2014年3月18日火曜日

立元幸治(評論家)        ・著名人の終の棲家に学ぶ~多磨霊園に眠る人々

立元幸治(評論家)    著名人の終の棲家に学ぶ~多磨霊園に眠る人々
昭和10年鹿児島の生まれ。  九州大学卒後NHKに入局、主に教養番組を制作してきました。
退職後は九州産業大学や、東和大学の教授として、メディアや、現代社会の研究と講義を担当してきました。
現在は講演や文筆活動に取り組んでいます。  立元さんは多摩霊園を散策する中で、そこに眠る人々の意外な共通点やかかわりに興味を持ち、東京多摩霊園物語という本の一冊に纏めました。

府中に住んでから15年。 広大な霊園を散策するのが楽しみ。
日本では初めての公園墓地。  有名な方が眠っている。
日本の政治、経済、文化、芸能、芸術を代表する様な著名人の人々が結構沢山いる。
詳しく知りたいとの気持ちが出てきて、いろいろ調べてきて、いろいろな発見があったり、いろんな人のつながりが見えてきたり、大変楽しくなった。
知る喜びを充足されてくれる格好の場所となった。
文献、資料を調べてみると、著名人同士の間に不思議な縁とか繋がりがあることが解ってきて、繋がりを調べていく楽しみ、知る喜びをする様になって、テーマを作る、30程度の組み合わせを作って、並べたら、この国が歩んできた歴史が見えてくる事が感じ取って充足感を感じた。
本にする。  毎日3時間書くスタイルで2年掛かった。

漫画家の田河 水泡  「のらくろ」   サザエさんで有名な長谷川町子 師弟関係にある。
高見沢忠太郎(田河 水泡)と書いてあった。
のらくろ 擬人化された犬 軍隊に入って苦労しながら昇進してゆく物語。
人間社会を描いている。 奥さんが高見沢順子 作家  兄が有名な小林秀雄
のらくろは実は田河 水泡が私の人生を書いたと小林秀雄に打ちあけている。
軍隊生活が背景にある。
深い笑いを呼ぶ漫画は、深い人間の生きることの哀愁とか、社会に対する批評がどっかに込められているんじゃないかと思う。
弟子が長谷川町子、 内弟子として住み込みで入門した。
優れたセンスを表に出してきた。
田河 水泡の紹介で、ある雑誌の連載を始めたところ大変好評で、サザエさんの作品につながってゆく。

サザエさんは社会に対する批評の目があるようだし、どっかで田川さんのところで修行した経験が長谷川町子の作品に、にじんでいるように感じた。
長谷川町子さんのお墓は奥の方に在るだけで、いかにも静かで清潔の感じのお墓。
田河 水泡の方は小さく、のらくろが寄りそっている。
長谷川町子はサザエさんとは違って、一生独身で過ごした。
岡本一家も多摩霊園の中にある。
岡本太郎一家の墓が異様な空間にある。 岡本一平岡本かの子岡本太郎
父の墓は大阪万博で作った太陽の塔に似たような墓。
隣りにある岡本かの子はいろんな作品を残して奔放な人生を送ったが、お墓は観音像で驚き。
面白いコントラスト  かの子は仏教を最後に信じて、彼女を思いはかって一平がそういう墓を作ったのではないかと思う。

太郎の墓が両親夫婦にむきあうような形で有る。 
あどけない子供が親を見ているようなまなざしで、対峙している。
3人のあり方について交流のあった川端康成が3人について書いてある文章を墓の3人を横から見る様な位置に、文章が刻まれている。
独特のオーラを発信する様な空間である。 空間自体が作品として訴えるものがあると思う。
札幌農学校の同窓生 、新渡戸 稲造 と内村鑑三 の墓がある。 作家の有島武郎  
有島は少し下るが、この3人は面白い組み合わせだと思う。
弟子の中で、後の東大総長 南原繁、と矢内原忠雄 2人は圧倒的な新渡戸の影響下にある。
内村鑑三は大きな白御影に英文で彼の人生を表す言葉が掘ってある。
「我は日本の為、日本は世界の為、世界はきりすとのため、そしてすべては神の為に」
J 日本のJ キリストのJ 2つのJ 迫ってきた。

