2014年3月16日日曜日

井出 訓(放送大学教授)      ・認知症の人の「やりたいこと」を応援したい

井出 訓(NPO法人認知症フレンドシップクラブ理事・放送大学教授)
認知症の人の「やりたいこと」を応援したい

大学を卒業後、看護専門学校を経てアメリカの大学へ留学、高齢者の看護について研究を進めます。
帰国後北海道の大学で働き始めた井出さんは、家の中にこもりがちな認知症の人たちが安心して自分の趣味などを楽しめる環境を地域ぐるみで作ろうとNPO法人認知症フレンドシップクラブを設立しました。
認知症を理解して友達としてテニスやゴルフ等のスポーツや買い物などを共に楽しむ、フレンドシップサポーターの養成や派遣などを行っています。

今年で活動を始めて7年、札幌からスタートして全国で10箇所に事務局ができる。
認知症の方で、デーサービス、デーケア とかにいってそこでの活動が楽しめて居ればいいんですが、必ずしも楽しめて居ない状況がある。
デーサビスに行きたがらない、と言うと留守番をする事とになるが、椅子に座ってTVに向かってずーっといるので、何とかならないのかと思った。
昔やっていたゴルフなどを誘ったら、ゴルフを非常に楽しんでいた。
本人がやりたいことをできるだけで自然と笑顔が出てくる、それがやはり大切だと感じた。
認知症の方が、やりたいと思っていてもどう支援したらいいかわからない事もある。
認知症の知識を学んで一緒にできる活動をするボランティアを養成して、派遣する様なサポートする友だち、そういった様な活動です。

イギリスの看護師さんに出会って、一緒に食事をして、イギリスでやっている働きを聞く事が出来た。
クライブさんの為のケアプロジェクトとして立ち上がった。
若年の認知症で、軍人だった人、友だちもどういう風に接していいかわからず、家の中で閉じこもるような生活になっていった。
彼の行動が粗暴になって行って、向けられる先が奥さんになって、どうしたらいいか相談をして、或るときに一人のワーカーさんが一緒にプールに連れていった。
もともとアクティブな人だったので、プールで泳いで帰ってきたら、一日プールで好きなことをやって帰ってきただけで、今まで有った様な症状がスーッと無くなってきて、関わっていたチームの人は、自分のやりたいことができる環境が整っていることが認知症の人にとっては本当に大切な部分になっている事に気がついた。
やりたいことをサポート出来る様なサポートプロジェクトができた。

日本でも出来るのかと言うと介護保険ではサポートされない。
之をなんとか日本に持って帰ってきて、同じことができないか、北海道に帰ってきて、フレンドシップクラブを立ち上げた。
大学を一遍卒業してから、看護師を志した。 大学では社会福祉を勉強していた。
卒業論文を考えて居た時に、一冊の本を読んだ。   「死ぬ瞬間」エリザベスキューブラー・ロス
人が死んでゆく、人の死に興味を覚えた。
癌の告知を受けた人々にインタビューをしていて、自分が死んでゆく告知をされた時に、どういう風に考えるのか、自分が死んでゆく事に、受容できるのか、書かれている本で、自分は死んだことがないので、人はどういう風に死んでいくんだろうかとか、どういう風に考えるのだろうかと、興味をもった。
父親は牧師で、私もクリスチャンで、死に関する関心だったりしたのかもしれない。
日本に有ったホスピスの中の一つ、静岡県浜松の聖隷浜松病院」に看護助手のボランティアとして一カ月実習をさせていただいた。

死んでゆく方々をサポートするソーシャルワーカーになるためにはどんなことが必要なのか、考えられればいいなあと思った。
末期癌の人、看護師とかかわることで、看護師さんの働きが凄く羨ましく見えた。
看護師さんと亡くなってゆく癌患者さんとの距離が近いんです。
御家族も看護師さんに自分の想い、内面的なことを話したり、亡くなってゆく方の手を握って、お互いに涙したり、笑いあっていたり、なんでこんなに距離が近いのだろうと思った。
ソーシャルワーカーで実習したときにはそういう事はなかった。
自分のやりたいことはここにあるのではないかと思った。
一緒に辛さ、苦しみを共有してゆく様な看護に惹かれた。
当時は男子の看護師はほとんど無かった。 男子トイレもない状態だったので受け入れ体制が出来ていなかった。
都立のある専門学校は男子を受け入れていたので進むことになった。
親は諦めていたのではないか。

