2013年12月21日土曜日

本山秀毅(大坂音楽大学教授)     ・歌声は生きる力

本山秀毅(大坂音楽大学教授)     歌声は生きる力
京都私立芸術大学で声楽を専攻し、一旦中学校の先生になりましたが、教える前にもっと学びたいとドイツへ留学、そこで世界的なバッハの大家ヘルムート・リリングから合唱音楽の指導を受けました。   同時に教会でバッハの声楽曲が日常的に歌われ、人々の祈りや感謝の想いと重なっている様子を目の当たりにします。
人々が声を合わせ心をつなぐ歌う力に感動した本山さんは1988年に帰国、バッハの曲を専門とする合唱団を結成しました。
現在も教会やホールで演奏活動を続けています。
大学で教えながら、小学校から大学生まで様々なコーラスグループの指導をしています。
その本山さんが、東日本大震災の後、福島県の中学生の合唱を聞いて大きな衝撃を受けました。
中学生達が歌ったのは、旧約聖書の時代、故郷を焼かれ捕らわれた嘆きを歌った「エレミヤの哀歌」 と放射能汚染で離ればなれになった友への思いを込めた「群青」でした。
今回は本山さんにお聞きしました。

音楽に出会ったのは中学に入った時、音楽の先生が担任で、キリスト教の学校だったんですが、聖歌隊に来ないかと強く勧められて、入ったのが合唱との出会いでした。
一人で歌ってても大勢で歌ってても、それなりに楽しいんですが、違うメロディーが一つになってゆく
、気持ちの部分で非常に心が豊かになるというか、わくわくするというか、そういったものを子供のころに味わって、益々のめりこんでいった。
クリスマスに先生の家を歌って回る事があって、こういうシーズンにこんな風に歌を提供する事で、喜びが広がって行くんだなあと感じました。
意味がメッセージを届けてゆく、原体験をしたのではないかと思った。
演奏旅行 広島に行ったが、原爆病院、盲学校に行った記憶がある。
そこで演奏する段になって、視力の不自由な方は他の感覚を働かせて察知する。
これから始まると行った時の彼等の集中力、全身の神経が耳に集まる感じが痛いほどわかった。

音を発する事がこんなに責任のあることなのかと、彼らの様子を見て強く印象に残った。
音楽で一方的に発信していることが多いが、大切なことを教えてくれた経験だった。
中学校の先生になり、教えに行っている立場なのに学ぶことばっかりだった。
この様にして教えてゆくことが子供達にとって、本当に幸せなことなのかどうか悩んだ。
その後の人生を大きく変える人に会いました。
バッハの専門家として知られるヘルムート・リリング 
日本に来日していたときに、大学の先輩を介して知り合います。
海外の留学生を手厚く受け入れていたので、幸運な出会いだと思った。
1年で教員を辞めてドイツに留学し合唱の道に進むことになる。
留学中にも教会に行って感銘を受ける。
300年前のバッハの音楽が今の人々の暮らしに溶け込んでいる日常の光景でした。
独特の時間が再現される。最高の日曜日の朝のBGMの様な気がします。
歌詞に描かれている言葉を共通の物として認識する。 

今後の身の振り方をリリングに相談するが、君の役目は日本に帰ってここで学んだことを、種をまいて、育むのが私の希望だと言ってくれた。
日本に帰ってきて、自分の意志を理解してくださる方に話して、20数名集まってくれて、合唱団を立ち上げて、演奏会を行った。
バッハの音楽は理解して深く楽しめる。
感性と知性の部分を聴衆の人にも理解して頂きながら演奏会をしようと思った。
対話をしながらの演奏会を企画する。  理解して聞くと感じ方も違ってくる。
バッハの曲は教会の暦に応じて曲が出来ているので、我々の時間の過ごし方ともうまく一致する事が見つかって聞く楽しみを増やしてくれると思います。