内村は第一高等学校で有名な不敬事件を起こす。 大問題になって不忠の人物だといわれて学校を追われて、キリスト教の普及のために一生を尽くす。
新渡戸も留学するが、自分の出身の札幌農学校、京都大学、東京大学、の教授を経て、第一高等学校の校長になる。
非常に多くの影響を与えることになる。  南原繁、矢内原忠雄等が影響を受ける。
「人間の一生は神の結びたまい、導き給う処にあり、考えてみますと、内村、新渡戸、両先生無くしては今日の私はなかったのであります。  内村、新渡戸先生は私にとっては太陽のごとく、月のごとく、父のごとく、母のごとくである」と語っている。(矢内原)
教育はただ知識を伝達をするだけではなくて、人間同士のつながり、そこから何かが伝わってくるのが、 薫陶を受けつつ人間的なな影響力を受ける、そういう関係が内村、新渡戸→
 南原、矢内原に深く流れていたという風に感じました。

中村元さん 現代人の荒廃した心の問題についてどういう風にお考えですかと、いろんな方と対話をしながら歩いている。
資料を調べたり、何回も訪ねたりして、対話をしたり、しながら歩いている。
創造力を働かせる。
お墓は亡くなった方が埋葬されている場所ですが、見方に依ってはその方がそこに生きているという事を感じることができる。
その人の残したものとか、語った言葉が現在に生きているという事はあると思う。
お墓は死者が生きているという事も見ることができるのではないかと感じる。
どんな生き方をしたのか、どんな死に方をしたのか、と言う様な事にも関心がある。
現代、いかに生きるかという事と同時に、いかに死ぬのか、いかに最後を迎えるか、と言う事が大きな問題になっている。
生きた姿、と同時に最後の迎え方がいろいろあるんだなあと気がついて非常に印象に残っている。

岸田今日子さん 脳腫瘍という診断をされて、余命1年と言われて、過ごし方が非常におだやかで静かで納得して最後を迎えたと言う過ごし方で有ったという気がする。
姉さんのえりかさんが彼女のことを書いているが、いかにも岸田今日子さんらしくて、冷静に死と向き合って周りの人と最後のお付き合いを楽しみながら、静かに最後を迎えた。
こういう迎え方に凄く打たれました。
堀辰雄 病弱で、戦いながら作品を残しているが、病気と闘いながら、看病しているたえ子夫人、彼女に対する思いやりの言葉を残しながら亡くなっている。
是も感動的な最後だったと思う。
徳川夢声 はっきりと最後の言葉、キーワード、感謝ここにありと言う形でしゃべった。
「おい、良い夫婦だったなあ」と言う言葉を残して亡くなった。
田河 水泡も「私の人生は本当にいい人生だったと思うよ」と言う言葉を残して亡くなった。
吉川英治  最後の最後まで這いつくばって、書いたという事が書かれている。
大岡昇平  同様に入院していたが、最後の最後まで書くよと言う事で闘病しながら書いた。
仕事への執念に対して感動を受ける。

残された者への思いやり  長谷川町子 葬式とかお通夜とか儀式は一切排除してほしいという事、発表もずっと後にしてほしいとの事で、亡くなって一か月後のことだった。
梅原龍三郎 「おれが死んだら、葬式なんかしてもらいたくない、そんなものは無意味だよ、大勢の人が集まるのは迷惑だし、娘には誰にも知らせるな、面倒だから家を閉めて旅行にでもいってしまえ」と言っている。
「死者の為に生きて居るものは煩わせるべからず」
形だけのセレモニーは嫌だという事でしょうね。
常識に余りとらわれない、心のこもった、そういう己の区切りのセレモニーにしてほしいと思う。
大事なことをきちっと伝えて、終わりを迎えたいと先人たちの生き方、死に方から学び取った、そんな気がします。