2014年3月20日木曜日

石田秀輝(東北大学大学院教授)  ・自然の知恵を暮らしにいかす

石田秀輝(東北大学大学院教授)   自然の知恵を暮らしにいかす
1953年生まれ 地質鉱物学が専門  25年間民間企業で陶磁器の関係の仕事に携わった後、東北大学に移り地球環境問題をテーマに研究し、実現する技術の開発に取り組んでいらっしゃいます。
特に限りある地球資源、こんな環境の中では人間社会を持続可能にするために新しい暮らし方、技術を考えなければならず、その際に自然界の持っている知恵を物作りや暮らしの形に生かすネーチャーテクノロジーの考え方が有効だと、提唱して多くの新しい技術の開発、暮らし方の提案などを進めて居らっしゃいます。

東日本大震災、 テクノロジーの集積が文明、知の集積が文化であると、そうするとガラガラと音を立てて文明が崩れてゆく、本当にそれは今まで我々は何をやっていたんだろうと、大ショックだった。
2030年ぐらいまでに大きく舵を切らないと、今の文明は我々みずからの手で崩壊させるのではないかと思っていた。
2009年にそのことを本に書いたが、それが実は目の前で起こってしまった。(20年早く見てしまった)
地球環境問題とは一体何かと言うと、7つのリスクがある
①資源エネルギーの枯渇   ②生物多様性の劣化  ③水、食料の分配リスク  ④急激に増える人口  ⑤気候変動    (⑥⑦?)
なぜおこったのかは、人間活動の肥大化 利便性、快適性を追求する為に際限のない肥大化が際限のない環境負荷を作ってゆく。
予測をすると、どのリスクも2030年に限界になるのではないか。
文明崩壊に近づく エネルギーの供給の停止、 交通通信の遮断、食料の供給に大きな問題が起こると予測していたが、まさに目の前で起こってしまった。
2030年をまさに見ている様な気がした。
時間は無いぞと思った。  本質的なものをかいまみた。

セラミック の仕事をしていたが、1980年代の後半ぐらいからなんか変だと思った。
1992年 ビオンザリミットの本に出会って、地球環境というスタンスで見ていなかったと思った。
地球環境と言う土台の上で物作りとはどう有るべきなのかと言う事を考えないといけないと思った。
地球環境問題は人間活動の肥大化 欲の人間の行動 際限のない豊かさ
物欲をあおるようなものを市場から提供され、その上に我々は欲を増やしてゆく。
回り回って、結局自分の首を自分で締めている。
産業革命 自然との決別した。 物欲をあおるテクノロジーに人間の欲が完全にうまくオーバーラップしてしまって、際限のない欲がもっと便利に、もっと快適に それが大きな問題を起こしてしまっている。
欲を我慢するか、それはできない。
人間の欲を認めて、環境の負荷がかからない、そういうもの作り暮らし方はないのか、それが私の一番大きな仕事です。

ネーチャーテクノロジー 自然の凄さを賢く生かす
2030年の厳しい環境制約の上に立脚する豊かな暮らし方。
お風呂に入る、4900万世帯 300Lに水を40度に上げるエネルギー 供給する事は厳しい。
水のいらない風呂にする。 自然のなかに探しに行く。
泡・・・ほとんど空気なので体を温めることが出来る、泡がはじけるときに超音波が出て、身体の汚れを取ってくれる、そんなお風呂ができる。
水は3Lから6Lで済んでしまう。 お風呂は軽くすることはできる。
制約のなかで豊かに暮らす新しい価値観、新しいテクノロジーを市場に投入してゆきましょうと、そう行く事は出来ると思います。

全ての自然の中に動物の数、植物の数だけ私たちを驚かす種がきっとあると思う。
ヤモリ 天井を自由に這いまわれる。 最近まで判っていなかった。
足の裏に50万本の毛が生えていて、1本の毛の先が更に数百に分かれていて、ファンデルワールス力という物凄い弱い引力が働きます。
接触面積が大きくなってヤモリの体を平気で支えてくれる。
はがき一枚で200kgを支えるぐらいの強度がある。
自然の中にはあらゆる物がそういう価値観を持っている。
地球にないものばかりを科学として産業革命以降探してきたが、地上には物凄い宝物があるのに我々は見ない、そういう教育体系を作ってきたし、学んできた。
生物の研究者と、工学の研究者と同じ土俵で仕事ができる様な、そんな文化から作り直さないといけない。

カタツムリを見て閃いた。  油汚れを水だけで流してしまう。
街の汚れはほとんど排気ガスのカーボンとオイルなので雨だけで汚れが取れてしまう。
ネーチャーテクノロジーの将来 自然を真似するよりも、我慢しなくても豊かであることを、先ず作るという事から始まる。
先ずライフスタイルを作って、そこから必要なテクノロジーを抽出をして、自然のなかに探しに行って、自然のママ真似るとエネルギーを必要とするので、フィルター(持続可能な)を通して、もう一回デザインし直して、そういう一連のぐるっと回るテクノロジーを作りたいと研究している。
結論だけからいうと、最終的にたどり着いたのは 、豊かであるという条件には豊かさを制約がなければいけない、と言う事が判ってきた。

