演出家・脚本家)      気軽に楽しくシェークスピア
慶応義塾大学 文学部英米文学科 で英文学を専攻 在学中に交換留学でカナダのビクトリア大学で、学び卒業後はロンドン大学大学院演劇科に進んで、ヨーロッパの前衛芸術の演出を研究しました
三輪さんはこのころまではシェイクスピアとは縁がなく、シェイクスピアの何がそんなにすごいか、わからなかったそうです
その後、文化庁の在外研修で再び、イギリスに渡り、英国王立演劇アカデミー等で演出や演劇教育の研修を積みました
その際、ロイヤルシェイクスピア カンパニーの演出家ジョン・バートンの講座を受けたときに、シェイクスピア開眼のきっかけをつかみました
三輪さんは日本人にもっと気軽にシェークスピアの良さ、面白さを感じ取ってもらおうと、この10年ほど、「何が凄いのシェイクスピアア」、「シェイクスピア遊び語り」のイベントを続けています

シェイクスピア セリフの宝庫と言われている
「世界は皆一つの舞台、人間皆単なる役者、退場もするし、登場もするし、生きている限り演じ  続ける何役も」
 シェイクスピアらしい言葉  「お気に召すまま」の喜劇のなかの台詞の一つ。
大学は、イギリス人の先生のゼミで自由 1970年代の日本の小劇場運動を英語の論文にしてみようと思って、寺山修二の作品を一本英訳したものをくっつけて、論文として提出する事にした
実体験は無いので論文から利用した。
シェイクスピアの関連の授業があったが、覚えているのが、あまりなかった
シェイクスピアは古臭いと思っていた(400年前の時代)
最初カナダに1年間無償で行かせてもらう 演劇教育、演劇史、演出、美術、評論などを学んだ

中世演劇 現代英語を使っていない 中世英語の演劇  シェイクスピアの作品をいくつか読んだ
ロンドン大学では演劇というものを人間形成の面から役に立つのでは無いかなと思ったので、其れを追求するために、演劇科に行った
演出学、俳優学、作家学、舞台監督美術 があったが演出学に行けばくまなく俯瞰できると思って選んだ
前衛的なものを研究している アバンギャルド  シェイクスピアとは益々遠のく
ヨーロッパの前衛的なものは徹底的に、伝統と正統を打ち壊すものだった
劇団スバルに入るが、劇団スバルは典型的な伝統と正統の劇団だった
文化庁派遣在外研修で再びイギリスに行く 
2年間の研修生 英国ローヤルシェイクスピア カンパニーに在籍した。

有名劇団にも出入りさせてもらった
英国が主催した全欧の演出者協会のワークショップが開かれていた
応募する事が出来て受け入れられた(演劇学校が始まる前にそこに入ることができた)
そこはプロとして活動しているヨーロッパ中の優秀な演出家たちが集まって、自分たちの技術を磨く、他の国の人たちがどんなことを考えているか、今、ヨーロッパ演劇に何が必要なのか、世界的な目で見る様なそういうワークショップだった
その中には超有名な演出家のワークショップがいくつもあって、いくつも取った
その中でも特にこれが私を作ったと思える講座に出会った
ロイアルシェイクスピアカンパニーのシェイクスピア演出の第一人者と言われるジョン・バートン
シェイクスピアの演じ方(独り言を演じるには)そういう講座だった。
行ってみたら、人のよさそうなおじいさんだった
インド人の女性がそばにいた  今ハムレットを演じるのには彼女が一番だ、だから連れてきたとこともなげに言った(ハムレットは男性なのに)
彼女はしゃべるとあらゆる演出についてくる人だった

「生きるべきか、死ぬべきか」
シェイクスピアのセリフは直前に発した言葉に依って、自分の思考回路が触発されて、新しい窓が開くのだ そういう風に読め、そういう風におっしゃる
どうしようかな、今の俺みたいな感じで出てくる どうしたらいいんだ  というような雰囲気 
それが「to be or not to be」  現状維持か現状打破か どっちなの
現状打破は全てにとどめを刺して、終わらせると云う事ですよね とハムレットは言う
全てにとどめを刺して終わらせると云う事は、自分も死ぬと云う事かしらという風になって、其独白全体の中で、初めてdie 死ぬと云う言葉が出てくる
dieと云う窓が開く様に演じろとおっしゃる というとto die  dieの単語が出てきたら イコールto sleep  そっちの窓が開くように演じろと云う 死ぬと云う事と眠ると云う事について、思考回路を新しく探検してゆくフェーズに入るのだと云う様な事で、単語に依って新しい思考回路の窓は次から次に開いてゆく

登場人物が自分の思考の流れを発見するからお客様は、其れを発見する旅路に一緒についてゆくから面白いのだと云う事が解ったんです
ジョン・バートンのワークショップをきっかけに、ドンドンファンになると思って、絶対日本に紹介したいと思った
ちょっと窓を開いてもらったので、面白さが解ってきた
敷居高くなく、身近な素晴らしいものとして受け取ってもらったら、毎日の人生が豊かになる
シェークスピアを知ると勇気付けられてくる

