2014年1月17日金曜日

石倉泰三(パン店経営)      ・寅さんに助けられた神戸のベーカリー 2

石倉泰三(パン店経営)  寅さんに助けられた神戸のベーカリー 2
17日の朝は5時46分に仕事の途中でも手を止めて、黙とうする。
我々は生かされた方なので、何かを伝えてゆく、やってゆくというのは一人の有り方、くららを通して、自分を通してやってゆこうと思っている。
夜は1・17というろうそくに火をともして亡くなられた方の鎮魂のイベントがあるが、炊き出しのところで、コーヒーの炊きだしをやって一日を終えるという事になっている。
くららは長田区3番町にある。  平成10年に移動する。  都市開発の区画整理になっていた。
市場の場所で再建できないという事になって、他の場所に代わらなければいけない状況になった。
或る地主の方から紹介を頂き、新たな場所に移転する事を計画。
設計が完了して工事が始まる手前で、10数軒の周りの地域の方から、反対の言葉が神戸市に入って、福祉課から電話が入って反対の声が上がっているといわれた。 吃驚した。
そこでしか再建の方法がなかった。(復興基金の使用期限が設定されていた) 
集まってもらって話したら、パンの匂いが嫌いだとか、火を使うので危ないとか、いろんなことを言われた。
閑静な土地にそういった建物を作るのは、困るという事を聞いた。(要は迷惑なんだと思った)

お金を借りる条件に期間があって、このままでは間に合わないと思って、スパッと諦めた。
新聞広告のチラシにいい条件の土地を見つけて、即刻仮契約に行きました。
3番町に構える事になる。
地域を家族にしようと、周りの方に知ってもらいたいと思った。
近くのみずき小学校の4年生とはくららと1年間交流することになっている。
将来、地域の子がくららを荷なってくれるといいかなと思っている。
学校をキーポイントにして作業所の体験を踏まえて交流をして、市場を使って子供市場の場を作って、子供たちが作ったものを市場で実践販売して、収益を子供たちが会議を開いて何に使うかとかやっている。 (地域貢献をしてゆく)
障害を持った人が就労できるという事がなかなかできない。
或ることを介して企業と関係が出来て、パン作りを通して、かかわり合いができないかなあと考えて、その企業の新入社員を迎えて、2~3日間研修をする。
会社自体も環境が変わって行った。(障害者用の施設などを設置する様になる)

8年前、8月でお盆の日で近所で食事をしていたら、携帯にくららが燃えていますとの連絡が入り(不審火だった)、跳んで帰ったら、隣りの方が初期消火をしていて、消防車への連絡をしてあった。
家は焼け火事はおさまった。
作業所の仲間、行政関係、学校関係の仲間が集まって、くららをどう再建するかを検討した。
3ヶ月間ぐらい、パンは焼けないので別のところをお客さんに紹介した。
従業員の別の作業所を紹介してもらって、働いた。
神戸はパンの街で非常に厳しい、口も肥えている。
くららのパンは、パンでいろんな人と関係をつくてゆく、パンが武器になって、人や場所が出来てゆく、そうすれば自分たちが暮らしてきていた地域で、如何に安全で安心していい人生をおくれるか、とそういうパンになればいいと思ってやっている。
火災があって、山田監督が石倉さんたちにメセージを送った。
お金も必要だけれども、お金だけじゃないよ。 そういった人のつながり、街でどうして行くのか、どう生きて行くんだ、という様なメッセージを新聞で拝見した。

従業員に電動椅子に乗っている子がいて、携帯電話で注文などをやっていたが、手が不自由で直ぐに出られない為、掛け直ししたりして、電話代が相当掛かってしまっていた。
山田監督が障害者割引があるのではと言ったが、なかった。
東京新聞のコラムに投稿してくれて、9カ月後に制度ができた。
その間にも進行状況を逐一連絡してくれた。(たそがれ清兵衛の製作中で忙しい中)
今はくららとさくら、七つの実の3つの事業所をやっている、NPO法人。
(法人を取ったのが6年前)
さくらはデーサービスの様なもの。 それぞれに障害の人が携わっている。
最初は5人だったが、25人になっている。
現在パンは120円、18~20種類ぐらいになっている。  一日に200~何百個焼いている。
一番年配は60歳代  それぞれ彼らには存在観がある。

今年で20年になる。 いろんな事が煮詰まった20年だった。
寅さんから「何とかなるよ」と教えられるものがありますね。
最初は上から目線だったが、大震災後に同じ目線になった様に思う。
くららの2階の場所も、団子屋のテーブルをイメージして、いろんな方がそこに寄って喜んだり、泣いたり、わーわー言いたりして、そういう風な場所であって、そこから何かが出来てゆくとか、若者も育てていかなければとも思っている。
地域に貢献してゆくような、そういう風に思っている。
若手がくららの事を荷なって行って、面白いことをドンドンやっていってもらえるくららにしてもらえればいいと思っている。