2014年2月13日木曜日

杉田 徹(養豚業)       ・震災を体験して 私の復興(2)

杉田 徹(養豚業)     震災を体験して 私の復興(2)
宮城県 南陸町で養豚業を営む杉田さん 70歳 
志津川で養豚業を始めたのは46歳の時、それまで東京を拠点にフリーのカメラマンをしていました。
スペインの羊飼や農業、漁業を営む明治生まれの人々など、自然と向き合って生きる人々にカメラを向ける中で、コンクリートの中の生活に疑問を持ち、南三陸町志津川で養豚を始めました。
山の中の2ヘクタールで豚を放し飼いにして、手作りのえさを与え、市場を通さず直接消費者に届ける販売を行っています。
しかし東日本大震災では餌の確保が難しくなり、収入も途絶え、一時は止めなければならない状況に立たされました。
震災後に旅したイタリアのフィレンツエで刺激を受け新しい一歩を踏み出した、杉田さんの農場での話などをうかがいます。

前々からフィレンツエ、ルネッセンスが気になっていたので確かめたかった。
確かめるのには写真しかないと思った。
震災があって、豚の頭数が少なくなり、留守中に甥に預ける事が可能で有ったので、家族とともに出掛けた。
現代のフェレンツエにかつてのルネッサンスを見つけたい。  
ルネッサンスが興した、人間の復活、個人の復活を見たいと思った。
職人の人たちに拙いイタリア語で話を交わして、写真を通して、かつてのルネッサンスを見ようとした。  120名
30代に出した日本の農業と漁業で生きてきた人々の写真集を見せて、職人達を撮って行った。

家具職人、額縁、靴の職人も多い。  驚いた職人は画家。 
画家も店がアトリエになっていて、自分が書いたものを、他人のもあるが、売っている。
自分の手で作ることに誇りを持っている。
なんで自分で豚を育てて、肉を売るという事は自信がないとできない。
ルネサッサンスの根源があると思う。
世間に媚びずに、こういうものを作れば、こういうものを書けば、売れてお金が入るぞと、わかってもそれをやらないで自分を貫き通す、それを理解してくれる人がいるというのが凄いと思った。
売れなくても誇りを持っている。  (この辺の内容?)

都会で住んで写真をやっていて、46歳の時にここに来たが、それはなぜかと言うのは、都会と言う人工環境に中では、自分が自分で有りたいというのがなかなか満たされる環境ではない。
日本ではどこかとかと考えると、日本の自然の中であってこそ、私が私であることができる。
それでここに来た。 ルネッサンスと重なるところはそこですね。
ヨーロッパは個人主義、 

フィレンツエでは2か月間過ごす。
冬であるのに岩だらけのアルプスを越えて、イタリアに入った途端に緑で有るのには吃驚した。
冬が雨の季節であることを知った。  結果、美味しい食材で有る事を知った。
美味しいお酒を飲み、美味しい食べ物を食べて、快適さがあり、物を考える事には大事な環境であると思う。
豚の農場も見学する。  放牧していて私のところと同じで、餌は近くにある工場から持ってくるのと、硬くなったパンを食べさしたりしていた。
日本のものよりもかなり美味しかった。 臭みは無いし、肉にうまみがあった。
肉は塊で売っていて、日本の様にスライスするという料理法はない。

震災前は7,8頭 販売できたが、震災後は5頭になってしまった。
鶏の肉鳥の販売も手掛ける。  家で肉のスライス加工をする作業をやってカバーする。
甥はやはり合わないという事で6カ月後には止める事になる。
宿泊して農場体験してもらうという事もおこなう。 1~2週間  今年香港から女性が来る。
レストランで肉料理を提供する事も始める。  自分がやっている最終の仕事だと思っている。