「何が凄いの?シェイクスピア」  初演が2003年 
立体講座にすればシェークスピアの面白さが判ると思い、始まり方特集、かっこいい死に方特集、翻訳比べ、長い台詞の聞き方、聞かせ方 とかいろいろ其れを知っていればなるほど、と判るように行った  
「じゃじゃ馬倣し」 じゃじゃ馬だったのが、強い夫の言う事を聞く、淑女になってゆく でも本当にそうですかというような話
ハムレットの言葉(前向きな部分)
「人間というものはなんと優れた天の創造物か 理性は優れて 動きや形は尊敬に値し その行動は天使の様で その知覚力は神の様で 世界の美を表す  動物達の鏡となる存在である」
それに引き換え俺は・・・・・と続く。(落ち込む)

400年前の人 シェイクスピアの自筆の戯曲が残っていない 
どこまでシェイクスピアの書いたものなのか、其れがはっきりしない
シェイクスピアは突然ロンドンに現れ、突然田舎に帰って、田舎では全く演劇活動せずに、なりをしずめて、亡くなってしまう   別人説も出てくる。
フランシス・ベーコンがシェイクスピアではないかとの説もある
エリザベス女王だと云われたこともある
シェイクスピア、ユダヤ人説まである

ハムレットは舞台がデンマーク ヴェニスの商人はイタリア 
イギリスの作家なのにイギリスの舞台が少ない
リア王 イギリスがキリスト教になる前の話がリア王 だから良い
マクベス スコットランドはイギリスではないのだから良いんだと云う事
シェイクスピアはエリザベス女王のお抱え劇団のお抱え付き作家だった。
微妙な勢力あらそい 時には殺人も起こる そういうものは舞台を外国に移す
イギリスを舞台にするわけにはいかないので、外国を舞台にして書いた
当時のイギリスが鏡の様に心の中に映ってくることを目論んでいたのだと思う

亡霊、妖精、魔女が出てくるが、実在感があった
亡霊に依って人格が破壊される  妖精が助けてくれる夏の夜の夢みたいなものもある
シェイクスピアが生きていた時代の前、ルネッサンスの時代の前 キリスト教以外の物を語るのは許されてはいなかった(おおざっぱに言うと)
ルネッサンスになってから、ギリシャ神話、妖精とかの話をすることができるようになってきた
そういったテーマを含める時も、シェイクスピアは外国を使っている
劇場 ①貴族の館の中でのプライベートビューイング、
②テムズ川の河畔に丸く闘牛場見たいな円形の箱を作って、円周には客席、そこには屋根があるが、舞台はドーナツの真中にせり出していた
夏の昼間の舞台だった (パブリックの劇場ではろうそく等は無かったので)
「良い夜を 良い夜を 何千回の良い夜を」 
(今が夜だという事をしつこく知らせる「ロミオとジュリエット」)
広大な戦場を見せる時にも、「はるか彼方に見える・・・」という言葉を使ってその場面の情景を、お客様の脳内に投影する力を持っていた、言葉が
想像力の中で観覧者と同体験を共有していた

「シェイクスピア遊び語り」 2009年からスタート
作品の一つ一つに、その作品ならではの面白さが有る、其れを提供する場所を作ろうと思って、シリーズ化して、これまで9回やった
朗読、音楽、お芝居の再現  作品をダイジェストに面白く見てもらう
耳で聞く方がイマジネーションが喚起されるので
本格的なお芝居を見たい人は、どうぞと云う入口を空けてやる面の役割り
入口をあけてやると云う面では成功している思います

今の地球の人たちに聞いてもらいたいと云うセルフ(ヴェニスの商人から)

ヴェニスの商人の  、ユダヤ人のシャイロックが復讐のために人殺しをしようとしています
それをキリスト教徒が何とか仲間を救おうとしている
「宗教を越えてあなたも祈るでしょう  私も祈る その同じ祈りが、其れは自分達の究極の救い
つまり相手を救う事によって、天に認められることの為の祈りではないですか」
正義だけでは、人間らしいとは言えない 人間らしいとは情けを恵むと云う事なんだと云う台詞

動物は知性を働かせるのが好きです  喜びを感じるようです
人間も動物の一部として、知性を働かせることに喜びを感じるんだと思います
もっと人間らしいのは、動物と人間を違わせしめるものは何かと言ったら、想像力を働かせることに、最大の喜びを感じるのが、人間を人間ならしめている点なのではないかと思う
シェイクスピアは想像力の翼を広げてくれると思う
ハムレットのセリフの中に
「私はくるみの殻の中にいても、更に広い世界を我が世界と思う事が出来る」
くるみは脳の様な感じ くるみと脳はシェークスピアの中でよく比較されるが、脳内にいればどんな場所に綴じ込められていても、どんな迫害に有っても、イマジネーション一つで広い憧れの喜びの世界に飛んでいける
その手段を与えてくれるのがシェイクスピアの言葉、セリフの数かず、ドラマだと思っています