依存型ライフスタイル  完全介護型ライフスタイル の対局自給自足型ライフスタイル
自立型にした方が人間は豊かになると感じることが解っている。
自分が参画して豊かになる。  制約 (例えば手巻きの時計) 
まかないと時計は止まってしまう。 巻いている時間で色々今日のことを考えたりする。
自分が制約を越える行為をするだけで、段々愛着を感じて手放せなくなってしまう。
一つ一つ越えてゆく事で、実は人を豊かにするが、今のテクノロジーは皆利便性の方に持ってゆく、それでは人は豊かにならない。
自立と依存の間にまがあるが、この間を埋める仕事をしなけなけれないけない。
今のテクノロジーは間がぬけている。
子供たちも自分で手を動かして、なんかしたいし、ハードルをちょっとずつ越えてゆく事を楽しいと思っているけれども、欲しいものを作らない。

精神欲をかきたてる 間を埋める。 粋の概念 (江戸時代の粋)
イギリスの産業革命は自然との決別で成功しました。
大量生産 、大量消費という概念を生みだした。
自然と決別していない産業革命に成功した国は世界で一つしかない。 江戸時代の日本
イギリスよりも80年ぐらい前に産業革命をしていた。
遊びエンターテイメント  からくり人形 的を射ないと悲しい顔をする。
物作りに使わなかった。 エンターテイメントに行く。 精神欲をあおるテクノロジー 粋の概念につながってゆく。 ①自然と一体になってゆく  ②敗者を作らない  ③足るを知る ④自然の見たての概念(盆栽を山に見立てる)  見たてることで、間を埋めている
茶室は宇宙までも見たててしまった。

粋の概念をテクノロジーに移しかえると、これは間の概念を持ったテクノロジーになる
自然は完ぺきな循環をもっとも小さなエネルギーで駆動しているわけなので自然を真似しましょう。
敗者を作らない、もったいない、見たては、コミュニケーションを生みだすし、愛着を生みだすし、
間にして明の技術、そういう構造を持った技術を生みだせば是は間を埋めるテクノロジーになる。
トンボの風車 子供たちが電気を作ることができる発電機を作ってやろうと、いつ見ても動いている発電機、会話をしながら作れる電気 2~3mの風でないと今は作れないが、トンボの羽は昆虫の中で最も低速で滑空ができる。
ちょっとした風でも浮力に変えることができる、ちょっとした風で風車を回せられる。

羽根のぎざぎざ 低速の風がトンボにとって物凄くねばねばべたつく様な空気、その空気を綺麗に流してゆくためには凸凹が必要で、でこぼこのところで小さな渦が発生して、渦がボールベアリングの様な働きをして粘っこい空気をベルトコンベアのように、後ろに流していたそうする事で浮力を発揮していた。
でこぼこの風車を作ったら、なんと20cmの風速で回ってしまった。
風速1mで効率20%と言う世界で初めての、とんでもない風力発電機ができた。
人を豊かにするのがテクノロジーで有れば、人をどれだけ豊かにしていますかと考えると、効率が悪くても人を豊かにするテクノロジーの有ってもいいのでは無いだろうか。
機械の効率だけが先行して、進んでしまう、そうするとテクノロジーの集積が文明、知の集積が文化であるといつも一緒にいなければ行けないのに、、文明だけが暴走してしまって、文化が取り残されて、こんな状態が起こっていて、いろんなものが連帯感があって、見えなくなっているのが今の時代だと思います。

その中に全体感のあるテクノロジーを入れこんでも物差しがない。
今のままで行ったらおかしいとだれもが思っている。
ただ予兆はある。  家庭菜園で曲がったキュウリを喜んで食べる。 
自分で作った野菜を食べたい。
その先を行っている様な企業が動いてくれればいいが、そのような方向にはいっていない。
完全介護形の方向にいっている。  ブレーキを踏まなくてもいい様な車を作る。
もっともっと違うわくわくする世界がある、そのひとつがネーチャーテクノロジーがなればいいと思っている。

小学生に話すと2時間3時間必死でこう来ますからね。
新しい価値観 自然に生かされていることを知って、自然を上手に生かすことを楽しんで、自然をいなす(震災みたいな時は)、価値観をもつことが大事だと思う。
江戸時代に戻ることはできないが、学ぶ事はできると思う。
確かな未来は懐かしい過去にあると思う。
学んで、もっと新しい価値観に組みかえて、おしゃれなんだという風に持ってゆく、ライフスタイルとテクノロジーをこれから作りあげてゆく思いは大事だと思う。
自分もわくわくドキドキしていきたい。
この制約のなかでどんなに楽しい暮らしをしてやるか考えなければいけない。