内科の病棟、看護師として患者さんの世話をするようになった。
30歳の時にアメリカの大学に留学する。
自分がホスピスで看護に関しての魅力を感じた想いと、自分が実際に看護師として内科の病棟で関わっている状況を見較べると、ギャップを感じた。
患者さんと近い距離にいて患者さんに寄り添う看護をしたいと思っていたが、実際は忙しくて、業務に追われていて、一体何しているのかなあ、と気がついて、もっと自分のやりたいことがあったはずだと悩み、疑問を感じ始めた。
相談をしたら、アメリカではもっと勉強すれば、自分のやりたいことをできるし、ドンドン上にあがってゆく事が出来ると言われた。
自分を打開したいと思ってアメリカに行く事になる。

大学に入った時は、授業についてゆく事が大変で語学で本当に苦労した。
どれだけ活発に意見を発言するかが、評価されるので、大変だった。
レポートで挽回するとかやっていた。  5年弱アメリカにいた。
修士課程、博士課程を修了して帰ってきた。
老年看護学  人の健康、患者のケア 老年の方を対象。
老いの中の生活を豊かに質の高い暮らしを送ってゆく為にどんな支援ができるのか、看護として考えてゆく。
認知症を専門にしていたわけではない。 
大学院では健康な方の記憶に関しての研究をしていた。
物忘れ予防教室  指さし確認   判っていても使わないと何の役にも立たない。
教室を開いたあとは元気になって帰ってゆくが、時間がたつと、無力にしてしまう様な環境だったり、状況が地域の中にあるのではないかと思う様になった。

何が人を無力にするのかと思ったら、無力にされるよう扱いを受けると、人は無力感を抱く。
帰ってゆく地域、社会を変えていかなければ、老いの捉え方を変えていかなければ、何をやっても高齢の方を元気付けても、同じ事になってしまうと思った。
クラブをサポートしてくれるメンバーを募集した。 月額150円メンバー費
メンバーズカードを見せれば、10%引き、コーヒー一杯無量とか、店を巻き込んで、ボランティアさんを派遣する様な、活動をする。
①地域の中にある個人のメンバー、②地域の中にある店 ③地域の中にあるフレンドシップクラブ
三つがそれぞれに三角形の頂点の様に位置付けて、地域に住んでいる認知症の人をサポートしてゆくシステムを作った。

サポート出来る人は色々違う。 大切なことは認知症の事を学んでいただいて、この人は認知症の人かなと気付けるようにすること。
認知症と判ると対応の仕方も変わってくる。
気付き、共感、行動に出れる様な人達を増やしてゆく、地域に増やしてゆく。
アンチエージング は歳を重ねてゆく事にあがらう事。 一日寝れば一日歳をとってゆく。
老いてゆく、介護が必要であり、寝た切りになり、皆死んでゆく。
霧に包まされているような気がする。 老いて行った先には当然介護してもらう人は沢山いる。
ピンピンころりはほんの一握り。
人間は老いてゆく、弱ってゆく、介護が必要になり、そして多くの人がそういう道をたどって死んでゆく。
三人に一人は、後何年で来るよと言われる様になって来ている。
認知症を持つ家族は、理解してくれている街で有れば、店にも入りやすいので、安心して入れるので、そういった地域を広げてゆければと思っている。

支援をする人、支援をされる人 力関係のなかにある。
支援をする人は支援をしない事も出来るが、支援される人は支援をされないと生きて行けないのでそこから逃げられない。
友だちの関係はそういうところから外れていると思うので、対等な関係で付き合う事の面白さ、横に寄り添う関係はいいなと思える。
一緒に単純なことを皆で楽しめる関係、そのポジションは好きなんだと思います。