震災の前から東北地方には足を運んでいたが、合唱が盛んなところだという事に由来します。
震災後、自分のできることは何かと考えた。
岩手県の沿岸部に行かせてもらって、合唱を指導した。
震災によって日常の時間の流れが妨げられるのが、一番悔しい様な気がした。
昨年1年間の音楽活動での中でも一番大切で衝撃を受けた。
浜通りは原発事故でいろいろな活動が滞っている地域だと言える。
南相馬市、いわき市とか数えるぐらいのグル―プの参加だと思っていた。
いわきからはかなりのグループが出てきたが、双葉、相馬地区はなかったが、南相馬市立小高中学校が一つだけエントリーしていた。
ここに名前が載るという事に至るまでには、本当に大きな苦労がある事を思いました。
どんな演奏をするのか期待していた。

エレミアの哀歌」作曲はアメリカの現代曲だが、歌詞は旧約聖書のエレミアにもとづいたもので故郷を破壊された、怒りの嘆きの歌
何を語っているかをぴーんときた。
演奏を聴いて、表現する激しさや意志、訴求力、指揮からでてくる想いは私が経験したことの無いような力強いものを持っていた。
感動という言葉でかたづけるには、あまりにもおおきな時間だった。 胸がいっぱいになる。
SNS 演奏を聞いたその夜にもその言葉にして発信した。
それを受け、指揮者の友達がそのことを指揮者に伝えたら、その夜のうちに指揮の先生がそのように受け取ってくださったという人が一人でもいたことは、私たちの演奏の意味が本当にあったと感激のメッセージを頂いた。

中学の現状とかをメッセージをやり取りしていた中で、「ファーモニージャパン」 という合唱に特化して被災地を支援をしようとする財団法人ですが、演奏会がある。
そこに彼等の合唱を招けないかと思って、動いて京都にまねいた。
「エレミアの哀歌」を歌った後、もう一曲聞いてほしいと別の曲を歌い始め得る。
震災以来2年間の想いをつづった生徒たちの言葉に先生が曲を付けたオリジナル曲だった。
卒業式の前後に起こった震災が下敷きにありながら、新しい人生を歩み出す節目になる時に作ったと言うんですが、これは単なる卒業ソングではなくて、災害にあって、その時を重ねてきた人たちだけが共有した思いをここに集めた作品だと思います。

群青」 曲も言葉も素晴らしい音楽、言葉です。
彼等からどんな気持ちから発信されてくるものかを理解していないと、聞いていて理解されませんよね。
歌詞を理解しようと聞き逃すまいとする気持ち、それが伝わって、聞いている人たちの感性を動かすこと。
中学生たちが京都に来て何が励みになったかと言うと、自分たちでも発信できると自信につながった。
歌う事で自分たちの価値がしっかりと示された。
歌の中の言葉 「別れ」 一生会えなくなってしまうかもしれないような友もいる。

日常から出てきた言葉だと思う。
震災でいろいろ曲ができたり、歌われたが、彼らからこういう形で曲ができてきたのは、そう多くはないのではないかと思う。
「群青」 言葉と想いが伝わってゆく中で、重なり、束になって広がり伝わってゆく。
人々の本質的にある心の感情まで高められてゆくような感覚を持つ。
音楽が持つ基本的なスタンスに通じる素晴らしい性質をあの曲は兼ね備えているものと感じる。
まるでそこに居合わせたかのような気持ちの共有化、バッハの曲も同じ事で、カンタータの最後に歌われえる音楽が当時の讃美歌だった事を考えると、気持ちの共有、思想も共有される。
「群青」  あの曲を歌ったときに聞いた人がどう思ったか、空気感、思った心持を共有していただけるのではないかと思う。

留学中に学んだことは、技術的なことを沢山学んだが、集積して行った最後にくるものは、
バッハの場合だったら、心をしっかりと伝えることだったと思う。
合唱から受ける事とどこか、つながるような気がしている。
彼らの合唱は凄い高度なものではないかもしれないが、しっかり目的を理解して、そこにつながっている。
ドイツでは技術が9割5分だったかもしれないが、それを形にしたところで浮かび上がってくるのが精神性だったりする。
願い、すがる、祈る 一つの大きな力になると、それを聞く人をも巻き込んでいうエネルギーを感じさせてくれるものです。