2014年3月1日土曜日

田渕久美子(脚本家)       ・私の原点 ふるさと石見

田渕久美子(脚本家)            私の原点 ふるさと石見
島根県出身 益田市内の学校を卒業後 、東京に上京、短大に進学、卒業後、益田市に戻って銀行に就職、1年後に再び上京、出版社に就職、その間に創作活動を開始、脚本家デビューをする。
20年ほど前から脚本家活動を開始、民放で数多くの脚本を手掛ける。
平成14年には朝の連続TV小説「さくら」の脚本を担当、橋田壽賀子賞を受賞。
平成20年には大河ドラマ「篤姫」に続いて、平成23年「江」の脚本を担当しました。

故郷に帰ってくるとホッとする。
子供のころは目立たない地味な子だった。  作文を書くとみとめられていた。
全国で読書感想文で受賞した。
文章を書く事は大嫌いだった。 大したことを書けないのでギャップに対しての想いがあった。
母は、こんなことが完壁に出来ていいのかと思うほど、裁縫、料理、絵を描く、書は師範、人形作る何でもする。
きっちりやらないといけない様な主義だった。
小学生の時からたたきこまれた。  朝いろんなところを掃除してから行くのが常だった。
おせち料理を母と作って、紅白歌合戦は見る事が出来なかった。(明け方の4時まで作った)
女の生き方を小学校から叩きこまれて、厳しくてうるさくて本当に辛かった。

いろんな女性を描くうえでも、後で大変為になった。
私にとっては故郷=母=私の仕事 ぐらいですね。
仕事を26歳始めるが、結婚して、子供を産んで、どんなに仕事が忙しくても、家事に手が抜けないという事があった。
そのうち爆発して、もうこれ以上やらなくていいのではないかと、完ぺき主義を捨てるまでは時間がかかった。
父は建築業をやっていた。  内容は微妙に似ているとおもった。
平面を立体的にする図面、 それに近い物を感じる。
高校では部活動でダンスをする。 県大会まで行った。 ダンスを作るのが好きだった。(構成)

東京に行きたかったが、母が絶対だめだというので、4年制の大学に行きたかったが、母は女に教育はいらないといわれた。
高校の時の先生が母を説得してくれて、東京の短大に行くことができた。
大学の時は舞台をちょっとやったが半年で止めた。
いろんなことをちょっと、ちょっと やってきたが、それが後になって役だった。
4年の大学に行こうと思っていたが、一回故郷に戻ろうと、1年考えようとしたが、父が面接を設定してあって、銀行に就職する事になって、勉強になり自分も向いてない事がよくわかった。

又東京に行く事になるが、勘当同然だった。 母からは平凡に生きてくれと言われた。
いろんな職業をする。 塾の教師、プログラマーとか 色々やってきたが、全部役に立っている。
シナリオの学校にも行く。 ドラマを書くのに向いているのではないかと、思った。
学校では皆脚本を一杯書いている人達ばっかりだった。 
行きにくくて3回だけ授業に出て止めた。  
先生から一本だけ書く様に言われて、それを書いたら先生から高い評価を得られた。
新藤兼人さんが学長だったのですが、ドラマには対立が必要だと、その対立が実に良くできているといわれた。(娘と母の話を書いた)
それがきっかけでデビューした。
2本目がプロのデビューで凄く恵まれていたが、完ぺきなもの出ないと出せないとの想いが凄く強くて、完璧なものを書こうと思う、面白くなくなって、自分に向いていないのではないかと思って一旦筆を置いた。

作詞をやろうと思って、作詞の学校に入って、書こうと思ったら空から声が降ってきた。
「お前は逃げたな」と言われて、まさに逃げたとおもって、逃げてはいけないと思って、次からはどんな物が来ようが、必ずやろうと思った。
一旦こうと決めたらやりぬかなければいけないと母から教え込まれていた。
完璧主義からの脱却  子育ての為に仕事を止めて子育てに専念しようと思ったが、子供を背負いながら仕事をしていたりしたいた。
2人目が出来て、このまましていると、自分は死んでしまうのではないかとギリギリだった。
このこだわりは捨てようと思って、お手伝いしてくれる人を頼みました。

ドラマを書く事に向かう自分を許してやろうと思った。
「あるがままに生きる」という表現を見たが→自分の想い、自分の心の中に有る本当の声を無視しないのが、あるがままだと思っているが、我儘と似ていて、周りの気持ちを無視してやるのが、我儘だと思うが、まわりの人達の気持ちを酌んだうえで、自分の気持ちを通してゆくのが、あるがままに生きるという事にしている。
そういった主人公をたくさん書いてきた 篤姫、江、さくら 
あるがままを生きたいけれども生きられない運命の中で翻弄されながらも、自分の一本の芯を持ちながら生き続けてゆく人達をたくさん書いてきた。
自分の生き方が主人公に投影されていると思う。

一度 登場人物にならないと、ドラマは作れない。
人になれる事が出来るようになった。
女として幅ができるようになった。
人間として成熟していかないと、皆さまに見て頂ける様な物を作らせていただく立場の人間としては、自分自身を成長させないと、とても書けない。
「戻ってきたー。」と目が潤む。  故郷はいつも温かく迎えてくれるところ。
ラフカディオハーンの 小泉せつさんの事を書いて見たいとの思いがある。
津和野町 森鴎外「 石見人として死にたい」と言った人。
死に場所はいつも考えている。  
私は益田で死ぬのかなあと、東京かなあと いつも考えている。
故郷 →感謝 いろんなものを育んでくれた。