2013年12月6日金曜日

原口純子(ライター)        ・日中相互理解のために私の試み

原口純子(ライター)      日中相互理解のために私の試み
去年9月尖閣諸島を国有化した後、中国の各地で反日デモが続きました
現在でも政府間はもとより、国民の間でも良い感情持っておらず冷え込んだ関係が続いています
このような現状をうれいた中国に住む8人の日本人編集者たちが、このほど中国で暮らしている100人あまりの日本人の当時の体験を集めた本を出版し、注目を集めています
この本の中では中国の18の都市に住む日本人がいろいろな中国の人とのかかわりを通して体験した通常のニュースでは報道されない、様々な人の姿が描かれています
編集者の一人、ライター、エッセーイストの原口さんに伺います

日本の大学生の方も集まったが、中国の留学生等も多いし、関心を持って聞きにきている
在中日本人の108人の「私たちがそれでも中国に住む理由」 という本を出版
毎日、日記を付けていて、雑誌の仕事を中心にしているので、いろんなジャンルの方にお会いする
日本人ですと云うと9割方好意的で、或いは褒められることも非常に多い
日本人の真面目さ、清潔さ、技術力などでいい反応をする 
市民生活の間では好い感情で対応することが続いている
外国の人が部屋を借りるときに、日本人と言うと積極的に部屋を貸してくれる事が多い
部屋を綺麗に使う、きちんと部屋代を払うと云う事で日本のイメージで、得をする事もすくなくない
過去に戦争、現在の外交上の問題について意見を聞かれることは多いが、私の印象ではマイナスイメージは少数派で、一般的には日本人だと云う事で好意的に接する事は少なくない

私は、偶然から中国の生活が始まった
1993年に偶然暮らすことになり、それまではヨーロッパと縁の深い生活をしていました
フランスの映画を日本に供給する仕事をしていましたので、特にパリが多かった
パリでは出張だったが、映画の仕事にかかわっていたので、パリの映画監督、女優 などと接触したり、いろんな仕事をしました
フランス語はあまりできなかったので、自分の力でパリで暮らす日本人の人達と知り合って、本当にかっこいい人たちだと思いました
こんなにかっこいい仕事が海外にあるんだと云う事を知ったのが、今の自分につながっていることは間違いないですね
フリージャーナリスト、自分とは縁遠いと思っていたが1993年に偶然に家族が中国で暮らす様になったときに、中国にとどまるか、日本に戻るかという選択の中で、中国で頑張って中国語を勉強したら、あのような仕事ができるのではないかと頭の隅にあった
(主人の転勤で北京に)

フランスでは凄く幅広いジャンルの記事に接することができたが、中国語はできなかったので、政治経済社会問題の記事がほとんど 中国に住んでみるとそれ以外の記事が一杯作れるのではないかと思った
最初の頃は中国語を勉強しながらインタビューしていたので、聞き取れない部分もあったりして録音したものを聞いて、綱渡りのようなことをやっていた
徐々に出来る様になって言った
2000年以降 北京オリンピックとかもあり、日本人も中国に対して幅広い関心を持つようになった
うまく時代の波にも乗れた  
人々の日常の暮らし、自分の関心のあるテーマを拾って、書籍、雑誌を作ってゆく
毎月、中国の地方都市に行って、都市を紹介する 毎月6~8ページ そういった仕事があった

去年8,9月にデモが激化したが、黄山のふもとの町に取材に行く事になり、書道の墨作りで有名な街で、土地の人に親切に助けてもらって、どうしてこんなに良くしてくれるのかを尋ねたら、昔日本語を習った時に日本人の先生が本当に自分に良くしてくれたとの事、恩返しをするつもりでやっているとの事だった(反日デモの後だった)
6年間地方に行ったがいろいろ助けてもらった
本を出されたきっかけ  中国で大規模な反日デモが起きた 激しい暴力行為が映像で流された
現場以外に穏やかな日常が続いた現場も見れるし、デモが終わった次の日からの時間の流れを住んでいるのでずーっと見えているので、そういったことを日本に伝える事は無くて、日本の印象はデモの映像のままで中国の印象は止まったままなのではないかと思う
伝える事があるのではないかとの思いでした

毒餃子、PM2.5 SARS 其他大きな問題がそのたびにあるが、事件が起きていない日常生活があるので、それが私たちは見えるし、感じる   報道とのギャップを感じる
上海に住む100人の日本人にアンケートをとったが、ギャップがあるかどうか聞いたがギャップを感じると答えている人が9割を超えている
多様な領域から声を集めてみたら、住んでいる日本人の中国を観る多様な見方をみなさんに伝えられると思って企画、立ち上げました
企画が立ちあがったのは今年の3月、本が出版できたのが8月30日でした
本当に時間が無かった  
私たちが思っている以上に書くことを引き受けてくれた

地方の方と言うのは知り合う機会がなかなか無くて、地方の大学の職員のかた(中国人の人と家庭を持っている女性) メールで原稿が届く 赤ちゃんが生まれたばかり
回族 (イスラム系)とか、新疆ウイグル自治区ウルムチ地区 とかいろいろな内陸の人から届いた
いい話だけではなく、悲しい、苦い思いをした原稿も入っている
流通業、襲撃を受けた  
翌日の処理を日本人と中国人リーダーが率先して鼓舞して立ち上げようとしている
店を一人も辞める事も無く再立ち上げをしている
日本に対する中国人の反応  好意的な反応 
読んでくれた感想として、こんなに中国の事を愛してくれる日本人を知って私は泣きましたと云うようなことを書いてくれた人もいる
中国にいる日本人がこんなにいると知りませんでしたと云うような事も書かれている
日本で住んでいる中国人の人、祖国の印象が悪いものが伝わる事が多いが、この本が出てくれて喜んでいる、と言うような反応等

わたし自身中国北京に20年住んでいるので、日本人が住むのは当たり前というような思いがあったが、この本を手掛けて、いろんな領域で日本人が活躍して居ることを改めて知った  
日本の方からするとやはり少数派で、少数派の声を伝えてゆくことは、役割として大事だと思いました
領空上でも対立が起きているが、住んででいるものが伝えてゆくことは大事だと思いました
外交上は難しいものが続いているが、だからこそお互い、自分たちのことに目をふさぐのではなく、この本がお互いを知るヒントになればいいなあと思っています
厳しい状況だからこそ、民間人同士が手をつないで、多様な繋がりを日中で持つ事が大事なんだと思います

子供のころから活字が大好きで、本と雑誌の仕事が北京で出来るようになったので、これが一番の収穫、夢を実現させてくれたところ
中国って、ぱっと見ると綺麗さ、便利さは日本が勝っているような気がするが、深く知り合いになってゆくと温かさ、強さ、誠実さを理解する事が出来た事は人生にとって大きかったと思います
執筆者のその後の反応として周りからなんでお前は中国にいるんだと云われ続けたりしてきたが、この本の一人の執筆者として、こうなんだと云う事が出来てありがとうと言われた
今回いろんな領域の方が繋がる事で、お互い同士が更によく繋がることで、お互い同士が見えた、と言う事もあると思います
中国でもかなりメディアで好意的に報道されていて、中国の出版社から、中国語版の申し出が来ている
日本人の多様な声を中国社会に伝える事が出来て、さらにもっと大きな意義を持つと思うのでチャレンジしてゆきたいと思っている

中国版が出来たら、それの編集に関係した日中のスタッフ、及び執筆された108人が集まって、出版記念パーティーができればと思っています